第5話-B54 キカイノツバサ フリースタイル
「ん……」
目覚めると窓の外が明るかった。
明るいとはいえ、太陽はさんさんと降り注いでいるわけでもなく、明灰色の雲の切れ目から控えめに光の柱を作っていた。
うつぶせでの目覚め。見慣れた部屋。最近の俺の寝床。
荷台で寝落ちして以降の記憶がない。寝ぼけた頭で自ら歩いたのか、あるいは誰かに運ばれたのか。高校生にもなって後者が現実のものとなっていた場合について、もう少し寝ていろと脳の中枢がありがたい司令を下すのを聞き流しつつ想像する。演算結果は「ぶざま」。
動かした身体に異物感がして腕を見れば、ところどころガーゼが貼ってあり、服も寝間着に着替えられていた。
寝ぼけ状態で寝間着にコスチュームチェンジする機能は俺にもあるかもしれないが、どこにあるかも分からないガーゼを探してきて処置をするなどというインテリジェンスな機能はさすがに実装されていない。
つまり到底自分でやったとは思えず、どうやら真実は後者らしい、ということだ。
恐らくクラリがしてくれたのだろう。外れていたら申し訳ないが。
寝室には、俺以外誰もいなかった。
いつもは布団を引き剥がしてでも起こしにくるグレアもいない。まるで病気で学校を欠席して家にいるときのような静けさと、外の太陽の高さ。違和感ともいうべきか。
とかく、俺は寝ていることを許されている、というか寝かされているらしい。
大きく背伸びをして軋む関節のスイッチを入れる。
そんな雑多なことを考えていると、さすがに脳が目覚めてきた。二度寝のタイミングを逃したともいうべきか。
「今何時だ……」
懐中時計も、俺の着替えもどこにあるか分からない。キール造船所で着替えた際に、元々着ていた服と懐中時計は、かごの中に入れてわだちの中に置いて以来、それがどう処理されたのかも分からない。
起き上がってベッドを降り、部屋を見渡してみたものの、それらしきものは見当たらない。
隣の執務室に入る。
椅子の背もたれにガッツリ体重を預け、執務机の上に堂々と足を乗せ、ティーカップ片手に我が物顔で悠々自適に読書に勤しむメイドがいた。
入ってきた俺に気づき、目線だけこちらに向けてグレアは短く一言。
「あぁ、おはようございました」
「俺の机で何してんだよ」
「あんたの代わりしてたの。似てるでしょ」
「そこまで行儀は悪くねえ」
お前の中の俺のイメージについて問いたい。
ティーカップに口をつけて机の上に置く。イスの足元に置いているらしい何かをまさぐって、そこからガラスの栞を取り出して本に挟む。栞に使う条件である薄さと耐久性を考えると、ガラスなんざすぐに割れてしまいそうだが、それが実現できるのは彼女の能力で作ったものだからだろう。
十四歳のやることとは思えぬ尊大な態度である。
「もうお昼は過ぎてるんだけど」
「そうか」
彼女は机に本を置く。ユリカではなく、あくまでグレアでいるつもりらしい。
「とりあえずなんか食べる?」
「ああ」
そう答えると、彼女は足を机の上に乗せたまま上半身を捻り、椅子の横の横のショルダーバッグに手を突っ込む。頑としてその足を乗せた態度は譲れないらしい。何のプライドだ。暗に身体の柔軟性の自慢でもしたいのか。
中から弁当箱を取り出して机の上に置いた。
ん。そう言われてようやく、俺はグレアが占有していた椅子に座ることを許された。座ると、彼女は横に置いていたショルダーバッグをどかし、新しいティーカップにお茶を注いだ。
「すまんな」
「別に。やれああだ、やれこうだろと騒がしいあんたが寝ているおかげで、久しぶりに落ち着いて自分の時間が使えたわ」
「俺そんなにやかましいか?」
言いつつ弁当箱を開けると、いつも工業ギルドで食べるようなメニューが詰まっていた。肉、野菜。米はない。ここに来る前は毎日食べていただけに、炊きたての白飯が恋しい。
「朝ちゃんと『今日は弁当は不要だから』って料理人に言ったのに、無能だから話が通ってなくてね」
「あまり腹が減ってなかったし、量的にはちょうどいいが」
朝だったから、すでに取り返しのつかないところまで進んでしまっていたのではないか? それを無能と一蹴するのは酷だと思うんだが。
どういうわけかあまり腹の減っていない俺にとっては結果オーライだったわけだ。
「午前中はずっと本を読んでたのか?」
「洗い物をしてたわ。二時間くらい、気合いを入れて」
「よくそんなに働けるもんだ」
あんたもねと言われた。
俺のやることは俺じゃないと務まらんから渋々やってるだけで、グレアのそれは誰かに任せられるだろう。その点が俺とグレアの最大の違いである。
「そうそう、今朝あんたが寝てる間に、手紙が来てたんだけど――」
寝間着のまま昼を食べながら、グレアがバッグに手を突っ込み、手紙の入った筒を二つ取り出した。
「――捨てていいよね?」
「捨ててみろ」
グレアお得意のハの字の眉に、片側だけ釣り上げた口。少し首を傾ける。フヘッとでも言いそうな悪い顔だが、会って間もない俺ならまだしも、こいつの素性をある程度見知った俺が、そんな威圧に屈するわけがない。モゴモゴしつつ速攻で切り返す。
なんだかんだ言いつつ、実際俺がいようといまいとフリースタイルを貫き通す精鋭、それがグレアだった。
破くわけでもなく床に投げ捨てるわけでもなく、素直に渡された二つの筒のうち、一つは工業ギルドからのものだった。
まず最初に記されていたのは、昨晩の暴挙への感謝の言葉と、救出された彼の容体について。まだ予断を許さない状況にはあるが、懸命の治療で回復の見通しはついたらしい。飛び込んだ甲斐はあったというわけだ。
その下に続くのは、鎮火後の設備の調査復旧や修理、資材の再発注などの影響から、飛行艇計画を、明日から三日ほど止めたいという話だ。今日も含めると四日となる。
「そういや大砲で石割っちまったしな……」
船殻に穴を開けるという話は事前にギルドにはしていたが、ブロウルの砲撃で石畳を割ってしまったことに関して、あのときザグールに話すのを忘れていた。それと、貴重なわだちを壊したことも詫びていなかった。あとで返信と一緒に書いておこう。
もう片方はロイドからだった。
中に入っていたのは、誰の署名もない護衛の契約書が一枚と、手紙が一枚。
手紙には、グレアから話を聞いたので契約書を渡すという内容が上半分、下半分は今回の現場での振る舞いについて、ロイドが意識をなくして運び込まれた俺を見て、いかに肝を冷やしたか(俺は爆睡していただけなのだろうが)、国賓という立場がどういうものなのかについて自覚願うと、まあ言われるだろうと思っていたお叱りの文言がつらつらと書かれていた。
"今後は火中の栗を拾いに行く事のないように"と、うまいこと言ったつもりなのか割と判断に困る内容で締められている。
後悔は昨晩のうちに済ませてある。
他にも何度も表現を変えて「もうやるな」と本文に書かれているが、俺はやったことに関して反省はすれどもう後悔はしていないし、間違ったことをやったとも思っていない。
「むしろこれだけ書かれると『もっとやれ』とのお褒めの言葉かと勘ぐっちまうな」
「じゃあ今度はここに火をつけてみる?」
「絶対にやるなよ!」
魂からの言霊キャノンを放ちつつ、手紙を丸め手元の筒に戻して、引き出しに入れた。
グレアのことだからやるわけがないのは明らかだが、言われてどこかはっとするのは、誰だってそうだろう。現実味のある冗談ほど恐ろしいものはない。
……ところで、グレアとの契約書はない状態で進めるつもりだという話を政務院としたつもりだったが、なぜ契約書が送られてきたのだろうか。行き違いだろうか。
そんなことよりも。グレアは話を変えつつ俺の目からずれたところを見ていた。
「あとでクラリに礼を言ってきたら?」
「この手当てか?」
「それ以外に何かあると思うの?」
「ないな」
そうか。クラリかグレアで確率は五対三かと予想していたが、クラリだったか。
ちなみに余った二割は驚愕の事実に予約してあった。
「あんた、自称してたけど本当に回復魔法効かないのね」
「そんな嘘をつく理由がないだろ」
「あんた本当に人間なの?」
そうじゃなかったら俺は一体なんなんだ。なんだかんだ言いつつ完食し、お茶をすする。
グレアはその弁当をさっと下げ、包んでショルダーバッグの中に片付けた。
「こんな原始的な処置しかできないんじゃ、骨折なんかしたら治るかすら怪しいわ」
「骨折は程度によるが処置が正しけりゃ治る。それでも三十日くらいかかるが」
面倒な護衛対象ねと言って、グレアは弁当を片付けに部屋を出て行った。相対的に見てお前らの魔法が便利すぎるんだよ。ケガなら魔法ですぐ回復とか、命のありがたみに対するある種の冒涜だぜ。
魔法の世界は、俺には理解しがたいものだ。それが生活の基幹となる重要で不可欠な部分に入りこんでいるのだろう。
一度贅沢を味わうとなかなか元には戻れなくなるのと同じだ。
そんな便利な魔法の根源はすべて魔力。こいつが完全に枯渇すると、同時に命も尽きる。
神使は間違えたのか、俺に使いきれない量の魔力を与えたわけだが、それは攻撃向きではなく回復向き。実際回復魔法なんて全然使えねぇし、使える魔法は指先に火を灯す程度。
俺が今使える技だけで強引に攻撃魔法を開発するとすれば――そうだな、火薬に着火する程度しかできん。自爆テロ専用である。
ハトだったかハドだったか、クラリが言っていたような魔法を使っている感覚も感じない。
魔力モーターの動力源に活用する方法を思いつかなければ、俺の魔力は開かない金庫に入った大金を抱えているに等しいものだった。
ふと、さっきグレアが読んでいた本に興味が湧いた。机の隅に置かれたままのその本は、存在感のあるマルーンカラーのしっかりした装丁。人差し指の先から第二関節近くまである厚さ。
書籍の表題は「どくが」と記されていた。
「これもある意味暗号だよな……」
同音異義語の多い日本語で、ひらがな縛りの記述は、地味に国語力が試される。加えて漢字によって圧縮されていた文字数が増え、ページの総数が増えて疎になった情報密度が、難解さに拍車をかける。
グレアが栞を挟んだページを開いてみた。物語のようだったが、何かについて論じているようでもだった。
元のページに栞を戻して元の場所に置く。毎度のことながら、せめて漢字に変換して読みやすくしてくれる魔法を希望したい。
最後に魔法を使ったのはいつだっただろうか――ああ、魔力モーターの原理をひらめいたときだったな。グレアに屋上へ連れていかれたとき。
そんなことを思い返しながら何気なく、指先に火を灯してみようと。
「ん」
火がつかなかった。失敗したか。魔法を発動するための指の動きを確認して、もう一度試してみる。
「おかしい……」
火がつかない。確かにグレアと一緒にいたときはこの符丁で火がついたのに。
俺のやり方が悪いのか? もしや俺から魔力を剥奪されたとかじゃないよな。魔力の流れは俺には把握できず、自分で残量を確認する術もない。
飛行艇は、俺の膨大な魔力を大胆に利用する魔力モーターの力でプロペラを回し、大空を飛ぶ計画になっている。
普通の人が飛ばせば、二十分も飛ばせばヘトヘトになるだろうと、独自の理論を展開して方程式を解いたヘーゲルは言っていた。
もし俺から魔力がなくなってしまったとして。それは十分考えられる話だ。日本にいたときは俺は魔力なんざ持っていなかったが、ピンピンしていたのがなによりの証拠である。
もしそうだとするなら、その飛行艇を誰が飛ばすのか。たかだか二十分しか飛ばせないようでは、飛行艇計画そのものが破綻してしまう。
「あれ、あれ? マジこれだけは――」
洒落になんねぇ。
失敗するたびに加算される焦り。何度確認してやり直しても、指先に火が灯らない。
手紙の返事を書くことよりも、まず自分の魔力が存在するのか。寝間着のままだが、重要なそれを確認するために、昨晩わだちが置かれていたエントランスホールに向けて飛び出した。
「最悪のパターンだと、とことん最悪だが……」
擦れる寝間着の痛みも気にせず階段を駆け降りる。ところどころが焦げ、前部が破損して痛々しい姿になっているわだちが、昨晩俺とグレアが乗り込んだときと同じように、静かにそこに存在していた。
「モーターまでは動かさなくていいな」
そう呟いて運転席に乗り、ハンドルを握る。ハンドル下の前照灯レバーはオフになっていた。点灯方向に倒すと、片目のライトから閃光並みの鋭い光が放たれる。魔力の存在が確認できた。
魔力そのものはちゃんと俺にあったのだ。
「考えすぎだったか……」
安心のため息をついて、初段減衰レバーに手をかける。この閃光は、昨晩グレアが操縦したときの設定のままなのだからだろう。
初段減衰レバーの調整は忘れがちになるな……気をつけないと暴走運転になりかねん。
「アダチ様!? どこに行かれるおつもりですか!?」
寝間着でライトをつけ、ハンドルを握り、その気になればいつでも発車可能だがボロボロのわだちに乗った、傷だらけの国賓。その姿を目撃していたロイドが、大慌てでエントランスに飛び出してきた。
「ちょっくらディーラーにな!」
――このあとこっぴどく怒られた。