第5話-B47 キカイノツバサ 偽りの記録
わだちに乗ったまま迎賓館の正門に近づくと、入り口に立つ二人の守衛は、近づいてきた奇々怪々な乗り物にし槍を構えた。
「何者だ」
「よう」
「……ああ、これは」
正門前で車を止め、右手を上げて挨拶すると、二人の守衛は矛を収めた。
「これは飛行艇計画の副産物だ。なかなかいい乗り物だぜ」
そう俺が言っている間に、守衛は正門を開けた。
勤務中に雨が降りはじめたのだろう。雨具を着ていない二人はずぶ濡れになっていた。
「風邪引くなよ」
「ありがとうございます」
正門を通りぬけ、庭園内を徐行する。
迎賓館建物の正面玄関前で誰かが待っているのが見えた。赤服。遠目からでも分かる。ロイドだ。
「おかえりなさいませ。この乗り物は?」
「クルマだ。飛行機に使う技術の試験も兼ねてある」
「あー……でしたら、雨に晒して傷めるわけにはいきません。エントランスは――階段を登れそうにないですね」
ロイドはエントランス前にある階段と車輪を見比べて言った。
「とにかくその乗り物は、私がなんとかしますので、そうぞ中に」
「助かる。おいお前ら、着いたぞ」
「助かったぜ!」
いよっと! 行くぞクラリ! タンと音がしてクルマが前後に揺れた。
「ひこうきー!」
なんということだろう。雨具を着たクラリを、筋骨たくましい青年が、その両手によって高らかに掲げ、両手両足を大の字に広げたクラリを雨傘代わりにして雷雨の中を駆け抜けたのだ。
賢いのかアホなのか、真面目なのか不真面目なのか。よく分からん連中であるが、二人とも楽しそうでなによりである。
あの技、実用組体操全集にぜひとも見開き二ページを割いて掲載したい。
グレアは、あれから口を閉じてしまった。彼女が降りた目の前を、二人が駆け抜けても何も言わない。
それでも雨の中に立って、最後に俺が降りるのを待ってくれた。
「――あのさ、冗談じゃないよね?」
そんな彼女が、ようやくまともに俺に話しかけたのは、俺の部屋に戻って扉を閉めた時だった。
机に向かって歩いていた俺に声をかけた。
「神都に連れてってくれる話」
「いや、マジの話だ」
立ち止まり振り返って答える。
「どうしてあんな時に話したの? 私がどれだけ大切に想ってたのか、分かってるよね?」
振り返ったグレアは、不機嫌そうな声をしていた。実際、表情はちょっと怒っている。
「いや別にないがしろにしていたわけじゃ――」
話がまとまったのは昨日の深夜のことで、今日は朝からドタバタしていて、話を切り出す余裕などなかった。ようやく二人で会話できる初めてのタイミングがあのときだった。
正直、長らく待たせてしまったことに、申し訳なさを感じていなかったわけではない。
だから決まったならば早く教えてやらねばと、そう思ってのことだったのだ。
「――だがあのときは、伝えるには最善ではなかった」
グレアは催促もせず、ただ結果が出るのをずっと待っていた。その答えがあのタイミングでベストだったのかと問われたとき、俺は首肯することはできない。
尚早だった。雷雨の中で言うべきではなかった。寝る前に話があるとでも言って、ゆっくり時間をとって話すべきだった。
「その、すまん」
彼女に頭を下げた。
俺にとっては単なる頼まれごとでしかない。しかし彼女にとっては、そんなもので済まされるものではないことは、俺も分かっていたはずなのだ。
「……いいわ、私もわがままが過ぎた。いつ伝えてくれようとアダチの勝手なのに」
一拍の深呼吸のあとにそう言った。
彼女の目線が一直線に俺を見つめている。眉をハの字にして、まるで困ったような、戸惑っているような、それでいて口元は緩んで笑っているような。
「その……私を本当に、本当に連れて行ってくれるの?」
「本当も本当だ。お前を神都に連れていく用意が整った。間違いない。夢を叶えるための切符はお前の手元にある」
「……ふふっ」
グレアは照れ隠しのような声を漏らす。下唇を噛む。吐き出すような嗚咽と一緒に頬に雫が垂れた。
「なんだろうね、私――もうダメだって思ってたのに」
「俺が用意できるのは神都に向かう機会だけだ。道半ばで万策尽きて全滅するかもしれない。たとえ神都にたどり着けたとして、そこから先は俺にはなにもできない。お前の無事を祈ることくらいだ。それでもいいなら俺と一緒に来い」
俺は手を差し出した。
ここに残るのも一つの選択だ。政務院の基本的な考え方は変わらないが、本人が望めば、まだここに残る方法はあるだろう。
グレアは迷うことなく手をとった。
握手をするつもりで差し出した手を引き寄せ、グレアはそのまま俺の胸に飛び込んだ。押し倒されそうになった身体を足で踏ん張って支える。少し混乱した。
「私ね」
胸に顔をうずめたまま、静かに語る。
「自分がどんどん変わっていくのが怖かった。窓を拭く自分の手。バケツの水を覗きこんだ自分の顔。鏡を見る自分の姿。このまま一生メイドの仕事をして、お父さんとお母さんの顔も思い出も、本当の私さえおぼろげになって、グレアになって死んじゃうんだって」
「帰るときに役立つようにって、毎日頑張って身を守る練習をしても、そんなの意味ないって、こんな危ないお願いなんか、誰も聞いてくれるわけないって、ずっと――」
「……よく頑張ったよな」
小さい頃から八年も、五十年以上も自分を持ちつづけて耐えてきた。俺にそんな忍耐はまずできない。
ましてや自分の身の安全にも関わる大事だ。ほぼ確実に己の身のかわいさに屈して、夢など五年もしないうちに諦めてしまっているだろう。
「お前すげえよ」
彼女はむせび泣くだけで、声を出さなかった。
背中に両腕をまわされ抱きつかれてしまったが、そのまま好きにさせてやるほうが良いのだろう。
「アダチ、ありがとう」
「どうってこたねえよ」
結果を出すまでに何十日もかかったのは、ガルの身辺調査に時間が必要だったからだ。
加えて、以前グレアが撃退した襲撃者たちは「役者」だったことが、彼女が捕らえた犯人への粘り強い取り調べで分かった。襲撃を受ける俺達を何者かが助けに入る、という筋立てだったらしい。
護衛になりたかった人物の誰かが依頼者であることは推測できるが、誰が依頼者なのか、はっきりしなかった。依頼者と請け負いの間に第三者の仲介が入っていたからだ。実行役は依頼者の情報を持っていないため、これ以上は聞きだしようもない。かろうじて聞き出せた仲介役の足取りも掴めずにいる。
そんな状態では、依頼者がガルではないことを確かめるために、政務院はより多くの時間をかけて調査するしかなかったのだ。
聞きこみや客観的事実から、主犯の可能性が限りなく低そうだと判断されたガルだが、犯人である可能性がゼロだと証明するためには、悪魔の証明を達成する必要があった。
「なるぅ! 今日のお勉強の時間――」
部屋の扉を開けてクラリが入ってきた。
俺と目が合う。俺達の状態を見て、彼女はすぐに気配を感じとり、声を抑えた。
「――どうしたの?」
「悪いな。今晩の授業はお休みにさせてくれ」
「……うん。ブロウルとリン姉にも伝えてくるね」
クラリはそっと扉を閉めて出ていった。物分かりのいいやつだ。本当に。
「アダチ、いいの?」
それから少しして、ユリカが顔を上げた。泣きはらした目が見えた。
「構わん。話はまだ終わってないしな。契約の詳細についてだ。お前との契約は特殊な形態になる」
「……はい」
「俺と契約する護衛は、ブロウル、クラリ、ガルの三人だ。お前とは表向きの契約を結ばない。お前の存在を政務院の公式な記録から排除するためだ」
彼女は書面上、飛行艇に乗ることのない人物として扱われるのだ。
万一、政務院にユリカと敵対する者がいたとしても、その情報を書面の証拠として与えない。後から飛行艇に関する記録を参照されたとしても、ユリカに関する記録は残らない。
結局どこからか明らかになるにしても、それまでの間の"追っ手"の足止めができるってわけだ。
「そのために、護衛に対する対価が十分に出ない可能性がある。幸か不幸か、少数精鋭の護衛という前例のない形式での護衛になる。一人あたりの護衛に出る予算は前例のない額までハネ上がる。そこを利用して、彼らの報酬をさらに高めに設定して、書面上の護衛報酬から分けてもらう形でお前の報酬が支払われる。恐らく彼らの六割から八割の報酬しか出せないだろう」
「私に報酬なんてなくたっていいのに……」
「それはそれ、これはこれだ。お前を護衛として雇う対価を用意するだけだ……報酬が十分に出ない可能性は、主に二つある」
「それは予算が十分に下りなかったときと、正式な護衛が、お前への費用の分担に協力しなかったときだ」
ガルはどうか分からんが、クラリやブロウルは、話せば協力してくれるだろう。問題は予算の方だ。
「特にこの計画にはカネがかかり過ぎているからな……」
俺は背中に手を回して、彼女の純白の翼を軽く叩いた。
「それでも良いなら契約してほしい。契約書はない。口頭での契約だ。もし俺やあいつらを信頼できないなら、残ったほうがいい」
「いいえ。契約します」
ユリカの言葉に迷いはなかった。力強い目で俺を見上げて言う。
「私は神使様に誓って、命に代えてもアダチ・ミツヒデをお護りすることを――」
「待て待て。そんな契約、俺は結ばんぞ。命に代えるなんて誓ってもらっちゃ困る」
ユリカが神都に帰りたいと願ったことから始まったこの話である。軽く笑っちまった。
「そうね――私、バルザス・リー・ユリカは、神使様に誓って、アダチ・ミツヒデを故郷までご案内することを誓います」
「ここに契約は成立した。メイドの仕事については、出発の当日までお前に任せることになっている。よろしく頼む」
「はい」
「契約は、今晩中にお前からロイドに報告してほしい。『朝露』と言えば信じてもらえるだろう。合言葉だ」
ユリカは頷く。
「ブロウルたちに話をするのは、ロイドに話をつけてからにしよう」
「そうね」
結局、天気は収まることなく雨粒は窓を叩き、雷鳴が轟き、何度も閃光を放っていた。空気を読んでほしいものである。