第5話-B39 キカイノツバサ できること
元貴族のメイドのグレア、古族のクラリ、筋肉のブロウル、そして俺の命の恩人、リンと、リンに付き添うメイドのメル。
六人の大所帯で強制性もなく街を出歩くのは、もしや生まれて初めての経験ではなかろうか。
俺と手を繋いで歩いているクラリは、まさに水を得た魚だった。外に出て歩くことさえ、小さい頃から施設の囲いの内側にいたクラリにとっては、珍しくて心躍るイベントのようだ。
クラリと手を繋ぐ相手がブロウルではなく俺なのは、前衛になる可能性の高いブロウルより、後衛として仕事ができ、かつ安全地帯である俺の近くにいた方がいい、という判断である。
一応、護衛のためのお出かけという名目だし、まあ形だけでも作っておこうじゃねえかということだ。
「お前は手を繋いで歩くのが好きなんだな」
えへへ。クラリはそのでかい尻尾を振ってはにかんだ。
「手を繋いでもらえると、温かくてほっとするの」
「だろうな」
「それにね、手を繋いでくれる人に悪い人はいないって、クラリは知ってます」
ここに来てから幸せそうな様子のクラリであるが、彼女に意地悪を言ってみたらどんな反応をするのだろうか。俺の悪戯心を刺激した。
「ほう。では世の中がそんな善意に満ち溢れていないことを示す反例として、世の中には、年端もいかない幼女に甘い誘惑で手をこまねいて、仲良く手を繋いで誘拐する輩がいることや、相手を利用するため善人の振りをして手を繋いでくる輩がいることを教えてやろうか」
クラリは驚いた様子でとっさに俺と繋いでいた手を振りほどいた。
あんた、ときに生々しいこと言うのね、グレアが引き気味にツッコむ。お前も大概だがな。
「クラリはいい人悪い人分かるから大丈夫だし、私はちっちゃくても大人です!」
「なら、どうして今俺の手を放した? ん? 悪い人はいないんだろ?」
「ん~!! クラリは間違ってないです! でもコウは分かんない!」
「はははっ、だってよ怪しい少年」
一番前を歩いていたブロウルが笑った。それにつられてグレアとメルも笑った。予想外の反撃である。
反撃した当の本人はキョトン顔。どうして笑っているのか、今ひとつ理解が追いついていないようだった。
俺はクラリに手を差し出した。
「意地悪してすまないな。帰ったらお菓子あげるから、俺と一緒に神都へ行こうぜ?」
「それ典型的な誘拐犯のセリフ」
「バレたか」
「もう! クラリのことバカにする!」
そう言ってクラリは俺の腰を両手で突き飛ばした。
「悪かったって」
「もう……」
謝って手を差し出すと、クラリは口を尖らせつつ握った。
「結局手握るのね……」
こんなやりとりの中でただ一人、話の輪に入ることもなければ、表情一つ変えることなく、小難しそうな無表情で別の方向を見ている人物がいた。
リンの迎賓館内での存在感は薄い。
空気のような存在とは、まさに今の彼女のことを指すためにあるような表現だ。俺が飛行艇と護衛の選定諸々で忙殺気味で、リンを思考の庭の外に追いやってしまっていることが、余計に彼女が透明に思えてしまう原因なのかもしれない。
「リンはなにか悩みでもあるのか?」
「あっ、えっとごめんなさい、なんですか?」
飛行機計画の件で人を集めた後、彼女は自分のことを「迎賓館内で浮いているだけで何もしない、ただの重荷である」と言った。
リンを神都に呼ぶ書状が、彼女を迎賓館にいるべき理由を大々的に作ってくれたわけだが、彼女はそれでもここにいるべきではないと感じている。
「さっきから、いい気分ではなさそうな顔をしていたのが気になってな」
「あ……いえ、ちょっと考え事をしていただけです」
その後あった飛行機計画の賛否についての話し合いの場において、リンは他のメイドと一緒に差し入れを持ってきた。
なぜリンはメイドに任せようとせず、自分もメイドの中に混じって差し入れを持ってきたのか。きっと自分がここにいる意味を欲しているからだろう。
部屋に籠もってレゾンデートルを考えたところで、結果は出るのか。頭で思いつく範囲の中で見つからなければ、そこが限界である。
「リン。俺には常々悩んでいるように見えて仕方ないんだが、何を考えてるんだ?」
「それは、私自身のことなので……」
だから、今回はリンも一緒に誘ったのだ。クラリとブロウルの昼食の手配をして帰ってきたグレアに、リンも連れて行こうと言ったら、あからさまに嫌な顔をされたが。
一番嫌なのは、急に弁当に予定変更と言われた料理人だろう。献立もあっただろうに。己の欲せざる所は人に施すなかれというが、俺がそんなこと指示されたら憤死するね。すまん。
まぁ忙しい俺がリンにできるのはこれぐらいだ。気分転換にも、自分がすべきことを見つける機会にもなりうる。
可能なら、飛行機計画に協力してもらいたいところである。俺の心境としては猫の手も借りたいのだ。
「すぐ答えが見つからねえなら、他の人に相談すりゃいい。俺に相談するのが気が引けるなら、暇なアイツに話してみるといい。なぁブロウル?」
「うお? 呼んだ?」
「お前は、リンみたいな女の子からお悩み相談されたらどうする?」
「乗ってやるのが人ってもんだろうよ! どした? カレシができないってお悩みなら一発解決! 俺が彼氏になってやるぜ!」
「……ブロウルは一見アホそうだが、芯はちゃんと持ってる。安心して相談していいぞ」
「あの人はただ単に女の人とお話したいだけな気が……」
「気にするな」
ブロウルの魂胆には当然それも含まれているだろう。妙なことはするが、彼なりに筋が通っている理論を展開するのだ。がっつきはするかもしれないが、長く付き合っていくことになる相手に対して、妙なことはしないだろう。
むしろ、ブロウルにがっつかれて、多少は自分に自信を持てたならば大成功だろう。依存症になるのは困るが。
「あの……これはなんですか?」
早くも機嫌を直したらしいクラリは、俺の手を離し、俺の腰に収まっている金属塊を摘んだ。
「危ねっ! 触るな」
「ひゃっ、ごめんなさい」
実は、出かける一時間ほど前、ロイドに迎賓館裏の広大な敷地に呼ばれていた。行ってみると、彼はメイドを従えて待っていた。
「昨日のこともありますので、有事の際には自衛できる手段を用意しておくべきと判断いたしました」
そう言ってロイドは、護身用の武器を貸し出してくれると申し出てくれたのだ。実際は申し出るというよりも半ば強制的に持って行かせる形で、そもそも持って行かないという選択肢は除外されていた。
俺が死んだとき、一応の対策をしたことを証明しておかないと、自分たちの首が残念なことにもなりかねないからというのが大きいだろう。
ロイドにしてみりゃ昇進もかかった大仕事でもあるだろうしな。
どういう経緯にせよ、武器を持たない俺のために、護身用の武器を用意してくれたのだ。この話にはありがたく乗らせていただいた。
そういう経緯で、歩く俺の腰には武器を装備している。左腰に刃渡り40センチほどの短剣を、そして右腰には、こんなものがこの世界にあるとは俺も意外だったのだが、拳銃である。クラリがさっき触ったのはこれだ。
「にしても、あんたの剣さばき。ヘロヘロすぎて目を疑ったわ」
「俺の国ではな、武器はとうの昔に捨てたんだよ。武器を持ってるのは、趣味か、狩猟か、治安維持のために働く人ぐらいだ。そんな環境だから、個人が武装する必要性もほぼなかった。そういうことだ」
「楽園に住んでいたのね。可哀想に」
「どうだか」
自殺者の出る楽園か。
俺が護身用の武器の選択をするところを、当然グレアも近くで見ていた。
ロイドは最初、俺にいわゆるロングソードを持たせた。剣道は中学以来。空振りをすれば、剣の先端が描く軌跡はぶれぶれで、身体が持って行かれそうになるなど圧倒的能力不足。竹刀とはワケが違うのだ。
「これは、身体を鍛えている人向けのものですので……もう少し扱いやすいものにいたしましょう」
ロイドもこれが扱えるとは期待していなかったらしい。次に、一般人が護衛に持つようなランクの、軽量で短めの剣が渡された。これについてはそこそこサマになっていたつもりだが、ロイドの目にはまだ不安に見えたようだ。
「アダチ様、振り方はこうです。よろしいですか」
ロイドがお手本とロングソードを手にとって振るう。
「イェェアァァ!」
一目見て分かる安定感と、直線的な軌跡。剣が一つ一つ号令を受けて動いているかのような動き。ロイドの剣さばきは想像以上に凄かった。
手本が手本過ぎて手本になってない。
あと数十分もすれば出かけるような状況だったわけだが、その間にロイドの技を再現しろなどと魔法でもない限り――いや、あんなの魔法でもインポッシブルと答えるだろう。
いやいや、簡単だろ? みたいな顔してもムリなものはムリだ。
グレアを護衛枠に仮に入れたとしても、枠がまだ一つ残る。もうその枠は彼でいいんじゃないか? 本気でそう思ったのだが、彼は冗談と受け流しつつ、私は神都に行くつもりはありませんのでと断られてしまった。
結局、護衛のメインに剣を据えることを諦め、拳銃をメインに、短剣をサブに持つことになった。
剣は盾にも攻撃にも使えるため、というのがメインに据えようと考えたロイドの理由だった。扱いきれなければただの荷物である。
短剣といっても、実物を見てみると言葉から想像する以上にデカく、言葉より2割増しくらいの大きさで想像するのが妥当だろう。一応斬ることも可能であるらしいが、こいつの目的は刺突だと教わった。こいつを使わざるを得ない状況に置かれた暁にゃ、俺は恐怖のあまり奇声を上げているだろう。人間そんなもんである。
「にしてもあんなヘロヘロでよく戦おうなんて思ったね、あんた」
「だから言ったろう、例の救出劇については奇跡だったと」
「ホント、どうしてあんたが生きてるのか不思議だわ」
「運に感謝してるぜ」
例の救出劇とは、少女を監禁していた例のグループを俺が助けた話である。今の俺が同じことをやれと言われても絶対にやらないだろう。主に睡眠薬をぶち込むだけの簡単なお仕事だったが……
ブロウルもその話は噂でなんとなく聞いていたらしい。その事実が本当だと知ると、お前やべえなと笑って俺の肩を叩いた。
「コウさんはそんなことをしたのですか!?」
ブロウルと手を繋いで完全に子供扱いのクラリは、話を聞くとそう言って聞き返した。
俺がそうだと答えると、クラリは納得した表情を浮かべ、そっかーと呟いた。
「人助けする人だから、コウさんはクラリを雇ってくれたんですね!」
「単にクラリが優秀だっただけだ。情は二の次でしかない」
……武装の話だったな。
そしてリボルバーだが、なんとダブルアクションだという。真鍮製の薬莢に、球形の鉛が弾丸として入っている。
引き金を引くことで、銃の撃鉄と呼ばれる部分が薬莢底部のスイッチを叩き、その衝撃で薬莢内に充填された火薬が爆燃し、その爆発力で弾丸を文字通り殺人的な速度まで加速する。これが銃が銃として機能するプロセスだ。
何かを拳で叩くためには、一度振り上げなくてはならないのは当然の理であるが、それは機械が何かを叩くときも同様である。
銃におけるシングルアクションとは、銃の撃鉄を予め手動で振りかざした状態にし、引き金は撃鉄で薬莢底部を叩く、発射の動作を行うだけの形式のものを指す。一方ダブルアクションとは、引き金を引く力だけで撃鉄を起こし、振り下ろすところまで行う。
銃の基本的な仕組みは、以前ゲームが大好物のジョーに教えてもらった。テストに出るとこ覚えずして、実生活の役に立つならまだしも覚えたところで何の役にも立たない知識ばかり覚えるジョー。だからあの道楽はいつも赤点スレスレでアウトなのだ。
テストと自分に関係しないことは覚えない主義の俺だが、まさかこんな雑談を覚えていて、それが役に立つかもしれないこの状況は……まあはっきり言ってイレギュラーだろう。
……ジョーのアホ面が恋しくなってきた。ちきしょう。妙なことは思い出すもんじゃないな。
俺が拳銃を握るときは余裕がない状況である。もっとも、余裕がない状況で使うための武器であるので当然だ。
早撃ちに心得のある荒野のカウボーイでもない、ただのトーシロがシングルアクションなぞ持ち歩いたところで、「まず、撃鉄を起こします」なんてやっている間にすべてが終わっている。撃鉄を起こすのを忘れ、テンパって引き金ばかり引いているだろう。死んでたまるか。
ロイドは他にもショットガンを用意していたが、さすがにこれを持ち歩くのは遠慮した。
確かに近距離で弾がバラける散弾を使えば、襲撃してくる奴など一撃で蜂の巣だろうが、味方まで蜂の巣にしてどうする。危険すぎて使えるわけがない。
俺に直接脅威が襲い掛かる時が、必ずしも味方が全滅しているときとは限らない。護衛を請け負ってくれるブロウやクラリに対して失礼である。
なんにしても、ロイドがダブルアクションの銃を選択肢に用意してくれていたのは助かった。
「まさか剣技ができない俺に銃という選択肢があることに驚いたね」
「あんたがいた世界にも銃はあったの?」
グレアが聞く。
「あった。さっき俺は武器を持っているのは限られた人間だけだと言ったな。あの役職が持っているのが大抵銃だ。スポーツの銃、狩猟の銃、治安位置のための銃、刀剣類もあるかもしれないが」
「へえ。俺達の世界ではな、銃は高価だから庶民は持てねえんだよ。正規軍とか貴族とか、力のある奴ぐらいしか持つことができないし、弓の方が遠距離でもよく当たるからな。俺の弓は百発百中だぜ?」
今、俺の腰のホルスターに収まっているリボルバーは、弾丸が六発――全弾装填済みだ。ホルスターから引き抜き、構えて撃つだけでいい。
扱いの練習と試し撃ちは、ロイドと一緒にさせてもらった。しっかり両手で握って、腕を伸ばして構えて撃つ。引き金はゆっくり引く。
迎賓館で試し撃ちをしたとき、陸上部が扱っているようなスターターピストルと近い音がして、撃った瞬間、銃が両手の中で暴れた。一発撃つ度に、反動で暴れる銃と、鼓膜をぶち破らんとする攻撃的な銃声。
何発か練習させて貰ったが、手は痺れるわ、耳はおかしくなるわで、正直あまり扱いたくないシロモノだ。
俺のポリシーに真っ向から喧嘩を売ってるシロモノということも扱いたくない理由の中にはある。だが、相手が殴ってきて、殴り返す他ない状況なら、拳を握るのも仕方あるまい。こんなクズな俺だって……まあ自分のことがかわいいのである。クズさ10%増量中。
練習の最後、ロイドは「非常時は気持ち上を狙って撃て」と俺にアドバイスした。俺の撃ち方だと下に銃弾が飛ぶ傾向があるそうだ。的は素焼きの皿だけにしたいところである。
「でも、相手に向かって引き金を引くぐらいできるでしょ?」
「――まあそういうわけだ、クラリ。コイツは剣も魔法も満足に扱えない俺の最終自己防衛手段ってわけだ。下手に触ると暴発事故を起こしかねないから気をつけてくれ」
「わかりました!」
迎え撃つ実力があるかは別として、俺は人を殺める覚悟なんてついていない。
今朝、出かける準備しているときに、グレアは罪と罰の制度について少し語ってくれた。
Aが罪を犯して捕まったならば、Aは被害の10倍相当の罰を受ける義務を負う。もし、被害者が犯人を捕らえて私的制裁を加える場合、被害に対して5倍相当までの制裁を加える事ができる。
未遂の場合は、原則的に被りそうになった被害と同等の罰を受ける。ただし、命に関わる場合はその限りでなく、危機を脱するために適切と判断できる範囲内において、殺人等を含む自衛が認められている。
抽象的な内容である。別途補足する法律があったり、例外的な決まり事があったりは当然するが、法の基本スタンスはこういうことらしい。
ここでは、自衛のための人殺しが認められている。しかも日本のいわゆる「正当防衛」よりも認定は寛容なようだった。各個人の良心と相互扶助によって、社会は成り立っていると。
だから俺が銃を撃って殺したとしても、正当な理由さえあれば良い。しかも国賓に危害を加えることに対する罰は、一般人以上に厳しい。
俺達が想定している状況下での武器の使用に問題はない。問題は、俺自身の価値観なのである。
自分に覚悟がついていないから、護衛に手を汚させるのと等しい現状。卑怯だよな。自嘲の声が喉から漏れた。
「あー、おっさん、おっさんは要らんかー、知識と経験が豊富なおっさん傭兵は要らんかー」
朝の街の喧騒の中で、ひときわ奇妙な掛け声を聞いたのは、そんな自己嫌悪を噛みしめているときだった。