第5話-B32 キカイノツバサ 血の色
結果として、クラリを護衛として迎え入れることになった。
護衛になるということは、つまり例え自分の命を捨ててでも俺を守ることだ。クラリに守れるかと聞いたとき、俺はきっと即答できないだろうと思っていた。俺と少しは打ち解けたといっても、まだ他人のイメージが払拭できないだろうし、なにしろ最初がマイナスだったわけで、即答できなくて当然である。ところが、クラリは迷うことなく、俺の目をじっと見つめ「守る!」と言い切ったのである。
戻るのが死ぬほど嫌だったにしても、まるで180度転換したかのように思い切りが良すぎた。もちろん、能力的に十分であることは分かっている。採用には変わりないのだが……
「よし。お前の部屋を紹介しよう。クラリ、ちょっとついてこい」
俺は席から立って、グレアも連れて下の階にある護衛用の部屋に向かった。まだ部屋の準備は完全には整ってはいないが、ブロウにも顔合わせさせることも兼ねて、今連れて行くことにした。
クラリの俺との距離はずっと近く、俺の横に並んで歩いている。少しうつむき加減で廊下を眺めるクラリは、物悲しそうな声色で呟いた。
「もう戻れないね。わたし」
「……そうだな」
やっぱり、命を賭して俺を守れるかという問いに対する答えに、内心躊躇していたらしかった。だからこそ、迷いを振り切るためにあえて思い切り良く「守る」と断言したのだろう。そして、クラリのの言葉は自分がしたことに対する確認の言葉。
施設であんなことをされても、やっぱり寂しさは感じるのだろう。みんながみんな、クラリをイジメていたわけではないはずだ。影で優しくしてくれた人だっていたかもしれない。
グレアは何も聞いていないような素振りで、俺の斜め前を歩いて先導している。彼女にも、この会話は必ず聞こえているだろう。
「お前は簡単には戻れないところまできたんだ。自分で、そう選択したんだ」
「……うん」
「でもま、あんな非道いことされる場所に、未練なんざないだろ? 自分の身なりを見てみろよ」
湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすように、あえてさっぱりした口調で言い切った。
クラリの服は、イジメられていたせいでボロボロになっている。お世辞にも新品だとか、綺麗だとか言えないような、正直に言えば小汚い。
クラリは黙って自分の身なりを見下ろした。
「そんな格好にさせたのは誰か、自分が一番良く知ってるよな?」
「うん……」
「お前は見事嫌いな奴らと"あばよ"できたわけだ。それも国賓の護衛に選ばれるという名誉まで付いた。頼み方が少々卑怯だったことに関しては触れないでおくが――いい復讐になったろ。それに、護衛は必ず死ぬわけじゃない。護衛の仕事が無事終われば、お前にデカい実績がつくし、それでそこそこの生活ができるようにもなれる。少なくともイジメるのが趣味の奴らよりはいい暮らしができるに違いない。亡くなったお前の両親さんだって、娘がこんなに立派になったって喜ぶんじゃないのか? いや、俺は親になったことねえから分かんねえが」
「…………。」
「お前に良くしてくれた人が気になるなら、時折"よろしくやってる"と一筆書いて送ればいい。それだけで十分だ。お前のしてくれた選択は、決して間違っちゃいない」
――おまえはな、前だけ向いてりゃいいんだよ。
背中を叩く要領で、クラリの翼をポンと叩いた。
これで、施設への心残りを払えただろうか。分からない。だが間違ったことは言ってないはずだ。俺は普段言わないようなことを言ってまで、というと恩着せがましく聞こえるかもしれないが、そこまでしてもクラリに自信をつけさせたかった。辛い過去と縁を断ち切るチャンスは今日しかないと、新しい暮らしを自信を持って始めさせるにはここで後押しするしかないと思ったのだ。
俺自身、相手が護衛になることに対して迷いがあると、正直余計なお世話だとは思うが、雇い入れた側としてこれで本当にいいのだろうかと、俺も後ろめたさや後悔に似た気持ちを感じる。それはクラリへの肯定であると同時に、自身の迷いを払拭する自己肯定の言葉でもあった。
クラリは顔を上げて、うん。とても力強く頷いた。その顔に迷いの色は一切なく、目に芯が通っていた。俺はちょっとホッとして顔を緩めた。クラリはそんな俺を見て微笑んだ。
グレアは心配するほどに無干渉だった。茶々入れの一つもせず、黙々と先導するだけだった。階段で一階まで降り、中庭を挟んで向こう側の別棟に向かう。
この建物は、宿泊棟と呼ばれるもので、要人の護衛をする人のために建てられた宿泊施設だという。迎賓館はもともと外の国の使者や要人などを泊め、もてなす施設だ。その使者や要人が、護衛を連れてくる場合というのは当然考えられる。というか連れてこないほうが考えられない。そういう理由で、護衛のための宿泊施設も、この国の迎賓館の中に含まれている。
もっとも、信頼関係を築けている国からの使いであれば、使者が護衛の宿泊施設の利用を遠慮して、一部の護衛のみを宿泊棟に留めおき、残りの大多数を相手持ちで街の宿に泊めることが通例になっているという。宿代と、その兵士の遊び代が一種の土産になるわけだ。
実は、別棟があることは知っていたが、それが宿泊棟だということは今朝グレアに教えてもらうまで知らなかった。居住区に向かう前にブロウには会ったが、そのときは彼が俺の部屋に挨拶に来た。こちらから宿泊棟に向かうのは初めてである。
宿泊棟は迎賓館と比べて質素な作りになっているそうだが、今こうして中庭から下から見上げる外観は、迎賓館本館とよく調和されたデザインであり、実際に中に入ってみないと、質素かどうかは分からない。
「わぁ……」
横を歩くクラリも、俺と同じくこれからしばらく暮らすことになる建物を見上げて……いなかった。きらめく目は中庭に向けられていた。どうやらそれより中庭の花やストラクチャに興味があるらしい。
もしクラリではなく美羽だったら、俺の制止を振り切って飛び出していきそうだ。背伸びしなければの話でだけどな。
「自由時間は、ありますか?」
「やることをやってくれるなら、いくらでも自由にしてくれていい」
俺の顔色を伺うように見上げた。「うん」と言ったり、敬語になったりと、やっぱりクラリは俺との微妙な距離感を測りかねているようだった。
クラリはううむと声を漏らして小難しい顔をはじめた。
「自由時間はあるかないかで言えば、あるってことだ。自由時間は自分で決めていい。今は、な」
俺の言葉を聞いて、クラリは嬉しそうに言った。
「じゃあ、今から自由時間を、とりたいです!」
「却下」
宿泊棟内部の装飾は本館と比べてやや控えめだったが。俺の目には比較的豪華に見えた。
ブロウがいる部屋は、上官や将校などが過ごす部屋で、少し特殊な形態になっているらしい。一言で言えば、シェアハウス型の部屋になっているのだ。部屋のドアを開けると、まず話し合いや雑談などができる共有の部屋に入り、その部屋から、各個室の部屋につながっているという。
なぜ高級な部屋を割り当てられたのかというと、「どうせ泊めるなら、いい部屋を割り当ててやろう。減るもんじゃなし」という政務院の粋な計らいだったりするということらしい。が、俺にとっちゃどうでもいい。
ブロウに干し草ベッドが用意された時点で、高級の概念そのものがかすんで見える。例え超高級な干し草のベッドだったとしても。
「ここね」
廊下の途中にある、とあるドアの前で立ち止まって、いつもの不機嫌そうな目でグレアは指さした。このドアの向こうが共有部屋らしい。
俺は咳払いを一つ、そのドアをノックした。
「おい変態、新入りが来たぶっ!」
最後まで言えなかった。というのも、巨大な加速度を持って迫り来るドアと口づけを交わしたからである。「ぬぁおっはぁあい!」と、言葉として認識するにはいささか無理がある奇声が聞こえたかと思えば、強烈な力で弾かれ、斜め後ろに倒れこんだのだ。顔面と後頭部を強打したのは言うまでもない。
「待ってましたぁ……あれ、いつも眠そうな顔してる少年は? 一緒じゃないのか?」
「俺はここだ……バカタレが」
「少年、どこヘ消えた?」
「ドア挟んで向こう側だ。思いっきりぶっ飛ばしてくれたな」
上体を起こしてドアを睨みつけると、ブロウの顔がひょっこりドアから現れてこっちを向いた。
「あ、ああ! 大丈夫か? 俺てっきりやっちまったかと思って――」
「普通にやっちまったという自覚がないのは重症だな。いっぺん生まれ直してみるか?」
「少年が?」
「お前だブロウル!」
「……大丈夫?」
クラリは心配そうな顔をして俺に歩み寄り、手を差し出してくれた。俺のことを心配してくれるのはお前だけだよ。手を借りて立ち上がった俺は、とりあえず部屋に入れてくれと言おうとして、温かい違和感を感じた。手で拭うと、鼻血だった。
「そうそう、アダチ。予め言っておくけど、ここの部屋のドアは外開きなんだよね。ぶつかって鼻血とか出さないように気をつけて」
「お前は何に対して予めと言ったのか」
手遅れ感半端ない忠告である。つうかグレア、俺が鼻血を出したのを確認してから言いやがったぞ。
俺はコントをしに来たわけじゃない。ブロウとグレアを交互に睨みながらそう言った。直後、グレアにハンカチを鼻に突っ込まれた。ぐい。両手についた血も拭き取ってくれた。……手に多少血の跡が付いているが、後で洗えばいいか。鼻にハンカチがツッコまれているという絵も、しかし無様である。
そんな俺を、ブロウは物珍しそうに見ていた。
「へえ、異界人も血は赤色なんだな」
「緑色の血でも流すとでも?」
「まさか。やっぱお前も人間なんだって思っただけさ」
「なるほど。それで、お前の血は何色だ?」
「ん? 赤だけど?」
そう答えた彼だが、特に何も考えてなさそうなアホ面を見る限り、どうやら俺のシニカルな問いがこれっぽっちも伝わっていないようだった。
フン、グレアがここぞとばかりにゲスい顔で笑う。それは理解できない彼を笑ったのか、彼が理解できる問いをしなかった俺に対して笑ったのか。いまひとつハッキリしなかったが彼女のことだ、両方の意味を含んで笑ったに違いない。コイツの血の色が赤なんて誰が想像できるだろうか。俺は顔をしかめた。
「まあ、入ってゆっくりしてけよ。そこのちっこいのについて聞きたいことがあるし」
家主が客人を迎え入れるような口調で俺達を部屋に入れた。ここお前の家じゃないんだが。
俺達は共有部屋に置いてあるソファに横一列で腰掛けた。俺とグレアの間にクラリが座り、俺の横にはブロウが座っている。話題の中心人物であるクラリは、俺の影から筋肉隆々の頭の悪そうな男を様子を窺うようにして見ている。
まずはクラリがここに来た経緯について話をすることにした。当然、行きの道中であった奇襲事件についても話をすると、やはり彼は食らいついた。
「防衛隊に襲われるとかヤバいな」
「護衛いなかったし、ガチで殺されるかと思った」
「防衛隊に攻撃されるって、お前どんなエロいことしたんだよ」
「俺は何もしてないし、しれっと犯罪者に仕立て上げないでもらいたいね」
どう想像したらソレが結果的に防衛隊奇襲になるのか、イマジネーションの足りない俺には理解できない。道を歩いていたら急に襲われた俺に非はあるだろうか。
あの時のことを思い返した今、心拍数が上がっているのが分かった。殺意の弾丸が身を掠める恐怖と緊張感が呼びもしてないのに蘇る。
襲撃内容が「なんとなく」という不可解な理由だったと言うと、さすがにブロウも失笑をこぼした。俺の隣のクラリに目を向けると、申し訳なさそうな表情にくっついている、小さな二つの目と視線が合った。クラリはそう判断させた古族の感性と、俺達の理屈の双方が理解できるはずだ。
「何となくなんて理由が許されるのはゴロツキぐらいだろ」
「そうだな」
「あー、何で俺は大事なときに留守番なんか……何となくだろうが、要人に手出しする奴は皆殺しにするって心に誓った俺の威厳がぁー」
「その物騒かつピンポイントな心意気はありがたいが、そこで皆殺しにすると内戦勃発の回避は不可能な予感がする」
「はは、違いねえや」
あっちから攻撃を仕掛けてきた時点で、そうなってもおかしくなかった。俺があのとき、ブロウを迎賓館に置いてきてしまったことを後悔していたのは間違いない事実である。
「でもさー、俺なんとなくつっても、突き詰めりゃ明確な理由に辿り着くと思うんだよな。すべての事にはワケがあるっつうかさ」
「それは俺も同感だが……」
「あー、そこの少女。どうして防衛隊が攻撃したか分かるか?」
クラリは急に呼ばれて驚いた表情を見せたが、すぐに分からない、と首を振った。
「同じ古族なら分かるかと思ったんだがな……」
ブロウも俺と同じことを考えたようだが、結果は変わらなかった。
その後、ブロウにクラリが採用されるまでに至る話をした。時々思い出したかのようにグレアから茶々入れに若干の不快感を感じながら、であったが。
ブロウはイジメの話を聞くと眉間にシワを寄せた。
「親を亡くしたことが、そういうことを生む原因になるなんてなぁ……いじめるその両目は何を見てたんだろうな」
「おぅ……それは、自分を見てたんだろう」
俺はうろたえた。ブロウにも小難しいことが言えるとは心外だったのだ。
ブロウは馬鹿なフリをしているが、本当は心の内で色々なことを考えてるんじゃないだろうか。自分で確たる信念を掴んだからこそ、余裕でいられるのかもしれない。そう考えても、おかしくない。
「忘れる前にまとめるけど、リンさんがイジメを見つけたお陰で、護衛になったっていうことで大丈夫か?」
「凄烈な中略だが、その解釈で合ってる」
「よし。リンさんが、護衛になったんだな」
「……なってない。」
その記憶力じゃ、考えた端から忘れていくだろう。