第5話-B26 キカイノツバサ チャージド・フラストレーション
「あー」
迎賓館に戻り、明かりもつけないまま早速ベッドに飛び込むと、自然と声が漏れ出た。ふかふかだ。まだ日が暮れただけで、夕食すらもとっていない。今日一日中外にいた疲れは予想よりも大きかったようで、飛び込んですぐ、体が重たくなったのを感じた。
「厄介なやつ雇っちまった……」
ブロウを雇って、本当に良かったんだろうか。確かに戦闘の強さは圧倒的だが、中身が問題だ。アイツを雇うぐらいなら、アピールが鬱陶しくても他のやつを雇ったほうが良かったんじゃないだろうか。そうまで思えて、心までも重くなる。重くなった心が肺を押しつぶすかのように、ため息が漏れ出た。
「実際過ごして無理そうなら外すか」
彼は明日、この迎賓館に移ってくる。旅に出る前に、実際に同じ建物内で過ごして互いを知るためだ。
一応、俺達の指示をちゃんと聞くと約束してくれている。それを本当に守ってくれるのなら問題はないが……
「過ぎたことをどーたら言っても、だな」
こうしている間にもブロウは鼻歌でも歌いながら荷物をまとめてるのだろう。雇うと決めたのは俺だ。もうそれで進んでいくしかない。
しーんという音さえ聞こえてくる静かな部屋。綺麗に掃除されてるおかげで埃っぽくはないが、どこか空気が淀んでいるような気がする。
俺は固まってしまいそうな体を起こし、窓に手をかけた。迎賓館の周囲には物理結界が張られていて、門には守衛もいる。窓を開けても誰かが侵入してくることはない。
観音開きのガラス窓の鍵を外し、窓を手前に少しだけ引き開ける。
風切り音とともに冷たい空気が、待ってましたと言わんばかりにどっと流れこんだ。気持ちがいい。厨房からだろうか、良い香りもする。しかし窓を全開にするとさすがに冷えすぎる。開けるのは少しだけでいい。
頬に風を受けて意識は明瞭になったが、体は依然として重い。このままだと寝冷えになるなと分かっていても、ベッドの上で横になることを我慢することはできなかった。少しだけ横になろう。寝るわけじゃない。
そうは思っていても、やはりふかふかの心地よいベッドの魅力には勝てなかった。
気がつけば朝になっていた。
「あーあ」
無駄な睡眠をとってしまったことを後悔しつつ、ベッドから起き上がる。寝る時間が早かった分、起きる時間も繰り上がったようで、窓の外はまだそんなに明るくなっていなかった。
とりあえず、時計で現在時刻を確認。午前四時五十六分。ネジを回す。ここ最近ようやく習慣になってきたゼンマイ回しだが、まだ意識しないと忘れちまう。
「…………。」
部屋は静かだ。
「……寝るか。」
二度寝宣言。早起きしてもやることが思いつかなかった。再び目を閉じて横になる。昨日のことばかり考えていたせいか、どこからかブロウの声が聞こえた気がした。
というわけで、再び快眠の中へ潜り込んだ俺の掛け布団を、グレアが豪快に引っぺがすことで起床するというここ最近の風景を本日も同様に繰り返し、運ばれてきた食事の前に座る。そして開口一番に言うのである。
「またかよ」
と。
「昨日の分も食べてもらわないと腐るから」
執務机に運ばれてきた食事は、俺が昨日パスした夕飯と今朝作られた朝食のセットという、どう考えても胃もたれしそうな地獄飯。この光景を見るのは二度目だ。
作った料理を食べずに処分することは、俺の中に眠る、「一人暮らしの中で培われたモッタイナイ精神」に反する。しかし、夕飯前にベッドに飛び込んで翌朝まで爆睡してしまったのは一度や二度のことではなく、今回のような仕打ちはまさにゲリラ的といえる。
しかも今回は、朝食が通常の倍近くの量があるではないか。いじめにも程があるというものだ。確かに朝食はいつも量は少なめだから、倍近くになったところでせいぜい昼飯二人前もないだろう。あまり量の入らない朝だからこそ、朝食はその量で足りているのであって、それが倍に、加えて昨日の分まで加わるとなると、それはクリティカルヒットところかオーバーキルである。
「あんたが食べないときはいつも誰かに食べてもらってるんだけど、たまにはシメないとね」
「俺の胃を壊す気かっての」
「寝る前に『要らない』って一言いっておけば、こんな事にはならなかった」
「少し横になるつもりだったんだよ」
「うだうだ言わずに用意したんだから大人しく食べたら?」
最近グレアの俺に対する接し方が、心なしか少し変わったかと思っていたが、なんということはない。初めて会ったときと、態度は変わらない。
さて、目の前に広げられた、依然として豪華な食事をゴミにするわけにもいかない。俺はグレアを睨みつつ、胃もたれ覚悟でそれに手を付けた。
「……で、今日の予定は?」
口を動かす合間を縫って問いかけると、グレアは自分のメモを取り出し、それを見ながら予定を読み上げた。
「午前中に変態が一名襲来、門の守衛と一悶着の後、午後から古族の居住区に行って雇えそうな人を探す予定」
「やけに具体的だな」
「もう終わった予定だし」
「なんだと」
俺は食事の手を止めた。今はまだ午前であるから午後からの予定は未来の話であることは明らか。つまり、それはブロウがすでにこの迎賓館に来てるということだ。時計を取り出す。針は午前八時半を指している。
「朝五時よ、五時!」
グレアは顔をしかめて迷惑そうに言い放った。
「今日午前中に来る予定ということはオッサンから聞いてたけど、まさかあの時間に来るなんて」
「健康優良児じゃないか」
俺が早朝聞いたブロウの声のようなものは、まさに本人の声だったらしい。
グレアは俺の返答が気に入らなかったらしく、ジト目で睨みつけた。俺も分かってて言ってる。嫌がらせに対するささやかな報復のようなものだ。
「部外者はいいよね。早朝から荷物運びの手伝いとか部屋の用意とかしなくて済むから。なんで私が部屋の準備に駆り出されなきゃいけないのよ。貴重な私の時間を潰してくれてさ」
「お前も早起きなんだな」
「自由時間は早朝か夜しかないの。わかった?」
俺を起こしにくる時点で、彼女はすでに仕事をしているわけで。早起きして朝から夜まで働く彼女にとって、その時間帯はさっきの発言通り貴重なものであることは俺にも理解できる。
朝食にこの量は辛く、俺は手に持っていたナイフとフォークを皿の上に置いた。グレアは俺の動きを冷ややかな目で追う。ちゃんと完食するんだよねと言わんばかりの圧力である。そんな視線に耐えつつ、お茶で喉を潤した。
「そういや、俺がここに来たときに、この部屋の準備をしたのも確かお前だったな」
「そうだけど?」
「じゃあブロウのベッドは?」
「干し草以外に何かある?」
「ひでえ」
もはや通過儀礼のようにも思えてくる干し草ベッド。あの嫌な背中に干し草が刺さるチクチク感を鮮明に思い出させられる。
だいたいベッドにするだけの量の干し草を、一体どうやってロイドに見つからないよう部屋に運び込んだのか気になるところ。そしてよくよく考えれば、俺の部屋をグレアがセットしたとき、誰もセットした部屋をチェックしていなかったという事実が浮かび上がってくる。恐ろしいことに、だ。
普段の彼女の行動を知るものとしては、一人でセットからチェックを任せられるだけの信頼を寄せられているとは思えない。いや、逆に信頼されていて、それにつけあがった結果こうなったのかもしれない。もしくはそもそもチェックなんていう作業は存在しなかったか。いずれにせよ、干し草ベッドはひどいという事実には変わりない。
「ところで実は、ここだけの話なんだが――俺はアイツを雇ったことを……後悔している」
「満足してるなんて言ってくれた暁にはお仕置きしてやるところよ」
「そのあとお仕置きされるのはお前なんだがな」
主にロイドからの減給処分によって。
「私はあんな人だろうと大体予想がついてたから。獣相手に素手で戦う時点でイカレポンチな感じはしてたし、喫茶店で実際に会って話してるところを見て、やっぱりって思った」
「今回の一件で、俺には人を見る目がないということが分かったね」
「授業料は高くつくのかどうか、出発してからのお楽しみね」
「どういう意味だ」
「さあね。道中無理だと悟ったら、大自然にでも帰したらいいじゃない」
「ヒトデナシ検定三級ぐらい余裕で取れそうだな」
グレアはムッとして何も答えなかった。
大自然に帰すというのはつまり、旅の途中で一人置き去りにする事に他ならない。場所にもよるだろうが、近くに集落もないような場所で一人置き去りにされてしまえば、一人で生きていくのは難しいだろう。流れ的に本気を含んだ冗談のような気がして、いくぶんおぞましい気持ちになった。彼女のことだからただのキツい冗談だろうと思いたい。
彼女は今朝の件でブロウに対して私怨をたっぷりチャージしているようで、そのせいで普段の外道っぷりに拍車がかかっているらしい。その気持ちは理解できるんだがな……
「…………。」
話が止まったたので、ここで食事休憩を終了とし、再びナイフとフォークを手にとった。胃袋はおおかた満員御礼状態であることを指している。だがあともう少しだけ詰め込んで頑張る。健気な俺。どうしても無理なら残させてもらうことも視野にいれる。
「……ぐっ」
駄目だ。何回か咀嚼して飲み込むことを繰り返しているうちに、とうとう飲み込むのも精一杯の状態になってしまった。飲み物で流し込む作戦も、いよいよ効かなくなってきた。広げられた食事の半分強で撃沈である。まだ手を付けていない品も多い。
そんな状況下で、どこからともなく福音が聞こえてきた。それも文字通りの福音である。
その発生源は俺の近くにあり――といえばもう分かるだろうか。
「なんだお前、腹減ってたのか」
「ち、ちがっ! ちょっとお腹の調子が悪いだけだから!」
「なら、お前のその顔をどう説明するのか、聞きたいところだな」
グレアの顔は急激に真っ赤になっていた。
いつぞやの俺も、空腹に耐え切れず、説明会会場で食べられるものを探したという、同じような経験があるので断言できる。恥ずかしいと。否定したい気持ちも分かる。
同じ痛みを知る者として、ここで引き下がってもいいのだが、普段の行いがいまひとつ良くないグレアである。ささやかな仕返しとして、意地悪ぐらいしてもいいだろう。
「本当に腹を壊したのなら、顔は赤くなるのではなく青くなると思うんだが」
そういうと、グレアはうつ向いたまま、渋々といった感じで認めた。
「ブロウがあんな時間に来るから、朝食がとれなかったの。おまけに部屋のセットなんて重労働を任されるし」
「災難だったな。それと、たった今利害関係が成立した」
朝食を食べきれない俺と、空腹のグレア。俺が食べきれずに手付かずのまま残したものを食べてもらえばいい。
「食器もう一つ持って来い。俺はこれ以上は食べきれん。お前が食べてくれ」
「いいの?」
「叱る奴なんていねえよ」
グレアは気まずいような恥ずかしいような、複雑な表情を浮かべ、そろりと足を動かして部屋を出ていった。部屋を出るときの彼女の足取りは、歩きだした時とは比べ物にならないほど軽やかだった。
「……してやられたか」
グレアが今日いきなり昨夜の分も含めた食事を出してきたのは、まさかこれを狙っていたんじゃなかろうか。わざと量の多い食事を出して、残った分をいただくつもりだった。そんなシナリオも考えられ……ないか。
もしそうなら、グレアは前日の時点で明日早朝にブロウが来ることを予知していなきゃならん。グレアが俺に対して嫌がらせをしようと思い立って食事を保管しておいたところ、偶然自分が食べられなかった。どうしたものかと頭を働かせた結果、朝食を倍に増やし、加えて昨晩の食事という、完食は非常に困難なコンボを俺に決め打つことでストレス解消と残り物を自分のものにするつもりだった――この説は事実と矛盾しない。
戻ってきたグレアに問いただしてみると、開き直りでもしたらしい。あっさりそうだと言われた。
しかしそれにしても、そんなに欲しけりゃ俺に出さずともそのまま食べてしまえばいいものを、なぜそんな非効率なことをしたのだろうか。俺がグレアと初めて会ったときに「面倒事は嫌いだ」と言った。そんな彼女がそうしたのだから、何かしらの理由があると思うのだが……俺には分からない。
彼女も彼女で、最近様子が変である。