第5話-B11 キカイノツバサ 国賓、残飯を漁る
演説パートは分からなくても大丈夫です。
飛行機発明計画の発表会場、迎賓館の大広間。俗称、賑わいの間。何の捻りもないこの空間に招待したのは100名。だが、お偉いさんにもなれば部下を引き連れやってくるのは常識らしい。それを計算に入れて400人ほどが来ると見込んで夕食会の準備をしていたが、アテは外れてしまった。400人にしては異様に人口密度が高い気がして、そっと大広間を出る。すぐの廊下に立っていた管理者のロイドに、どれぐらい来ているのか尋ねる。想定より260人ほど多い664人が参加ということだ。異例の人物が開く奇妙な説明会ということで人が押しかけたらしい。参加人数を数える係の人もカウントするのに苦労しただろう。
話によれば想定を上回る数に厨房が火を噴き、食材の追加調達に日雇いのバイトやメイドがナクル内を奔走中だという。それでも食材が追いつかず、果ては作るものがなくなった料理人までもが調達に出かけているという。立食バイキング形式にしたから何とかなっているものの、もしこれがコース料理だったら全員分まわらなかっただろうと、ロイドは身震いする。不幸中の幸いだ。
(正味、人数少ないほうが俺としては気楽なんだがな……)
小心者は心の中でごちる。
「こういうときは自身も食事を取りながら挨拶回りをしておくものだ」と別れ際にグレアから偉そうに言われたが、んなの冗談じゃねえ。いや挨拶回りが面倒で言ってるわけじゃない。招待した人物の名前は一通り覚えているが、逆にいえばそれしか分からないのだ。
俺を探すのは、招待客にとって容易だ。黒髪の翼のない、この世では珍しい黒スーツを着た青年、つまり見かけない目立った奴を探せばいいだけ。招待された客同士でも、顔見知りだったり日頃からよく名前を耳にする有名人だったりするわけで、顔と名前は自然と対応してくる。
対する俺はどうか。顔見知りなんているわけがない。いるとしても警邏隊のツバかけ仙人ぐらいだ。名前と顔の対応なんてまず無理だし、そもそも名前を見ても男なのか女なのか見当すらつかない名前もある。話しかけるどころの話ではない。名前ミスはあってはならないのだ。
招待状を送付したその日から名前だけは出てくるよう、俺の嫌いな気合いと根性で頭に叩き込んだため、本人からファーストネームが出れば百人一首の要領で名前が浮かぶようになった。だからまず話しかけられたら、さりげなく名乗ってもらい、名前に対応する顔を覚える。中にはこれから頻繁に顔を合わせる人もいるはずだ。何度も名前を聞くような無礼がないよう、そういう地道な努力で何とかしのぐしかない。
「一度で100人の顔と名前を覚えろとか無茶にもほどがある……!」
忘れる自信がある。絶対と言ってもいい。頭をどこかに打ち付けて奇跡の力で驚異的な記憶力を得るか、ドラマや映画でよく出てくる顔検索システムを頑張って脳に移植しない限り。
さて、グレアは食事をとりながら挨拶回りをしろと言ったが、俺1に対して参加者600という、どう考えても極端でリンチな比率なのだ。まともに出来るわけがない。挨拶回りが精一杯で食事なんざまともにできなかった。こっちで話して一息ついたと思ったら別の人から即話しかけられる。もう、水を飲むので精一杯。むしろ全員に挨拶コンプリートするぐらいの勢いで挨拶するには、食べ物を口に入れる余裕なんてない。
あーもう喉も痛いし口の中渇いてきたし散々だ。挨拶に疲れて人ごみの中ふと上を見上げれば、壇上の隅っこのほうにメルの姿があった。約束の時間になったらあの場所に集合とメルと打ち合わせていたのだ。慌てて懐中時計に目をやる。おっと5分過ぎてる。
(やべえ)
会場の中人ごみをそっとかき分けながら集合場所を目指すも、途中何度も招待客から声をかけられ、なかなか前に進めない。無視すればそれも相当な無礼であり、場合によってはそれが原因で社会的に抹殺されるケースにまで発展したこともあるらしい。これから飛行機作りを手伝ってくれと頭を下げる身分で無視なんざ恐ろしくて出来やしない。また話しかけられた。え、「飛行機ってなに」? またその質問ですか。ええ、今からそれを説明しに壇上へ上がろうとしたところを貴方が捕まえたんですよクソ野郎。……ということで、招待客は飛行機というものが何なのかすら知らないことも分かっていただけただろう。本当なら招待状と一緒に大ざっぱな概要の説明をつけた紙も送りたかったが、時間の関係でできなかったのである。
「すまん、大分遅れた」
結局メルのところまでたどり着けたのは、約束から20分も過ぎてからだった。時計が15分ズレていたとしても、少なくとも5分の遅刻は確実。人ごみをかき分けて進むのは大変で、まるで走った後のように呼吸が落ち着かない。メルと視線が合う。自分の不手際で遅れたことを詫びた。
「私も色々忙しくて今来たばっかりですので、気にしないでください」
メルは笑顔を浮かべて答えた。その気遣いが痛い。アイツ20分も遅れてきたんだぜ、みたいな愚痴を同僚にこぼされても文句言えねえ。陰口言われるのが恐ろしい。いっそのことここで罵ってください。お願いします。
……ってHENTAIか俺はっ! メルからスピーチ用の原稿用紙を受け取って壇上に上がった。ここからだと会場の奥の人の顔まではっきりと見える。会場にいる人の顔がこちらを向き、数秒後には完全な静寂が大広間を覆っていた。全身で緊張を感じる。
会場にいるのは、皆俺より年上の聡明そうな人ばかり。以前音楽祭のステージに引きずり出されたときは友達と一緒だったし、観客も同年代がほとんどだったから大丈夫だった。今回は遊びじゃない。政治レベルのお偉いさんを相手にした説明会だ。失敗は許されない。
(うー……)
想像するだけで思考停止しそうだ。冗談抜きで今から説明役を慣れてそうなロイドに代わってもらおうか。もちろん、そんなことができないのは分かっている。大丈夫だ、みんなカボチャだと思えばいい。
「えーと、トリックオア、じゃなくてご歓談中失礼、ではそろそろ本題に入らせていただこう」
拡声器が存在しないので声を張り上げる。あっぶねぇ、カボチャ繋がりでハロウィン思い出したし。緊張するととんでもないこと口走るようになるらしい。しかもこんな事言わなくてもすでに静かだっつーの。
「ここに集まってもらったのは飛行機発明計画の概要説明と、皆の協力の呼びかけが目的である。
まずは自己紹介からいこう。俺の名前は足立光秀。
この計画の立案者の一人であり、歴史上まれに見るであろうしがない国賓だ」
とりあえず小さな笑いだけはなんとか取っておく。え、スベってる? 俺の緊張が解けりゃそれでいいんだよ。俺はそれと同時に大広間の壁に一列に並んで待機していたメイドに、紙飛行機と概要を簡潔にまとめた書類を配るよう視線を送った。メイド達が頑張って配っている間に、神都への招待状が来たこと、神都へ行くための手段がないことを説明した。その説明が終わると同時にメイド長の方から「配り終えた」のマルサイン。タイミングが熟練されているというか、完璧すぎて緊張してしまう。紙飛行機飛ばしてサボってるような連中でも、やるときゃやるらしい。
「さて、神都への手段がないということは、神都へ行くには何らかの手段を"作る"必要がある。
そこで手段を作る方法の1つとして最も有力だと結論づけた案、それが飛行機の発明だ。
今、皆の手元にある紙でできた小物は紙飛行機という。元いた世界ではありふれたオモチャだ」
演壇に用意してあった紙飛行機を高らかに見せ示す。
「そしてこいつは水平に投げると――」
隅のほうで出番待機しているメルに向けて飛行機を投げた。滑空するその物体にざわめきが起こる。
「このように飛ぶ。これはただ紙を折っただけで魔法は一切使用していない。
ただの紙切れから物理法則を利用して空飛ぶ道具になったということだ」
メルは足元に落ちた紙飛行機を拾い上げると、わざわざそうしなくてもいいのに投げ返してくれた。作るのは上手だが、投げるのは下手だった。力み過ぎで投げ返された飛行機は上昇しながら最高点に達する。直後失速し、飛行機は俺の頭上を飛んでメルと反対側の隅へ飛んでいった。メルが慌てて取りに行こうとするのを腰の手でそっと制して話を続ける。
「極端な話、手元にある紙飛行機を巨大化させ、人が乗って操れるものを作ろうというのが今回の話だ。
俺の住んでいた世界では、100年以上前に二人の男、ライト兄弟が空飛ぶ乗り物、飛行機を発明した。
元住んでいた世界には魔法というものは存在しない。
つまり物理法則のみを利用して彼らは空を飛んだということだ。
そして人が乗れる空飛ぶ乗り物、つまり飛行機はすでに実用化されている。
今では技術的な改良も進み、数百人の人間とその荷物を積み、一日もしないうちに遠方の国まで飛ぶことが出来るほどになっている。
もしここにその飛行機があれば、俺は飛行機に乗って神都へ行くことができる。
ここに皆を集めた理由はもう分かるだろう」
俺はそこで一旦話を区切って深呼吸。脳裏にいろいろな問題が山積みになっていることがよぎり、次の言葉をためらう。ここまで来たんだ。もう後戻りはできない。そうだろ? やるだけやってみるって決めたんだろ? 迷いを打ち消すようにもう一度深呼吸。口を開く。
「世界初の"飛行機発明計画"――機械の翼発明計画に協力してもらいたい」
「…………。」
「………………。」
「……………………。」
静寂。壇上から見えるその顔はどれも驚愕を隠せない様子だった。まあ、俺だって逆の立場でUFO発明計画に協力してくれとか言われたらアゴ外すだろう。もともと魔法が主で成り立っている世界で、技術の塊とも言える飛行機をつくろうなんて計画は突拍子も無いものだったに違いない。有翼人であればなおさらだ。
一つ、拍手が響いた。それが合図になって拍手が指数関数的に大広間に響き渡った。短く簡潔にまとめてみたんだが、理解してくれただろうか。聡明な彼らのことだから理解してくれたものとして、ひとりきり拍手が止んだのを見計らって超おおまかな飛行機作りに必要なアイテムの説明に移ることにする。
「もちろん、初めて造る飛行機にそんな壮大で高性能なものは求めていない。
俺が空を飛べ、神都まで無事にたどり着けられるものでさえあればそれでいい。
それを実現させるだけでも充分難しい乗り物だ」
「さて次に、飛行機に必要な2つのアイテムについて説明する。
人や鳥が飛ぶとき、羽ばたく時と翼を広げたまま滑空する時の2種類の飛び方があるのは周知の事実だ。
紙飛行機の飛び方は後者になるのは、羽ばたかないことから容易に想像できる」
「しかし、滑空だけではいつか地面に落ちてしまう。つまり羽ばたくことが必要になる。
羽ばたくということは、簡単にいえば翼で空気を押し、その反動で加速するということだ。
それをしなければただの滑空でしかない。
つまり、飛行機に空気を押して機体を加速させる仕組みを組み込む必要がある」
「では、『機械の翼を羽ばたかせよう』と考えるかもしれない。だが、実現は難しい。
仕組みが複雑化するのは避けられないし、それだけ部品数が増えて壊れやすくなるからだ。
堅牢な飛行機を作ろうとするなら、羽ばたくという方法は現実的ではない。
そこで、元いた世界ではこのような方法で飛行機を加速させた」
そこで俺はメルを呼んだ。メルの手には説明のためのスペシャル紙飛行機。紙飛行機の先端に赤くて太い毛糸が括りつけてあるものだ。俺が飛行機側を持ち、メルは毛糸の反対側をつまんでお互い離れる。毛糸がピンと張った。
「滑空する飛行機を『何かで引っ張ってもらう』もしくは、『何かで押してもらう』という方法だ。
言い換えれば、滑空させる翼と加速させる装置とに分けるのだ。
そうすれば、翼は羽ばたかなくても済むし、進行方向に十分な力を与えられている限り地面に落ちることはない」
「この紙飛行機を滑空する鳥、赤い糸を鳥を引っ張るロープだと考えてもらえれば分かりやすいだろう。
つまり、"滑空する機体"と"機体を加速させる装置"の2つがあれば墜落しない飛行機は出来上がる。
飛行機の発明に必要なのは、この2つ。
この2つの道具を発明したい。重ね重ねになるが、皆の協力をよろしく頼む――」
こんな感じで、もし俺が聞き手であれば5秒で熟睡できるような話は続いた。要は「機体とエンジン作りたいからよろしく」と言いたいのだが、飛行機も動力機関の概念もない彼らの協力を得るためには、どういう理由でこれこれこういうものが必要だ、というのをきちんと説明せにゃならん。ガキにモノ教える教師は偉いよ。その点だけは尊敬するね。
一通りの話を終え、今の話についての質疑応答タイムに入った。壇上に立つ人間と質疑応答をするという文化はなかったそうだが、それでも多くの人が率先して質問してくれた。質疑応答は答える方は大変だが、質問者が話をどれだけ正しく理解してくれているのか、その理解度が分かるというメリットがある。勘違いされたまま欠陥飛行機なんて作られたら、俺の命がいくつあっても足りない。
「今回の話をまとめると、滑空する道具と、加速させる道具。これだけ作れば、飛行機は完成するということでよろしいのかな」
「他にも飛行機をコントロール……制御する仕組みも必要だが、突き詰めるとその2つになる」
さすがお偉いさんだけに、質問内容はきちんと的を射ていて、飛行機とエンジンについての理解は完璧だった。ギルドの人はよく分からなそうな顔をしていたが、話を理解した近くの人から説明を受け納得したような様子だった。
色々ドタバタはあったが、2時間半の説明会は無事終わった。お偉いさんだからカタブツが多いのかと思っていたが、案外朗らかそうな人が多かった。もしかしたら見かけだけかもしれないが、それでも最初からどこかのメイドのようにあからさまに食ってかかるような人がいなかっただけやりやすかった。
「はぁ」
招待客が帰って、迎賓館の人しないなくなった大広間。最後の招待客を門まで見送って、部屋に帰らず戻ってきた。後片付けは任せてくれとロイドに言われたが、壇上に用意していた原稿用紙と道具だけは自分で持ち帰ることにしたのだ……というのは口実である。
「――腹減った」
実際はバイキングの残り物を漁りに来たのだ。そこ、浮浪者とか言うな! 夕食会なのに固形物を一切口にできなかったとか、どこの番組の罰ゲームだ。原稿用紙を脇に抱え、道具を片手に持って、バイキング料理が積まれていた食器の前に立つ。見下ろす食器は、やはり空っぽだった。それもそうだ。食材不足で奔走するほどだったのに、料理が余るはずがない。大広間のあちこちに点在するバイキングはどれも空だった。
「なんか、虚しいな……」
腹が減っては戦はできぬと先人は言ったそうだが、そんなの嘘っぱちだ。ここに、空腹のまま2時間半の説明会を完走した俺がいる。もしかしたら俺には修行僧になる素質があるのかもしれない。嬉しくねえ。境遇が似ているからだろうか、無理な買い物してモヤシ生活になった時のことを特に意味もなく思い出した。
とうとう、料理人がバイキングの食器を片付け始めた。中には何もないのに、黙々と持ち去られていく食器を見ると、ちょっと待ってくれと言いたくなってしまう。今まで大人しく我慢してくれた腹の虫が、もう限界とばかりに悲鳴を上げた。
「……まあ、人間生きてりゃこんな日もあるさ」
1回メシ抜きになったぐらいでは死にやしない。そう自分に言い聞かせる。だが、最後に残ったあの未確認の食器だけは確認しておこう。もしかしたら奇跡があるかもしれない。昼からドタバタ動きまわってのメシ抜き。リバウンド確定のダイエットと、やっていることは同じだった。ダイエットに失敗する気持ちが、今の俺なら理解できる。最後の食器の前に来て一息。それから諦め半分で中を見下ろす。奇跡。天は俺を見放してなどいなかった。レタスのに似た大きな葉っぱが一枚だけ、手を付けられずに残っていたのだ。
これ……食っていいよな?
食べ物を探しにきたというのに、いざとなると後ろめたさを感じて、手をかけることをためらってしまう。これを口にしたら、更に空腹感が増すんじゃないのか? 食べない方が良かったと後悔しないか? 今までの経験が疑問を投げる。静かな大広間に黙々と片付けをする音だけが響いているからというのもあるかもしれない。結局、中途半端に手を伸ばして一時停止。遠く背後から女の人の話し声と控えめな笑い声が聞こえた。振り返る先にいたのは、壁に背もたれながらこちらを見て笑うメイド2人組であった。
もしかして、うろついてるのに気づかれたのか? 気付かれないようさりげなく確認してたつもりだし、気付かれないだろうと思っていた。だが俺が彼女なら俺を見てクスクス笑うのはやはり感づかれた以外にはない。強烈な羞恥心。自然とうつむいた。頭に血がのぼっているのは自分の顔を見なくとも分かる。もう顔は真っ赤だろう。視線をそっと食器に戻すが、そこにはもう何も置かれていなかった。今ここまで食器を持って厨房へ戻っていく料理人の背中が見えた。俺が背後を振り返った隙に回収したらしかった。フン、たかが葉っぱ一枚、食っても食わなくても同じに決まっている。……惨めに思えてきた。
「あの」
「っ!」
急に声がして肩を叩かれた。瞬間びくついて、その主に顔を向ける。同時に脇に抱えていた原稿用紙を床にぶちまけた。
「……何だお前か」
「あ、ごめんなさい」
肩を叩いてきたのはリンだった。驚かせるなよ。今度はリンが慌てて原稿用紙を拾おうとする。一人で拾えるからと断って、用紙を拾い上げた。落としたお陰で順番は無茶苦茶になったが、もうこの用紙は使うことがないだろうし、整頓しなくても大丈夫だろう。さっきまで食器が置かれていたテーブルの上で用紙を揃える。
「手、また怪我したんですか?」
「ん、ああこれか」
紙飛行機を作ってたらいつの間にか右手が切れてた。流すようにそう説明した。傷口にはかさぶたが筋状にできて、そこだけ盛り上がっていた。
「それに顔、赤いですけど大丈夫ですか? 熱はないですか?」
「俺みたいなクソッタレが風邪ひくわけないだろう」
「もう、国賓なのにそんな口汚い言葉使わないでください!」
国賓がクソッタレなら一般人は何なんですか、そんなことも言われた。正確に言えば、お前ももう一般人じゃないんだけどな。なぜリンがここにいるのかと問うと、説明会の後始末を手伝いに来たんだそうだ。見渡せば、今度はテーブルクロスを折りたたんで回収していた。クロスが回収されたテーブルは、メイドや料理人が数人がかりで持ち上げて部屋の外に運び出し。 一旦荷物を演壇に置いて、彼女の手伝いに俺も参加することにした。このまま何もせずに帰ったら、ただ残飯を漁りに来ただけの残念な人と思われかねない。
「手伝うって、偉い人がこんなコトしちゃダメですよ」
「そんなの肩書きだけだ。中身はなんーの取り柄もないフツーの人間。
つまりは成金だ。よってヨイショされて付けられた肩書きなんてどうでもいい」
「もう……ロイドさん?に見つかっても知りませんからね」
「いや、俺なんも悪いコトしてねえし、しようともしてねえし」
半分怒るようにしてリンは口を膨らませた。とりあえず二人で協力してテーブルクロスの片付けを手伝うことにした。こっちのほうが楽だからというのがテーブルクロスを選択した理由のほとんどである。
「今日の説明会、会場の入口から覗いて見てました」
「そうなのか。全然気づかなかった」
「壇上に上がっても堂々としてて、格好よかったですよ」
リンはそう言って笑顔。みんな机に隠されて見えなかっただろうが、俺の足は生まれたての馬が必死に立とうとしている姿に劣らないぐらいガクガクだった。初めての演説でガクガクしないやつの神経がおかしい。正直、今も床に足が付いているのか疑問なぐらい足がふわふわしている。
「ところで今日は掃除しに行ってたって?」
「はい。自分の家がどうも恋しくて」
テーブルクロスを大雑把に畳みながら聞いてみると、リンはそんなことを口にした。つまりホームシックということだったのか。
「やっぱり、家にいると落ち着くのか」
「あまり大きな声では言えませんけど、ここは居心地の良いような悪いような、こう、馴染めないんです。
この間コウさんの私物を取りに戻った時、家に入ったら『あ、やっぱりここが自分の居場所なんだ』って」
「まあ、ここは家じゃなくて一種の宿泊施設だしな。神経磨り減る気持ちは俺も、同じだ」
テーブルクロスの端を持ち、大きく上下にはたく。このクロスは誰がやらかしたのか、なにか食べ物を取り落としたような湿ったシミがついていた。
「あの、コウさん」
「なんだ」
少しの間を置いて、同じようにリンもテーブルクロスを大きく上下にはたいた。
「その、そろそろ私は家に帰ろうかなと思うんです。体調ももう大丈夫ですし、私一人でも暮らせますし」
「でもついて行きたかったんだろ?」
「これ以上は迷惑をかけたくないんです。迎賓館の人にも、コウさんにも。
それに私、ここでは浮いちゃってますから。
何もしないくせに、コウさんにぶら下がってついてきて、お手伝いさんまでつけてもらって。
ここで10日ほど過ごしてやっと分かりました。今の私は、ただの重荷なんだって」
確かに、最初ここに来るときは「リンの体調が良くなるのを見届けておきたい」というのを口実に俺はリンをここに連れてきた。俺も時期が来たらリンを家に帰さなければならないと思っていた。だが、事情が変わったのだ。昨日ロイドが、リンについて大事な用件があると俺の部屋まで訪ねてきた。奇妙な内容の通達が迎賓館に届いたのだ。なぜリンに直接ではなく俺に言ってきたのかと問えば、ここに入るとき、書類上リンは俺の手下という扱いにしなければならなかったからだそうだった。
俺は事情が変わったことを、リンにはまだ知らせていなかった。どうしてそうなったのかもよく分からない。だが変わってしまったものは変わってしまったのだ。
「だから私、向こうでまたお花屋さんをやろうと思います。
花に囲まれながら生活する方が、性に合っていますし」
「あのさ、リン。
本当はこれが一段落した明日にでも言おうと思っていたんだが、せっかくだから今言っておこうと思う。
実は昨日、奇妙な内容の通達があった」
俺がそういうと、リンは首をかしげた。
「奇妙なって脅迫とか、ですか?」
「脅迫? いやいや、そこまで物騒なものじゃない。
"お前宛て"に、いや、"お前のことと思しき"と言ったほうがいいか。
どうしてかは誰にも分からん。だがこれは事実で、調べによればデマである線は薄いということだ。
本当に謎なんだ。貴族でも異界人でもない、普通の一国民宛ての通達なんて前例がないらしい。
もっとも、異界人宛ての前例を作ったのは俺らしいが」
「……冗談、ですよね?」
「冗談じゃない」
「うそ……」
「リン、なぜかお前宛ての王命が届いた」