第5話-B10 キカイノツバサ 動き出した計画と高すぎる壁
「そーれい!」
飛行機を発明しようという結論を4人で出した翌朝、迎賓館では恐ろしいことが起きていた。朝食を終えてロイドに計画のことを伝えるべく、グレアと二人エントランス3階の吹き抜けに出た。ロイドは別館にいる。別館に行くには一旦一階エントランスまで下りる必要があるからだ。するとなにやら階下が騒がしい。そう、3階の手すりから下を覗くと、無数の紙飛行機が飛び交っていたのである。
「本当、折るだけで飛ぶって不思議ね!」
主犯はメイド達だった。何かのイベントがある時、例えば大人数のパーティーなどに対応できるよう館内で働くメイド人員は多く確保されているらしい。つまり暇なメイドもいるわけで、その暇人が紙飛行機で遊んでいると。昨日の3人のうち誰かが紙飛行機の作り方を教えたのは想像に難くない。昨日の様子でこうなるかもと頭の片隅で一部予想はしてたが、まさか現実になるとはな……茶目っ気があるといえばいいのか、フリーダムといえばいいのか。ただこれだけは言える。ヤツらは給料泥棒だと。
「グレア、お前が教えたのか?」
「私じゃない。多分メルちゃん」
隣で下を覗くグレアに聞くとそう答えた。確かにあれだけ楽しそうにしていたメルならやりかねないと納得。グレアは手すりから身を乗り出し、階下で遊ぶメイド達に向かって声を張り上げた。
「ちゅうもーく!」
その声でほとんどのメイドがこちらを見上げた。何をするのかと俺も視線を階下からグレアに戻すが、彼女は何もしなかった。一言「行くよ」と階段をスタスタ勝手に下りていく。それだけかよ! 慌てて追いかけた。
一階まで下りると遊んでいたメイドらが、みな両手を後ろに回して両壁に並んで整列していた。それを見てようやくグレアの意図が分かった。グレアは自分ではなく俺を見せたかったのだ。今から下りるから邪魔だぞと。
両側に並んで俯く彼女達。今まで飛び交っていた紙飛行機が見当たらない。叱られるとでも思って後ろ手で隠しているんだろう。そういうバカっぽいの、嫌いじゃないぜ。
「紙飛行機は……俺も好きだ」
ボソッと言ってみると、空気が笑った。なにせ、今から紙飛行機の巨大版を造ると報告しに行くのだ。
「……ケガするなよ」
目に当たると危ない。それだけは気をつけて欲しい。
ロイドに会って事情を説明、その場でベルゲン宛てにそのことを記した手紙を書くことになった。本当は俺の直筆がいいと言われたが、ひらがなだけで手紙を書くというのは案外難儀する。一瞬でも注意を怠ると、今までの慣れでさりげなく漢字で書いてしまうからだ。そこで二度手間だが、まず漢字込みで俺が手紙を書き、それを読み上げてロイドに代筆してもらった。手紙は俺の漢字のものと、それをひらがなに開いたものの2つをまとめて送るそうだ。署名欄はさすがに2つとも自分で書いた。「足立光秀」と。署名はむしろ漢字の方が好ましいらしい。理由を聞くと漢字に慣れているのは世界で俺ぐらいなもので、筆跡で本物と偽造の区別が容易にできるからだ。漢字に慣れない人の書く漢字はネイティブのそれには及ばない。
「それでは、これは今日中に出来るだけ早くお届けします」
「悪いな。頼んだ」
ロイドは仕上がったばかりの手紙を机の隅に置いて一区切りつけると感嘆した様子で話題を変えた。
「しかしヒコーキを発明するという策、さすが異界の方です。
昨日から手伝いが紙ヒコーキを作って遊んでいますが、あれにお乗りになるのですか?」
「半分正解。あんなのよりもっと本格的なものを作るつもりだ。ただ……」
「ただ?」
「……いや、何でもない。独り言だ」
わざわざこんなところまで来ていただかなくても、お呼びになれば何時でも参りますから。いろいろ談笑した末、ロイドのこの言葉を最後に話を切り上げて部屋を出た。話の途中、紙飛行機の作り方を聞かれたのは言うまでもない。
「ただな……」
ただ、この計画を成功させるだけの技術力があるのかが心配だ。1日で15分ズレる懐中時計。部屋に戻る道中ポケットから取り出して眺める。そういや今日はネジ巻いてなかった。巻いておこう。グレアは「時間を気にするようになるのはいい心がけね」とか偉そうに言ってたが、そんなんじゃない。飛行機計画は地球に不時着した宇宙人が、地球の技術でUFOを一隻新たに作ろうとするようなものだ。
「なあ、グレア」
いつものように俺の2歩先をズカズカ進んでいくグレアに話しかける。顔すらこっちに向けずいつものように無愛想に答えた。
「……なに?」
「蒸気機関って、聞いたことあるか?」
「ない」
「そうか」
グレアの応対の悪さはいつものこととして、産業革命はやはりまだ起きてないようだ。どうやって飛行機のエンジンを造るかな。燃料の問題もある。この世界の主流な熱源は薪か良くて石炭。蒸気機関はSLのように重いから飛行機には向かない。まずは石油を探し当てることから始めるか。それで、遠い神都まで無補給で行ける軽量で低燃費で高出力で信頼性の高いエンジンと大容量の燃料が積める機体を開発してだな――――考えれば考えるほど無謀だ。二十歳にもならない人間が石油の探査からエンジンの開発まで全部やるとか、どんな天才だよ。
「飛行機、作れないかもしれん……」
グレアに聞きとられぬよう静かに呟く。だが手紙はさっきロイドに出してしまった。メルとグレアの代案は費用も規模も壮大な割に地道で非効率。ダメ元でやるしかない。
五日後、ベルゲンの快諾を取り付けた俺は迎賓館の大広間を一つ借りて夕食会も兼ねた飛行機開発の概要説明会をすることになった。まだ設計図もどういう段取りで発明していくのかもまだ決まっていない。今日は概要の説明と顔合わせが目的だ。説明会に呼んだのは、ナクルの同業者組合、いわゆるギルドという組織の幹部メンバーが中心で、他にも警邏隊や政務院、その他ベルゲン本人やロイドがオススメする有識者や宗教関係者など、合わせて100人ほどだ。この説明会の主役は当然俺。正直、誰かに「後は任せたヨロシクな」と丸投げして、出来上がった飛行機に乗っていざ出発としたい。だがまあ、本物の飛行機を見たことがあるのは俺しかいないわけで、説明できるのも俺しかいないんだから出るしかない。
当日、夕食会の準備に追われているメイドを尻目に、専属メイドであるグレアと俺は、自室で大量の紙飛行機を折っていた。これは来場者全員に飛行機がどのようなものなのかを把握してもらうため、飛行機が理屈上は製作可能だと証明するために配るのだ。といっても、俺にもスピーチ用の原稿の作成やら配る資料の段取りやらで色々忙しく、製作はほとんどグレア任せになっていた。俺に仕切役は務まらないと、身を持って思い知らされたね。
「悪いな、手伝ってもらって」
「本当に悪いわ。
さっきのやり取りも要領悪いし、見てるこっちがイライラしてくる」
「なら代わってくれ」
「絶対嫌!」
俺の切実な願いは、激しい剣幕で却下された。いつにも増して不機嫌そうに悪態をつくグレアだが、その手が休まることはない。お偉いさんになると人を集めて話するだけでも大変だ。
「失礼致します」
また、部屋のドアをノックする音が聞こえた。今日だけで何回言ったか分からない言葉を繰り返す。
「どーぞー」
「あの、お手伝いに……参りました」
「おお! 来てくれたか!」
ドアを開けて入ってきたのはメルだった。昼頃にちょうど廊下で彼女と鉢合わせして、その時既に多忙だった俺は時間が空いたらリンと一緒に手伝いに来てほしいと頼んでいたのだ。早速彼女にも紙飛行機作りを手伝ってもらう。今まで遊びでたくさん作ってきたのだろう、作り方の説明も要らず、なかなか上手な出来だった。
「……ところでリンはどうした?」
俺はリンも呼んだはずなのだが、彼女は来ていない。彼女の専属メイドであるメルは、常に彼女に付いて回るのが仕事だ。「何か手伝えることがあれば呼んでください」リンがそう言ったのは一昨日のこと。進んで手伝いを申し出るリンのことだから、てっきり二人で来ると思っていた。なのにメル一人でここに来たのはなぜだろうか。
「あの、それが……家の掃除に行くと言って、その、ご自宅に――」
「…………俺も、とうとう幻聴が聞こえるようになったか」
疲れから幻聴が聞こえたのだろうともう一度聞き直す。何度聞いてもメルの答えは同じだった。俺の予想の斜め上を飛んでいった説明は未だに信じがたい。なぜこのタイミングで家の掃除なんだ!? リンも俺が忙しいというのは分かっているだろうに、なぜこんな時に限って家の掃除なんだ!?
「私もその理由まではちょっと分かりかねます。
リン様が急に“掃除へ行く”とおっしゃって……
私が同伴すると言うと“私一人で行けるから”と言って聞かず……留守番するよう言われました」
「まあ、部屋に篭って一万まで数えろなんて命令するどこかのおバカさんよりは素直ね」
「グレアはちょっと黙ってろ。で、それはいつ頃の話だ?」
「昼のことです」
俺は人類がリンの考えていることを想像するのは百年早いと悟った。館内がバタバタしてるのに、なんだその空気の読めなさは! 相当なアホか不思議ちゃんだぞ。確かに思い返せば言動の不一致やら怪しい行動が多く、何を考えてるのか理解できない不思議資質があるのは否めない。でもこれはあまりにひどいだろう。
「リンの頭の中を覗いてみたいぜ、まったく」
「申し訳ございません。私があの時引き止めておけば……」
「多分止めても聞かなかっただろう。メルに落ち度はない」
リンは病気から回復したその日に俺に有休を出すと頑なに言い張ったのを思い出しながら、諦め半分で答えた。常識で考えてもおかしい。あの時は特に尋常じゃない頑固さだった。だいたい変なことを言い出すときに限って、人の話を聞かないのが彼女の性質である。
「起きたことに文句ばかり言っていても仕方がないって。
そもそもあんたはあんたで、リンはリン。
彼女は好意で手伝いを申し出ただけで、手伝う義務はないでしょ? 変に期待するあんたが悪い」
うぐっ……言われてみれば。手伝いの前提条件をすっ飛ばした俺も悪い。グレアに正論をかまされたのは少々気に入らんが認める。そして、そのしてやったりな顔を俺に見せつけながら作業するのがさらに悔しさを加速させるが、正論だから仕方がない。くそ、覚えてろ。
「……お前の言うとおりだ」
「あの、軽く掃除するだけとおっしゃっていたので、もうじき帰ってくるかと」
「そういえばメルちゃん、こないだコイツの私物を運んでくれたのもリンだっけ」
「ええ、彼女と手伝い数人でお荷物を運び出して箱に詰めました」
コイツ呼ばわりされてもいちいち突っ込まなくなってきたあたり、俺もよく訓練されたご主人様になったのかもしれない。良くはないが、毎回毎回突っ込んでると色々もたないというのが半分、諦めてきているのが半分というのが本音。メルとグレアがそれを皮切りに雑談を始めたのをラジオ感覚で聞き流しながら飛行機を折っていく。
「98,99,100と予備が3つ、これで数は間に合うな」
「終わったぁ!」
数え終わると同時に、グレアは今まで息を止めていたかのように空気を吐いて手をついた。気がつくと右手が少し痛い。作業途中に紙で指を切ってしまったらしく、血がにじみ出てる。これぐらい自然治癒力でどうにでもなるから黙って放置。俺は散らばった飛行機を10機ごとに重ねてまとめつつ、このあとの予定を説明することにした。グレアは説明会の大まかな流れはロイドから知らされているが、詳細は知らない。
「で、説明会で飛行機の説明と実演をするつもりなんだが、グレアには実演を手伝ってもらいたい」
「それって説明会の壇上に一緒に上がれってこと?」
「そうなるな」
そういうと、グレアは思考を一巡させる。口を尖らせてそっぽを向いた。
「人前に出るとか嫌」
「業務命令だ。俺の言われた通りのことをするだけの簡単なお仕事だぞ」
「ムーリー!」
「なんでだよ」
「マズイからよ! ……私のこと良く思ってない連中がいるかもしれないし」
「安心しろ、俺も含めて大概のやつはお前のことを良く思ってないと思うぞ」
ってウェイウェイ! 危うくテンポに飲まれて受け流しそうになったが、マズイってどういうことだ。いつも突っ張ってるグレアだから、いい印象を持ちにくいのは事実。それを差し引いてもマズイという言葉は出てこない。誰かに喧嘩をふっかけでもしたのか。
「あー、もう! そんな事言うなら余計出ないから!」
「ちょっと待て。お前、前に何かやらかしたことでもあるのか?」
意地っ張りな表情が一瞬ひるんだ。しかしすぐに表情を引き締めて言うのだった。
「そうね、何かとーっても大事な場面で大変なことでもやらかしたんじゃない?」
詳しいことはよく分からないし聞くつもりもないが、何かしらの理由があるのは確からしかった。グレアが出ないとなると、誰に手伝ってもらおうか。困ったものだと思わず苦虫を噛み潰したような顔。それと同時にさっきからいつにも増して神妙な顔つきで俯いたまま黙っていたメルが口を開いた。
「あの、私で良ければ、お手伝いさせていただきます」
「リンはどうするんだ、メルの担当だろう」
「説明会の間だけ交代しましょう。グレアさんはリン様を、私はアダチ様を。いかがでしょうか」
顔を上げて俺を見るメルの目は真剣だ。意味合いは異なるが、本気という表現のほうが、その目つきを表現するには近い。グレアに目をやる。友人が気を使って発言しているにもかかわらず強情な顔を崩さない。
「……うちのグレアがご迷惑をおかけして、大変申し訳ない」
メイドの不手際に深々と頭を下げて詫びるのは、主人の仕事だろう。