第5話-B8 キカイノツバサ 飛行機再発明計画
「そうよ! 翼がないなら作っちゃえばいいのよ!
なんで私たちそれに気づかなかったの~!?」
グレアが悔しそうに眉を寄せ天井を見上げた。メルがさっき飛ばした紙飛行機を机の上に差し入れるようにしてそっと置く。飛行機を作る、か。確かにその発想はなかった。いや、"飛行機を作る"んじゃない。"飛行機を再発明する"んだ。
――ぅぐッ!
俺の腹が空腹で鳴りそうになった。あわやお恥ずかしい音が鳴るところだったが、何とかセーフ。朝食を取ったのはさっきのように記憶していたが、どうやら思っていた以上に時間が経っていたようだ。胸元から新品の懐中時計で時刻を確認する。昼飯が運ばれてきてもおかしくないような時刻だ。
「コウさん、あの砂漠で確かに言いましたよね!
『一日歩いて移動できる距離を、たったの数分で移動できる飛行機がある』って!
あなたの世界の技術で、その飛行機をここで作るんですよ!」
問題解決じゃないですか! リンは声を大にして言い切った。ああ、遥か昔にそのようなことを言ったような気がする。あの時のリンは飛行機というものに食いついてきたことも同時に記憶の海から引き上げられた。だがあれは音速を超えるジェット戦闘機の話。さすがにそんな高品質な飛行機は無理だ。あれって操縦訓練もいるんだっけか?
まあいい。飛行機ができるなら、それが一番簡単な解決法だ。完成すれば俺は翼を手に入れたことになり、今まで国賓がそうしてきたのと同じような行程でラグルスツールま辿りつけるはず。
「飛行機を再発明、いや、発明するというのは、発想としてはなかなかいい。
だが残念ながらこれにも八百万の問題がある」
一番の問題は、"俺の住んでいた世界の技術をカンニングして飛行機を発明する"ということだ。俺がただの高校生だということを忘れてはならない。俺はどこにでもありふれた平凡高校に通う平凡学生。いや、ここにいる期間の長さからもはや"元"高校生と言ってもいいかもしれない。それに現代世界から離れて久しい。
つまり、カンニングしようにもカンニングペーパーがそもそもあやふやでヘボいのである。今俺の脳内に残存する飛行機のイメージは旅客機やセスナ機、ゲームによく出てくるゼロ戦やF-15イーグルとかの著名な戦闘機の形だけである。飛行機系のシューティングゲームは以前やりこんでいたことはあるが、所詮その程度の知識でしかない。航空力学なんて完全に俺の門外漢。言葉を知っているだけでもマシな方だと思う。本当にこの方法で神都に行こうということになるなら、割とガチで"発明する"ことになる。
「グレア、昼はいつぐらいになるんだ?」
再び鳴りそうになった腹に力を入れて押さえこむ。グレアはめんどくさそうな表情、半目で下唇を突き出して答えた。
「……食べるの?」
「当たり前だ!」
グレアもちらりと懐中時計を見た。同様にメルも懐中時計で時間を確認する。「メルちゃん、そろそろ準備の時間ね」グレアは呟き、メルも「はい」と返事。午後からも会議の続きを行うことを宣言し、俺たちは一旦昼食を挟むことになった。
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「それでは、会議再開だ」
全員が着席したことを見届けて、執務机の中央に座る俺は宣言した。それと同時に、グレアがまず紙飛行機の作り方を教えて欲しいと頼んできた。何かの参考になればということだ。ついでにリンとメルにも教えることにした。不要になった申請用紙を配って適当にそれっぽい形になるよう教えていく。折り紙教室生徒番号3番、メルが疑問を投げかけた。生徒番号は俺の勝手なナンバリングである。特に意味はない。1番はリン、2番はグレア、3番が彼女だ。
「つかぬ事をお聞きしますが、この紙を折る順番には、何か呪術的な意味合いが含まれているのでしょうか」
「ハハハッ、そんなものはない。左右のバランスさえ気をつけてそれっぽく作ればそれっぽく飛ぶ」
突飛な質問に俺は思わず吹いてしまった。紙飛行機の折り方に呪術、だと俺も予想外の発想だった。三人寄れば文殊の知恵とは、案外こういうことを言うのかもしれない。
そう思う片隅で、自分で言ったバランスという言葉から靴屋のことを思い出した。この街に来て間もない頃に買った軍靴。今は新調された靴を履いていてお役御免だが、俺を凶悪犯罪者から守ってくれた大事な靴なので、部屋のクローゼットにしまいこんである。グレアは外装が切られてめくれ、一部金属がむき出しでボロく見えるようになったその英雄に対して「敗走者の靴」なんて失礼な名前をつけてくれたが、いまはそんなことはどうでもいい。店主の説明では、靴は、飛ぶときのバランサーの役割も兼ねていて、重すぎるものは飛行時の負担になるらしい。重すぎると飛びづらい。軽すぎると進まない。そんなことを耳にした。
「俺の予想が正しければ、紙飛行機が空を飛ぶ原理はおそらく、お前たち鳥人間が空を飛ぶ原理と同じはずだ」
店主の言葉が本当だとしたら、この仮説が成り立つ可能性がある。いや、成り立ってもらわねば困る。紙で作られた機体が前に進むことで軽い両翼が上に持ち上げる力を産み、2つの翼に挟まれた"おもり"の重力と釣り合おうとして飛ぶ。それは鳥でも鳥人間でも同じである。
折り紙で何かを作るという文化に慣れていないらしく、彼女たちが紙飛行機を完成させるのには少々時間がかかった。だが飛ばし方もレクチャーし、各々が放り投げると、それぞれの飛行機は右へ旋回したり左へ旋回したりしたものの、正しく滑空することはできた。
集団で紙飛行機を作ると、飛ばしまくるのが通例である。小学時代、教室で一人の男子が紙飛行機を作ると、他の男子も作り始めてあっという間に教室中が紙飛行機だらけに、という状況は誰もが一度は体験したであろう。それと同様のことが、紙飛行機の性質の実験という名目で俺の目の前で繰り広げられているのである。
「これって、結構面白いですね」
意外にも、一番楽しそうなのはリンでもグレアでもなく、メルだった。彼女達は家具や壁にぶつかって先端がクシャクシャになろうとも飛ばすのをやめなかった。だが実験という趣旨から外れることはなく、翼を一部ちぎって左右非対称にしたときの挙動を観察したり、紙飛行機におもりをくっつけて飛ばしてみたりと、実験という名目では実に積極的であった。
…………俺そっちのけでな。
俺はそうやって"遊んでいる"のを机に両肘をついて手を組んで見ているだけ。幼い頃からやっていたような実験ばかりだったので特段参加する必要はないし、それを言うなら彼女たちの実験も、結果が分かっているので無意味とも言える。楽しそうにしている雰囲気を邪魔する気はない。
「ねえアダチ。これを巨大化して、あんたがそれに乗って空を飛べば問題解決じゃない?」
飛ばす手を休めてグレアが言った。リンとメルはそーれいっ!と掛け声をあわせて飛行機を投げた。どちらがより長時間滞空できるかを競い合うのに夢中、次第に遊びに入ってきている。
「バカ言え。誰が俺と巨大紙飛行機を上まで持ち上げるんだよ」
「まだ決まってないけど、一緒にいく人と協力して一回一回空高く持ち上げれば滑空できるわ」
「紙飛行機は臨機応変で細かい制御はできない。
風に流されたらそれっきりだし、第一それほどの強度を紙に要求するのは無茶だ」
グレアの表情が沈んだ。紙飛行機にエキサイトし過ぎていて判断力が鈍っている。彼女もそのことを少し自覚したらしかった。俺とグレアが会話を始めたのに気がついた二人は、先端の潰れた紙飛行機を手に再び着席。紙飛行機は風に流されるままにしか飛べない。紙飛行機そのまま巨大化案は却下した。
「はい!」
「ん、何か案があるのか」
びしっと垂直に伸ばされたその腕の持ち主はリン。なにか名案を思いついたらしい。
「コウさんの両腕に翼を模したものを取り付けて、飛ぶときは羽ばたくんです!
お金もかからなくて、空も飛べて、とっても簡単で、風に流される心配もありません」
……沈黙。
…………
………………
……………………自信満々だった、リンの、笑顔が、徐々に、曇った。
俺は思わず両手で頭を抱えて嘆いた。
「その方法で一体どれだけの人が大空を夢見て自殺したと――」
「どういうことですか?」
先ほどの素晴らしい発案に期待値が上乗せされ、その可愛らしい笑顔に期待が倍増した分、落胆も大きかった。ライト兄弟が飛行機を発明する以前、人々はどうにかして空を飛べないものかと考えた末に「鳥と同じように飛べば――」と、リンが提案したのと同じ方法で挑戦したのだ。結果は俺の知る限りではすべて失敗。落ちて死ぬだけと分かっているものに試す勇気など当然ない。
「リンの方法は、俺の世界ではもう数百年も前から試されていたんだ。
勇者はただ放物線を描くだけだった。俺が試したとしても同じ結果になるだろう」
「でも、さっきの紙飛行機っていうのは、綺麗に滑空しましたよね?
あれはどういう仕組みなんですか?
魔法を使ったわけでもなく、ただ紙を折っただけで空を飛ぶなんて不思議です」
「あれがどうして空を飛べるのか、俺の住む世界でも未だ解明されていない謎だ。
仮説はあるらしいが、本当のところは分からない」
俺は首を振った。物体を宙に浮かせる原理。現代世界ではそれがきちんと解明できないまま、ジャンボジェットだの貨物機だのとカネ儲けのためにひたすら製造しては、「それでは(飛ぶ仕組みは謎ですが、そこは気にせず)快適な空の旅を」というアナウンスを流してせっせと大空へ飛び立っているわけだ。
だが、一つ言えることがある。それは、この世界でもその謎の原理は利用可能であるということだ。そうでなければ、水平投射された紙飛行機は、ただボールのように落ちていくはず。だが滑空した。空を飛んだ。これは飛行機が理屈上発明可能であることの証明に他ならない。机の上に置かれた俺の紙飛行機を眺めながら、そんなことを考えた。
「やはり、一番最初にリンが言った通り、飛行機を発明するのが一番だろう。
メルのように道なき道を力技で進むよりも現実的な気がする」
「私も異存はございません」
メルが肯定したのに続き、リンも頷いた。グレアは頷きはしなかったものの、何も言わなかった。異存なしと見なしていいだろう。
――――4人だけの小さな会議。
そこで"異界の技術で飛行機を発明する"という前代未聞の計画が産声を上げたのを、世界はまだ知らない。