第5話-B5 キカイノツバサ 時計と夕食会
「ふうん、意外と似合うじゃん」
スピーディーに仕上がったその服を試着すると、グレアは珍しく俺を褒めた。顔合わせしてたった二日の相手に珍しくという言葉を使うのは不適当かもしれない。しかしながらこれまでの言動を相対的に比べると、珍しくという言葉を使ってもおかしくはなかろう。
「そうか、ちょっと安心した」
執務室に設置された鏡を見ながら、やや粗めの布地で織られた暗灰色の正装、つまり現代的なスーツを羽織る。国賓は大抵、何かイベントがある時は出身地の伝統的な衣装を着て臨むという事を、さっきの採寸中にロイドから説明があった。伝統服、ちょんまげ着物で攻めるか、お歯黒麻呂で攻めるか――どちらがいいか悩んだ末、着物を選択することにした。そこで、着物とはどういう服装なのかを説明しようと口を動かすが、見たことも聞いたこともない人間にはうまく伝わらない。
“どんな感じか、ちょっと絵を描いていただいてもよろしいでしょうか”
ロイドは俺に紙と羽ペンをよこすも、不運にも俺の画力はゼロ。一筆書きでジンジャークッキーを描いた時点で試合終了。より簡素で身近なスーツ姿に予定変更することにした。こちらは現代服だから説明も容易だ。加えてロイドが俺の代わりにイメージを絵に起こしてくれたおかげで、バッチリスーツが仕上がったというわけだ。
「出来損ないには出来損ないの服がお似合い」
「そう言う気がしてた」
化学繊維なんて気のきいた素材が存在しないこの世界。天然由来の布地が発するシルキーな光沢感には慣れない。グレアは身辺お世話役として、服装のところどころに手直しを入れる。
「そういえばお前、歳いくつなんだ?」
「今年で十四」
「やっぱ俺より年下か」
グレアがこんなに口が悪い理由がちょっと分かった気がする。おそらく反抗期だ。反抗期は何かとイライラするもので、言動に出てしまうのは仕方のないことだろう。俺の反抗時代はざっとこんな感じだ。朝起きて学校行って、右手で板書をノートにオートコピーさせつつ、昨日のテレビを思い出して一人ニヤける。学校帰って夕方からは、布団に転がって漫画読んでゲームして。勉強しろと言われたら、とりあえず机に座ってやるふりだけして意識は別世界。思い返せばあれはあれで楽園だった。ん、てことは俺まだ反抗期か?
「はい、これで大丈夫」
「ありがとさん」
「仕事しないと給料もらえないから仕方なくやってんの。
ていうか、今朝のアレで今月の給料8割引きにされたし」
「鮮血噴き出す大特価ってところか。ロイド厳しいな」
「あのオッサンは給料くれるだけまだぬるい方よ。前任者は半殺しのお仕置きだったし。
まあ給料なんて貰っても貰わなくても、私は住み込みで働いてるから生活は大丈夫なんだけど。
やっぱり困るんだよね。宝石とか私服とか色々欲しいし」
服は分かるとしても十四で宝石ってどうなんだよ。渋いと言えばいいのか、成長が早いと言えばいいのか、はたまたただ贅沢したいだけなのか。グレアにとっての給料というのは、お小遣い程度の認識でしかないように感じる言い方だ。
「せっかく綺麗に正したんだから、そのままでいてよね。
夕食会の前にしわくちゃにしたら――」
「するかよ、お偉いさんに会うっつうのに」
年下が俺を子供扱いするか。俺はそこまで出来損ないじゃないと、強い口調で否定する。夕食会はナクル城にて行われる予定になっている。出発の時間まであと1時間弱ぐらいだ。当然といえば当然だが、昨夜ここに来る途中に見えた城がナクル城ということで、距離はさほど遠くない。飛んで五分ほどで城門に着くらしい。
「そうそう、元貧乏人のあんたには使い方が分からないかもしれないけど」
グレアは懐から丸い形をした金色の物体を取り出し、それを俺に押し付けた。それには複雑な紋様が彫られてている。どうやらそこがフタらしく、開けると一二の文字が円形に並んでいた。早い話、懐中時計だ。
「庶民は太陽の傾きとだいたいの勘で時間を測るけど、こっちの世界じゃそれは通用しないから。
時間に正確な行動が求められるからそのへん覚悟しといて」
「了解した」
グレアからもらった懐中時計は、長針短針はあるが秒針がない。これでは90秒の遅刻で大事故が起こる国では時間の目安程度にしか使えない。時計は庶民にはまったく馴染みのないものらしく、グレアは面倒臭そうに時計の読み方を説明し始めた。
「説明はいい、読み方知ってる」
「時計の読み方知ってるの? 意外」
「俺のいた国じゃ、時計がないとまともに生活できないほど普及してるシロモノだからな。
それで、この時計の精度は?」
「だいたい一日で一五分ぐらいズレるわ。結構高精度でしょ」
「……ギャグで言ってるのか?」
「こんなところで冗談を言ってもしょうがないって」
グレアの表情はいたってマジメで、一五分ほどの誤差が出るのは本当らしい。ということは、時計に誤差を含むことまで計算して行動せにゃならんのか。GPSや電波時計の時間基準に使われる時計は、確か原子時計だったか。そいつは数千万から一億年に一秒程度の誤差しかない超高精度な時計だったと記憶している。
「こういうのは時計職人が一台一台手作りしてるから高価なの。
壊れやすいから大事にしてよ。それとゼンマイは毎朝起きたら必ず巻くこと」
時間に正確な行動が求められると言ったが、この時計の精度じゃさほど気にしなくて良さそうだ。ただ五分前行動する時は、誤差を考えて二十分早く行動する必要が有りということ。待ちぼうけ対策を考えておかねば。
手の平の上でコチコチ音を立てる時計。この恐ろしく精度の低い時計が、この世界の技術力を映す鏡のように見える。フタに施された彫刻は職人級なんだが、デザインばかりに気が行って時計としての機能をおろそかにしている気がする。
時計を上着の内ポケットに突っ込んでおく。グレアはそのままイスに座る俺を見ると、黙って鏡を隣の収納部屋に押し込んだ。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました!」
飛んで五分、歩けば二十分の距離を遠路などと俺の目の前で言い放つ男。太い眉毛にソースな顔立ち、曲線を基調としたフォルムのタプンタプンなボディを持つこのオヤジが、自称ナクル城主のベルゲン(独身)。この男を一言で言い表すなら、背中に翼のついたダルマという表現が妥当だろう。
「さあさあ、どうぞおかけになって!」
最初の一言で、俺との親和性が高そうだと認識したのは言うまでもないが、どうも口と頭が回らない。俺は図太そうに見えるかもしれない。だがしかし俺だって緊張する場面というのは当然存在する。中心部は何重もの城壁に囲まれている巨大城塞都市ナクル。その統治者というお偉いさんとご対面だ。ベルゲンは運と実力でここまで上がってきたのであろう。いと勇ましいオーラが感じられる男。俺がそのオーラに緊張で固まるのは当然だった。
ナクル城内の最上階、城主のプライベートな大部屋に設置された長テーブル。その端にベルゲンはプヨンと座った。向かい合った席に恐る恐る座る。今この部屋にいるのは、テーブルを挟んでベルゲンの向こう側で横一列に並んだ料理人一同と、彼の横に立つスラっとした体格の男が一名。それと、俺のすぐ後ろで業務用の笑顔を振り撒きまくるグレア。完全にプライベート会談だ。
「まずは紹介から参りましょうか。隣にいるのは私の執事のケトルです」
ケトルは当主から紹介されると深々と一礼した。どういう作法をすればいいのか全く知らない俺はとりあえず同じように頭を下げておく。ところでケトルと聞くと、某外国調理器具企業の電気ケトルを連想してしまうんだが、彼の取っ手は取れる? 取れるのか?
…………何言ってんだ俺。
「後ろにいるのは私自慢の料理人。これから作る料理はすべて彼らが担当します」
ケトルと同様に礼する料理人に、同じように返す。
「そして私がベルゲン。ここの城主をやらせてもらっています」
「…………。」
「…………。」
ん、ん!? なんか会話が止まった。ベルゲンは笑顔で俺のことじっと見てるし、ケトルは無表情で固まってるし、料理人たちは怪訝な様子で俺を見つめている。
ガッ!
現状の把握を開始しようとした俺の座るイスに、静かな蹴りが入れられた。あ、あ〜はいはい、なるほど。今度は俺が紹介する番なのね。そうなのね。この中で俺の椅子を蹴られるのは後ろにいるグレアだけだ。状況が状況だけに後ろを振り返ってその顔を確認することはできないが、笑顔に若干の青筋が入っているのであろうことは想像に難くない。うわーどうすんだよ俺、気まずい雰囲気になっちゃってるじゃねえか。とにかくスマイル。スマイルさえあれば死地すら切り抜けられる。
「えーっと、これはグレアです」
しまった。俺が敬語で相手をするのは王族と神使だけで、それ以外はダメだったんだった。いやいや、それ以上に直近的な問題はグレアを“これ”扱いしてしまったことだ。帰ったら精神的に殺されそうな予感がする。人物紹介。ひと言だけでこんなにもミスできる人間はさすがに珍しいだろう。って、反省会はまだ先で、いまはこの状況を何とかするのが先決だ!
「俺の、身の回りの世話を担当してくれてる。そういう人」
グレアの人物紹介終了。さっきよりも遥かに強力な蹴りがイスに入った。後ろの料理人は必死で笑い堪えてるし、俺の失態にも堂々とした風格で笑顔を崩さないベルゲン。もう俺人生辞めたい。
「それで、俺は足立光秀。出身は日本」
「なるほど」
「…………。」
「…………。」
「護衛の方々までもてなしてくれて感謝」
一応確認するが、俺日本人だよな? 海外旅行に一度も行ったことのない、純国産ジャパニーズだよな? それなのに何このカタコトな発言。
「……ちょっと緊張してません?」
そうですとも! そこの窓から身を投じてこの世から消え失せたいぐらい恥ずかしく緊張中。激しく首肯したいところだが、そこを堪えてちょっと……と言葉を濁すに留める。
「まあ、つい数日前までは一般庶民だったわけですし、無理はないでしょう」
ベルゲンは料理人に持ち場へ戻るように伝え、ケトルに短く耳打ちする。ケトルはかしこまりましたと短く答え、料理人たちの後を追うように静かに部屋を出て行った。
「緊張したままじゃ疲れるでしょう。
食後がよいかと思っていましたが、まずは料理が出来上がるまでこちらを」
ケトルが瓶を両手に抱えて戻ってきた。嫌な予感がする。これって、丸っきりアレだよな? 慣れた手つきで栓を抜いたケトルはそれを何食わぬ顔してグラスに注ぎはじめる。はい、アルコール検知。
「どうぞ」
ケトルがそっとグラスinワインを俺の目の前に。何でこう追い詰められるかな。未成年は飲めねえよ。気遣いを受け取れない最悪の展開である。そんな厳しい状況に冷や汗までかきはじめた俺。しかしそれに全く気が付かないベルゲンは乾杯のスタンバイ。とにかく乾杯だけは先に済ませておくか。ああ、これがただのぶどうジュースだったら。
「乾杯」
「……乾杯」
当然のようにそれを口にするベルゲン。そこから先の手が出ない俺。背後に感じる殺気。再々椅子に入れられる蹴り。さらに高鳴る心臓。もうお手上げだ。
「領主の酒でしょ、とっとと口つけなさいよ」
しびれを切らしたグレアが小さく耳打ちで追い詰める。分かってら。それができりゃあこんな苦労しねえっつうの。ベルゲンに聞き取られないよう俺も耳打ちでグレアに返す。
「無理」
「せっかく好意でしてもらってるのに、それすら受け取れないの?」
「日本じゃ、お酒は二十歳になってからって法律で決まってる」
それを聞くとグレアはより一層強い口調で食ってかかる。
「アタマ大丈夫? ここは日本じゃないのよ?」
「二十歳以下の飲酒は健康上悪影響があることが医学上認められてんだよ」
「口つけたぐらいじゃ死にやしないわよ臆病者!」
「ここで飲むと倫理的にマズいんだって!」
色々と。色々に何が含まれているのかはご想像にお任せする。だいたいそれで合ってる。そう、この世界ではOKでも、もし俺が元の世界に帰れたときアル中になってたらマズイのだ。
「おや、どうかなさいました?」
「ハイッ!」
擬似スマイルと引きつった顔がコソコソ言い合っているのが不自然に見えたらしい。俺は反射的に威勢よく返事してしまった。
「その、俺は、お酒はちょっと飲めなくて……」
「ダメでしたか、これは失礼しました」
しどろもどろに返答すると、さすがに先方も困った顔を隠せず苦笑。俺はどうしようもないダメ男です。ベルゲンはとりあえずといった様子で視線を俺からグレアに向けた。
「しかしせっかく注いだのに、もったいありませんね」
本当に申し訳ない。もう土下座の姿勢で城の天井を突き破り、そのまま第一宇宙速度まで加速したい気分だ。
「グレア、でしたかな。どうです、彼の代わりに一杯」
ハッ! それもダメっ! それはかなりマズいのだが、ご存知の通りグレアは飲んじゃえ派。多分最高級であろうワインを、夕食会のおこぼれに一杯いかがと言われたグレアは正真正銘のスマイル。や、や、ダメだって。
「私が頂いてもよろしいのですか、領主殿」
「せっかくです、彼の代わりだと思って飲んでくださいな」
「それでは、遠慮なく」
さも嬉しそうにグラスに手を伸ばすグレア。イデっ! 俺がそれを制止しようとしたらこのメイド、俺をつねりやがった! おいっ、コラッ、ダメッ! 触ったらッダメッ! ダメダメダメェ――ッ!
お酒は二十歳になってからァ――――ッ!