第5話-A40 Lost-311- 心の休まらない有給休暇
「コウさん、これからしばらくは休んでていいですよ。有給休暇です」
今日の昼食のメニューは、流動食が作れるようにと買っておいた食材が残っているため、必然的にそれらの食材を有効活用したものとなった。流動食に適しているものといえば野菜系のものばかりで、やはり肉を流動食にするという、パンチの効いた胃もたれメニューは、以前購入した料理本にも載っていないし、俺自身そんな前衛的な発想は考えつかなかった。となると、残るのはどうしてもヘルスィーな野菜一択となる。
リンがこんなことを言い出したのは、野菜の甘い香りが湯気と共に広がる野菜汁を、彼女はガッツリ、俺は軽めにとり終えて、さあ昼からも店やるぞと気合を入れ直し、カウンターに並んだ矢先のことだった。
「気持ちはありがたいが、リンはまだ病み上がりだ。せめて2,3日は頼っておけ」
隣に立つリンに答える。別に相手が異性だからそう返したわけではない。そりゃ俺だって楽になりたい。だからといってつい数日前まで“今夜が峠です”なんて言われそうなほどの瀕死の重症だった人間を平気でこき使うほど、俺の心は歪んではいない。そんなことをさせてリンがまたぶっ倒れでもしたら、また筋肉痛フィーバーのクリティカルコンボを喰らうハメになる。今度は冗談抜きで俺のほうが持たないかもしれん。過労で。
「もう、大丈夫ですから」
「大事を取ったほうがいいと思うんだがな……」
確かに、リンの顔色は大分と良くなってきている。しかしそれだけで完治したとは言えない。急性魔力欠乏症の初期症状で食欲の増進があるが、リンの食事を見ていると、それに該当すると考えても不思議ではない。共倒れで二人仲良く冥土まで昇天する事態はどうしても避けなければならない。
……俺の場合は重量超過という名目で、天使のような役職の奴に見切りをつけられ、昇天途中で切り離される可能性があるな。アイツがしてくれたように。そうなるとそのまま地獄へ真っ逆さまか。
「なんで余計なことを考えちまうんだ、俺は」
ぼそっと嘆いてリンを見上げる。リンは首をナナメに不可思議そうな顔。まあ、死ぬっつうのは最悪の事態だ。そうそうあることじゃない。変にそういうことを考えるのはよそう。
「とにかく、一従業員の意見として率直に言わせてもらうと、今のリンの状態では一人で朝から晩まで店を任せるのは極めて不安だ」
「今までも一度良くなればもう大丈夫だったんです。今回もきっとそうですよ!」
そう切り返して出た笑顔は、笑顔ではない。直感的にそう思った。俺はその言葉に頷くこともできず、小さくため息をつく。リンは笑顔が崩し、目を伏せる。その表情を見て、何か、ものすごく大切で重要なことを隠しているような気がする。しかしそれは、ただの俺の思い過ごしなのかもしれない。第六感が鈍い俺には、そうなんだろ? と問い詰められるほどの情報力と自信がなかった。
「本当のことを言うと、良くしてもらうことが怖いんです。後ろめたくて」
「ハハ、たったそんだけのことかよ。ちっちゃいこと気にするな。俺は強くない。白旗を揚げるときはビックリするほどあっさりと揚げる。だから――」
「そんなんじゃありません!」
俺を遮って荒らげた。俺はその猛烈な語勢に続ける言葉を失い、本能的に一歩後ずさりしていた。視線を外に逃せば、遠くまで聞こえたらしいその声に、通りを歩く人々がこちらの様子を伺いつつ歩き去っていくのが見える。リンにそんなことに気にかける様子はない。
「そんなんじゃない。そんなんじゃ……」
うつむいて顔を隠し、その言葉を呪文のように繰り返す。まるで、俺に良くしてもらうことが後ろめたいのではなく、別のところに理由があるような言い草。俺でないならば、リンはいったい何に対して後ろめたさ、恐怖を感じているのか。第六感は半分当たりと言えそうだが、頭の弱い俺には想像がつかない。
…………。
通りの店から聞こえてくる客寄せの声と雑踏が、静かな店内に響く。俺の選択した発言は間違ってないよな? リンは俺にどうしてほしいのか。俺が休むことが彼女の真情とは言えなさそうな感じがする。くそっ、俺完全にKYじゃねえか!
「リン、いったい何が怖いんだ」
「それは……」
「それは?」
「――やっぱり言えません」
割り切ったようにリンは答えた。なにやら理由は分からんが、言動を見る限り、リンは俺を何としてでも休ませると決めたようだ。彼女が言うその言えない理由を聞けば、何か解決法を思いつくかもしれないってのに。俺がその理由とやらを教えてくれ、と強く迫ることができればいいんだが、あいにくそんな性じゃない。
「それじゃ折衷案だ。俺は客が多い時間だけは働かせてもらう。客の入りが少ない、一人でも十分やって行ける時間はリンに任せる。それでどうだ?」
つまりそれは実質、午前中は働くが、午後はゆっくりさせてもらうということだ。一番キツイ時間帯を越えれば一人でもなんとかなる。それでもリンは了承するのを渋っていた。うつむいた顔。俺に対する回答を探しているようだ。
「リン。何がそう言わせているかは知らんが、俺の気持ちも分かってくれ」
俺の気持ちと言っても、結局どうあがいても自分本位の損得勘定でしか考えられない人間の気持ちなんて、たかが知れている。本当は俺に使う資格のない言葉かもしれない。
「……そうですよね。自分勝手なこと言ってごめんなさい」
「おい……」
顔を上げたリンの目には涙が浮かんでいた。泣くほどの理由だったのだろうか。俺にはその涙が何を意味するのかすら、理解できない。
「じゃあ、ハイこれ」
リンがカウンターの収納からいつも使っている、会計の収入箱から5000レル硬貨を6枚取り出して、俺の手に握らせた。総額3万レル、相当な大金である。
「いや、こんなに……」
「お医者さまへ支払う代金です。街のお医者さまにかかったことがないので、いくらになるかちょっと分からないんですけど、一応これだけ渡しておきますね」
「3万て、こんなに必要ねえよ」
「余ったら、好きなように使ってください」
「いやこれ半分以上つり銭というか、多すぎだ」
5000レル手元に残しておけばそれで十分。それだけ買えば硬貨3枚をリンに返そうとすると、その手を掴まれぐいと押し戻された。
「お金はありすぎても困らないはずです。黙って受け取ってください」
「いやそう言われても、これはさすがに」
「残りは感謝の気持ちですから。ね?」
「……分かった」
別に今貰ったからといって、それを今すぐ使わにゃならんってわけでもない。残った分は手元に残しておいて、いざというときに使えばいい。俺が手を引っ込めると、まだ涙の跡が目に残る顔でニッと口端を吊り上げ、笑いをこぼす。
「おっつ!」
「はいっ、有休行ってらっしゃーい!」
俺をぐるりと回転、二階へつづく階段の前に両手で突き出された。もしかして、俺はリンの邪魔になってるのか? ちょっとしばらく一人にさせて欲しい、暗にそう言っているような気もする。
…………。
「そうだな。まずは医者んところに行って、払うもん払ってくる」
そう言って、自室にある俺の財布を取りに向かうため、階段を登る。太ももに、数日経っても馴れない痛みが走る。魔法の力でこの階段をエスカレーターにできねえかな、などと考える。もちろん上り下り両用希望だ。上り専用なら、まだ段差から転げ落ちる時に距離が延びるだけで済むが、下り専用エスカレーターに至っては、どう頑張っても健康器具程度にしか活用できない。
ガラクタパソコンの横に、無造作に置かれているのが俺の財布。中を開けると、以前買い物をした残りのはした金が残っていた。その中に今回受け取った3万レルを交ぜ、ポケットに突っ込む。
「ついでに借り物も返して、気晴らしにその辺散策してくる」
ルーから借りている背負子もリンの部屋から引っぱり出し、装備。背負子を担ぐのはこれで最後になることを切に願う。持っていくのは財布と背負子のたった二つだけだ。店の出入り口で振り返る。リンが俺のすぐ後ろにいた。どうやら見送りをしてくれるようだった。
「夕食の時間までには戻ってきてくださいね」
夕食の時間……まだ4,5時間はある。そんなに長い時間外を出歩くつもりはない。しかしリンの発言を考えると、それぐらいの時間に帰ってきてくれ、と言っているようにも思えてくる。
ついでに食材とか、何か買ってきて欲しいものはないか? 夕食という言葉で買い出しの必要を思い出し、聞いた。リンは即座に首を横に振る。
「私が用意するので、そういうのはあまり気にしないでください」
「どうせ今からコレを返しに食品店まで行く。リンが出かけていくのは効率が悪いだろ」
ピッ、と親指を突き立て、背中の荷物を指して答える。するとリンはおとなしく頷き、唇に人差し指を当てて言う。
「それじゃえっと、5つだけ、いいですか」
「お、おお」
いきなり5つか。揮発性が高く、なかなか覚えられずにすぐ忘れてしまう俺だ。5つの品物全部を覚えてられるか、少し不安になる。ましてや異界の初めて聞く名称の食材が多いんだから、不安はさらにクレッシェンド。メモを書いたら確実だが、そうしようとするとリンに“やっぱりいいです”と言われそうで、できそうにない。だいぶ間違っていると思うが、今が使いどきだ。頑張れ、脳。
リンから注文を聞き軽く一度復唱する。覚えている内容が正しいことを確認し、了解と俺は軽く敬礼。よく分からなそうな仕草をしたリンに、今の行動を軽く説明。
「あっち側ではいろんな返事の仕方があるんですね」
「まあな。いくつかの仕草はここでも通用するものがあるみたいだから、それで助かってる部分もあるかもな」
行ってくる。そう言って今覚えた注文を忘れないうちに足を進めた。
気をつけてくださいね〜!
背後からの声に、手を挙げて応える。それは完全に生返事だった。
「……やっぱ変だよな」
それはさておき、と少し歩いたところで足を止めた。やっぱどう考えてもリンはちょっとおかしい。最初からただ者ではない感じはしていたが、なんというか、あの時とは質が変わったような気がする。初めて会った時はしっかりしてる人という印象を受けたが、今では何かを隠そうとすることに精一杯で、頼りなさそうな感じがする。多分、最初に会った時、特に盗賊と対峙した時に感じた信頼感は、リンの虚勢張りだったのかもしれない。そして俺はまんまとそれに騙されていたのかもしれない。「そんなんじゃない」そう繰り返すリンが、本当のリンのような気がする。
後ろを振り返る。見送りしてくれたリンの姿はそこにはもうなかった。
……おっと、頼まれたもの、危うく忘れかけるところだった。