第5話-A8 Lost-311- リンが一人で暮らすワケ
翌日、リンに起こされることなく自力で起きた俺は、背中の痛みを感じた。
そりゃ、そうだろう。
木の板の上で寝たのだから、身体のある場所にだけ圧集中的に力がかかってしまうのは当然のことだ。
開けっ放しにしていた木の窓の縁に、小鳥が一羽、さえずりながらとまっている。
人間慣れをしているのか、こちらが近づいても逃げようとしない。
深い緑色の身体をしたその鳥は、やはり見慣れないものだったが、
その体の色から推測するに、森に住む生物であろう。
何を食って生きているのかは知らないが、俺は何の食料も持ってねえぞ?
その鳥に触れようと手を伸ばすと、さすがに本能が危険を察知したらしく、
慌ててどこかに飛んで行ってしまった。
「あ、もう起きていらしたのですか」
背後から声がして振り向くと、朝食を持ったリンが立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「これ、作ったのでここに置いておきますね」
朝食の乗った食器を床の上に置くと、申し訳なさそうに笑った。
「机があればいいんでしょうけどね……なかなか買えなくて」
「べつにそんな気にする必要はない。
部屋の中は綺麗だし、床に置いても問題ないだろ」
「でもやっぱり床は汚いですし……
あ、そうだ、一階に会計用のカウンターがあるんで、そこで食べたらいいです」
俺は床に置いた食器を再び手にとったリンと共に、一階に下りた。
リンが用意してくれたのはパンと、野菜スープだった。
この世界のパンは塩気があり、そんなに塩味は強くないものの、やはり水は欲しくなる。
「スープは味見してないのですが、どうですか?」
「前の世界では味が濃い食い物を食ってきたせいか、ちょっと味が薄い気がする。
でも、というか、こういう言い方は語弊を生むかもしれないが、味は悪くはない」
「気に入ってもらえたみたいで良かったです」
「リンは朝は食べないのか?」
「先に食べちゃいました。
そのスープには痛み止めの効果がある薬草が入ってるんです。
昨日、足の手当てをするのを忘れてしまっていたので――
……そろそろ店を開ける時間ですし、ちょっと準備しますね」
リンは店の木製のシャッターを横に開く。
前の世界にあったような金属製のシャッターとは違って、
ここのシャッターは開けるときはWの形、ちょうど蛇腹のように開くタイプになっている。
店の中にしまっていた商品を街の通りに並べると、
リンは店の奥にちょこちょこと走っていき、奥から水を入れた木のバケツと杓を持って戻ってきた。
そして花が枯れないよう一つ一つ丹念に水をやっている。
朝食を食い終わった俺は、食器を持って二階に上がった。
確かにリンは忙しそうだ。
一人で店番をしながら、家事洗濯もしなければならない。
俺一人でやれることは極力自分でやらなければ。
この家に俺がいることでかえってリンに負担をかけるようなことはあってはならない。
二階の台所に入り、俺は食器の後片付けを始めることにした。
もちろん、この家に水道が通っているはずがない。
水道がない代わりに、一本の紐が天井の滑車にかけられており、
その紐は転落防止の柵の内側の床に四角く開けられた穴の下へと続いている。
井戸だ。
この井戸は一階でも水が汲めるようになっているらしく、
下を覗くと一階部分にも転落防止用の柵がある。
紐を下に引っ張ると、水の入ったバケツがぐい、ぐい、と上がってきた。
水汲みは結構な重労働で、手で蛇口を捻ればジャバジャバ水が出た元の世界が懐かしい。
定滑車と動滑車を使えば、紐を引く距離は長くなるが、引っ張る力は小さくて済む。
いわゆる仕事の原理というやつだ。
定滑車しかついていないここの井戸は、まだまだ改良の余地がありそうだ。
台所には、まだ洗われていない食器が無造作に積まれている。
汚れがひどいものは漬け置きしてあるものもあるが、大半が放置されている。
人を雇いたいがお金がない……か。
確かに、誰がどう見ても猫の手も借りたいといった状況だ。
「うっしゃ、いっちょやってやるか」
俺は気合いを入れ、皿洗いに取り掛かった。
「コウさん、どこに行ったかと思ったらこんなところにいたんですか」
皿洗いがちょうど終わった頃、リンが台所に顔を出した。
俺が洗い終えた食器を並べて乾燥させているのを見ると、
リンはありがとうございます、と一礼した。
「確かに一人で家事と店番の両立は大変だろう。
俺は前の世界では一人暮らしをしてたから、家事もそこそこできると自負している。
他に何かやってほしいことがあれば、出来ることはやろうと思う」
もうめんどくさいとか言ってられねえ。
俺は相手に苦労させて自分だけ楽する、といった空気が読めないような人間にだけはなりたくない。
そりゃ楽したいが、今は雇われの身だし、TPOを考えればこれぐらいはやらねばならない。
「いえ、皿を洗ってくれただけでも大助かりです。
ところで、コウさんも一人暮らしだったってことは、あなたも家族がいないのですか?」
「いや、死んではいない。
事情があって両親とは別に暮らしていただけだ。
それよりも、リンは家族はいないのか?」
「死にました。
父も、母も、姉も、弟も――みんな死んで、私だけ生き残ってしまいました」
「君が良ければでいいが詳しく聞かせてもらえないか」
リンの話によると、一月前、その時はナクルではなく、山の中の小さな村に住んでいた。
その日は3、4日降り続いた雨が上がった日で、
家族から隣の村へ買い出しを頼まれたリンは家を出た。
それと関係が合ったのかどうかは分かないが、
その日は土の匂いがやけに鼻についていたそうだ。
買い出しの内容は野菜とちょっとした雑貨を買ってくるという、
ごくごく普通の内容で、その買い出しを終えて村に戻る途中、村の方角から大きな地響きがした。
不安になったリンは急いで村に戻ったところ、自宅がが土砂崩れに巻き込まれていた。
ということらしい。
「つまり、君の家族は土砂崩れに家ごと巻き込まれて亡くなったと」
「母以外は全員即死で……その母もかなりの重傷を負ってしまっていて、
治療のかいなく、六日後に、私の目の前で息を引き取って…………」
「そうか、それで昨日家族のことを聞いた時に……」
「思い出してしまって……」
リンの目には涙が浮かんでいた。
家族が亡くなってまだたったの一月しか経っていない。
心の傷はまだ癒えていないようだ。
「だから、あなたが砂漠で倒れているのを見つけたとき、
死んだ家族のことが頭に浮かんで……それで、見過ごせなかったんです」
「それで倒れていた、というか寝ていた俺を突いて起こしたわけだ」
「生気も感じられなかったですし、もう手遅れだろうとも思っていたのですが、
まだ生きていたので」
「まあ、確かにあの時リンが起こしてくれなかったら、俺は砂漠で力尽きていたのは確実だ。
その点において、俺は運が良かったと言える。
ところで、ひとつ聞きたいことがあるのだが……大丈夫か?」
「はい、何ですか?」
「リンは一月前はここではなく、別の場所に住んでたという話だが、この家は一体どうしたんだ?
こんな街中の新築なんて、そうそう手に入るものでもないだろ?」
「私の父は山の動物を狩って、その肉を売る仕事をしていたんです」
「つまり、父は猟師だったと」
「はい。
ある時、偶然にも父が近くの村をよく襲っていた山獣を山の中で見つけ、
仕留めることに成功したんです。
あ、山獣というのは非常に強い魔力を持った動物のことで、
凶暴な性格のものが多い生き物です。
それで、仕留めた獣にはかなりの額の懸賞金がかけられていて、
父はその懸賞金で一家でここに移住しようと、この土地と家を建てたんです」
「なるほど」
「結局、ここに移住する前にみんないなくなってしまったので、
一人で住むには広すぎる家に暮らすことになったのですけれど……」
そこまで話したとき、一階の店から、呼び鈴の黄色い音が聞こえてきた。
「あっ、お客さんだ……行かないと」
リンは目に溜まっていた涙を拭うと、すくっと立ち上がる。
「コウさんも一緒に来て下さい。
あなたも早く花屋の仕事に慣れてもらわないといけないので」
「そんな泣き顔で店に出て……大丈夫か?」
「いつまでも嘆いてたって、何も始まりませんから。
それに、私はもう“一人”じゃないので」
まだ目の赤くなったままの少女こと俺の雇い主は、
俺にくるりと翼の生えた大きな背中を見せると、そのまま小走りで台所から飛び出していき、
階段を勢いよく駆け降りる音を家の中に響かせ、客の応対に出て行った。
“一人じゃない”か……こんなクソッタレな俺でも――
いかんいかん、俺も早く下に降りねえと、リンに怒られそうだ。
その後、俺はすぐに一階に降りた。
途中、階段で足を踏み外して奇声を上げながら盛大に階段を転がり落ち、
それを目撃した客に爆笑されたのは秘密である。