第5話-A7 Lost-311- 新居
俺達は翌日の夜にナクルに到着した。
晴れて花屋の従業員としての職と屋根を手に入れた俺は、内心浮かれ気分だ。
今までは変わり映えのしない一面砂だらけの景色だったが、
昼前には草原地帯に入ることができ、
日が少し傾きはじめた頃には、
木々がずっしりと立ち並んでいる立派な森の中に切り開かれた、横幅の広い道を歩いた。
リンの話によると、この森はもともとあった森を人工的に拡大させた森で、
砂漠からの砂の飛来から街を守る役割をしているそうだ。
「ここが、ナクルの街か……」
「ふふっ、どうですか?」
街の中を歩きながら辺りを見回せば、
中世ヨーロッパ風の木造、石造の建築物が道の両側にずらりと並び、
路面は石畳ではなく細かく砕かれた砂利がひかれており、道行く人々みな翼を持っている。
行き交う人々の翼は後ろから見るとハートの形をしているのが、何気にかわいらしかった。
ちなみに、翼もファッションの対象になっているらしく、
女性であれば翼に花のアクセサリーをつけていたり、
男性であれば翼を染めてみたりしている。
お洒落、身だしなみを気にするのもどこの世界でも共通らしい。
夜のナクルの街並みは、店や住居からのロウソクのような照明によって
街の地面が明るく照らされ、街はかなり賑わいを見せている。
ただ、翼があるのがこの世界の普通であり、持たない俺の方が普通ではないので、すれ違う人はみな、俺に奇異の視線を向けている。
これは我慢するしかないだろう。
「人通りも多くてなかなか興味深いのだが……」
「……?どうかしました?」
「足が痛くてそれどころじゃねえんだ」
俺は靴を履いていない。完全なる裸足である。
砂漠の砂の上を歩き続けたせいで足の裏がやけどを起こして赤くなってしまっている。
草原地帯はひんやりとした草があるから良かったものの、裸足に砂利道は拷問というものである。
足ツボ健康ウォークに使われている石は丸いが、ここの砂利は尖っているものが多い。
だから足を踏み出すと画鋲を踏むような痛みがして、
ナクルの街に興味はあれど、意識は痛みの方に行ってしまっている。
「帰ったら手当て、ですね」
「はは、『帰ったら』か……」
「私の家ですが、これからはあなたの家でもあるのですから、間違いじゃありません」
「でも元はといえばリンの家だろう?」
何気なく俺が言った言葉に、リンが急に表情を暗くした。
「確かに私の家です。……でも」
「でも?」
リンはそこまで言うと下を向いて首を振った。
「いえ、なんでもないです。今のことは忘れてください」
あまり人には言いたくない何か深い事情でもあるのだろうか。
忘れてくれと言われると逆に気になって覚えてしまうもので、
俺の頭の中にリンの意味ありげな言葉が張り付いてしまった。
ナクルの街は広大で、リンの家謙花屋に到着したのは、夜もかなり更けてからのことだ。
リンは郊外にあると言ったが、まだ周辺の建物に街の中心部の空気が所々残っていて、
俺的にはまだこの辺りはまだ街だと思う。
リンの自宅は木造2階(屋根裏を含めると3階)で、
1階が店、2階が居住スペースになっているそうだ。
1階の店は閉まっているので、一旦店の裏から自宅に入ることになった。
その時、通りからは見えなくて分からなかったが、店の裏に不自然な程広い空き地があった。
不思議に思ってリンに聞いてみる。
「そこの空き地は私の土地なんです。
土地が余っちゃってるんで、そのままにしてるんです」
「なるほど、リン、いい資産を持ってるじゃないか」
「……そうですか?」
「当たり前だ、こんな街にある空き地、この街に住みたいと思う人から見れば、
立地は正直今ひとつだが、それでも欲しい土地だろう」
「それもそうですね。
今まで考えたことなかったです」
リンは笑って店の裏口の扉を開けた。
建ったばかりの新築らしく、扉を開けると建物の中は切りたての建材の放つ木の香りが部屋の中から漂ってきた。
店の中は真っ暗闇で何も見えない。
リンは短剣を取り出すと、ポッ、と短剣の先に魔法で火をつけ、松明がわりにして中へ進んでいく。
俺も後に続いてお邪魔させてもらう。
「……はぁ、良かった、枯れてなくて」
壁の明かりに短剣の火を点けると、店の中にところ狭しに並べられている花々の姿が浮き上がってきた。
どれもみな枯れることなく青々としており、
大事な商品がダメになってしまったのではないかと、
道中しきりに不安がっていたリンは胸を撫で下ろした様子だ。
店の中に並べられている花は似たような形のものはあれど、どれも見慣れない花ばかりで、
こいつらの世話をきちんとやっていけるのか、俺は内心不安になる。
まあ、分からないことがあったらリンに聞けばいいか。
2階に上がると、ひしひしと花が並んでいた1階とはうって変わり、
必要最低限の家具が並んでいるだけの状態で、部屋の中は何もない空間が目立っていた。
花屋はあまり繁盛していないのか……
リンは家の中を進みながら、壁の明かりをひとつひとつ点けていく。
「えっと、コウさんの部屋はここでいいですか?」
リンはある部屋の入口の前で立ち止まって振り返ると言った。
「わざわざ専用に部屋を貸してくれるとは、悪いな」
「部屋があって当たり前です、下宿なんですから」
「俺はてっきり1階で花に囲まれながら雑魚寝かと思ってた。
不審者が侵入してきた時の番犬代わり的な扱いでもされるもんだと」
「私がそんなひどい人に見えますか?
……希望するなら番犬扱いでも構いませんよ、私は」
「いや、有り難く部屋を使わせて頂くことにする」
「じゃあ、部屋の明かり、点けておきますね」
リンは部屋の壁の明かりに先ほどしていたのと同じように手慣れた様子で火を点けた。
「ところで、リン。一つ聞いてもいいか?」
「あ、はい、何ですか?」
「リンの家族は今どうしてる?」
リンの動きがピタリと止まった。
「なんで、そういうことを聞くんですか?」
「街を歩いていて家族連れとすれ違った時、
リンの目が羨ましそうというか、寂しそうというか、何か引っ掛かるものを感じてな」
「やめて……それだけは聞かないで!
……おやすみなさい。
明日、時間になったら起こしに来ますね」
「あ……おい、ちょっと!」
リンは急に下唇を噛み締めて顔を歪ませると、足早に部屋から出て行ってしまった。
彼女にこの質問はタブーだったようだ。
……。
俺は一体この後どうすればいいのだろうか。
リンの後を追って謝るべきなのか、それとも、そっとしておくべきなのか。
ううむ……そうだな、今はリンの気持ちが落ち着くまでそっとしておくことにしよう。
謝るにせよ何にせよ、相手が興奮状態の時はうまく物事が運ばないだろうから、
ここは時間に頼るべきだと俺は思う。
さて、俺に割り当てられた部屋なのだが……正直に言うと、家具も何もない。
部屋の中は引っ越しで家具を全て運び出したのと同じ光景だ。
部屋の奥には木の扉がついており、開けてみると街の通りが見えると同時に外の風が吹き込んできた。
この木の扉は、元の世界で言うところの窓ガラスに相当するようだ。
窓ガラスは日光を遮らないが、こいつは遮ってしまう。
この世界にはガラスというものが存在しないのだろうか。
俺はしばらく外の街の様子を眺めていたが、
次第に街の店や民家の明かりの数が減っていき、
とうとう営業している店は数えるほどになってしまった。
そろそろ俺も寝なきゃな。
……ああ、部屋の中には何もないんだったな。
布団もベッドもない。
俺は木の板の床の上に寝そべって、目を閉じた。
長距離を歩いていたおかげで、眠りにつくまではそれほど時間はかからなかった。