このブロックの村人を愛せる日は来るのか
「……あれ?」
気づくと、立っていた。
周りは真っ白だった。壁も床も空もない。ただ白い。
そして目の前には、うっすらと光を放つ女性が立っていた。
(うわ……作り物みたいに綺麗な人だな)
……なんだろう。
微笑みも綺麗すぎて、ちょっと怖い。
「残念ながら、あなたは生を終えました」
「……はい?」
「真面目に日々、研鑽を積む者よ──」
「あなたのような者が神として相応しい」
(俺が……神?)
「神として、新しい世界に生まれ変わるのです」
「ちょっと待ってください!いきなり過ぎて何が何だか──」
女神は慈愛に満ちた笑みのまま、両手を胸に掲げてすうっと息を吸った。
「今日ーの中身は、なーにかな?」
「──おにぎりです」
「へ?」
女神はやたら笑顔で、おにぎりを握る仕草を完璧再現…
「いつも動画、見てました」
「見てた……て?」
「『今日も中身はゲーム実況だろー』のくだりも参加してました」
「マジですか?」
「マジでございます」
「え?もしかして神様、ファンの方ですか」
「なんか、ずっと喋ってて作業用動画に最適でした!」
(ん?)
「たいして視聴回数も回ってないのに偉いなーって」
(ん?……これってディスだよな?)
「毎日のようにアップされるので作業が捗りました!」
「本当にありがとうございます」
女神はキラキラした目で俺を見ている。
(……なんだ、この目)
神々しさ、どこいった?
「底辺実況者としての才能、神になって生かしましょう」
「はっきり、底辺って言った!」
「あなたなら、なんかいい感じに大丈夫…」
女神は、また輝きエフェクトを出してきた。
(嫌な予感がする。)
「神として、新しい世界に生まれ変わるのです」
「まとめに入ってません?」
「さあ!新たなる神、おにぎりよ!」
「待ってください。それは配信名でして──」
「幸多からんことを!」
「パァァァーー」
「効果音、口で言ってるよね?雑にまとめてきたな」
いい感じの光エフェクトと共に、俺は意識を失った。
風が、頬を撫でた。
潮の匂いがする。
(……あれ。生きてる?)
いや、死んだんだっけ。
でも風は感じるし、匂いも分かる。まぶたの向こうが、やたら明るい。
恐る恐る、目を開けた。
「…………おお」
思わず声が出た。
目の前いっぱいに、海が広がっていた。
水平線まで、青、青、青。
空もどこまでも高くて、雲がゆっくり流れている。ゆったりとした波の音が聞こえる。
振り返ると、今度は森だった。
背の高い木々がびっしりと生い茂って、緑の濃さが目に痛いくらいだ。奥のほうには、山がそびえている。
(すご……)
こんなに広い景色、生まれて初めて見たかもしれない。
パソコンの前に座って、画面越しに眺めてた景色とは、空気の量が違う。
深く息を吸ってみる。
うまい。空気がうまい。
「……神様ってこういう気分なのか」
少し得意になって、腕を広げてみた。
そこで、ふと気づく。
服。
さっきまでは仕事帰りのスーツだった。
「ん?」
パーカーだ。
しかも、左胸に見覚えのあるワッペン。
丸みを帯びた三角形の中央に、小さな丸。
「……これ」
梅干しおにぎりのワッペン。
配信にちょうどいいと思って、買ったやつだ。
(……これ、着てたのか)
そういえば、さっきの女神。
「いつも動画、見てました」って言ってたよな。
(本当に俺の配信、見てたんだな)
少しだけ、嬉しくなった。
雑女神を思い出しながら、景色に視線を戻した。
遠くの山を見る。
……ん?
山の輪郭が、変だった。
なだらかな稜線のはずなのに、ところどころ、階段みたいにガタガタしている。
(遠くだから、そう見えるのか?)
目を細めてみる。
変わらない。むしろ、よく見るとどこもかしこもガタガタだ。
視線を下ろす。海の際。
波打ち際が、定規で引いたみたいに、まっすぐだった。
(……いや、待て)
嫌な予感が、背中をじわじわ這い上がってくる。
足元を見た。
土だ。茶色い、地面。
草が生えていて、ところどころに小石が混ざって。
その、一つ一つが。
「…………四角っ」
四角かった。
土も、草も、足元の石も、全部。
ちゃんとした、立方体だった。
慌てて顔を上げて、一番近くの木に駆け寄った。
幹を見る。四角い。
上を見る。葉っぱも、塊になって四角く積み上がっている。
触ってみた。ざらっとした木の感触が、手のひらに返ってくる。ちゃんと硬い。本物みたいに硬い。
でも、形だけが、あまりにも見覚えがある。
「…………」
空を見上げた。
太陽が、四角かった。
「……ブロックかよ!」
誰もいない海辺に、俺のツッコミが響いた。
波の音だけが、さらっと返してくる。
(いやいやいや。落ち着け)
まだ決まったわけじゃない。似てるだけかもしれない。
そう思いながら、でも、手は勝手に動いていた。
目の前の木の幹に、拳を打ちつける。
ぽこっ。
幹の一部が欠けて、ちっちゃな塊になって宙に浮いた。
ふわふわ漂って、すうっと俺の手に吸い込まれてくる。
「あ、はい。知ってるやつだこれ」
分かる。体が分かってる。
じゃあ、置けるのか?
手の中の塊を、地面に向けて突き出す。
ぽん。
置けた。
そこだけ、ちょっとだけ地面が高くなった。
「……ほら置けた」
壊す。置く。壊す。置く。
何回か繰り返して、もう笑うしかなくなった。
(これ、完全に……)
試しに足に力を入れてみる。
地面を蹴ったら、体がふわりと浮いた。
「うおっ!?」
慌てて手足をばたつかせたら、今度は傾いた。
とっさにバランスを取る。浮いたまま、止まった。
「飛べるんだ。飛べやつか、これ」
下を見ると、海辺がもうだいぶ遠い。
風が顔に当たる。気持ちいい。いや、気持ちいいんだけど。
「……神になったっていうか」
さっきの女神の言葉を思い出す。
新しい世界の神、とか言ってたけど。
「プレイヤーになっただけじゃね?」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
遠くまで、四角い世界が続いている。
(……まあ、見慣れてるし)
どうせなら、ちょっと見て回るか。
俺は、風に流されるまま、ゆっくりと前に進み始めた。
しばらく飛んでいたら、森の切れ目に、柵が見えた。
(お、人工物)
高度を下げる。
四角い木の柵が、ぐるっと広い範囲を囲っている。その中で、何かがもぞもぞ動いていた。
牛だ。
羊もいる。豚もいる。
それが、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「うわ、多っ」
柵の中が、もう動物で埋まっている。身動きが取れなくて、牛と羊が肩を寄せ合って揺れていた。奥のほうでは、豚が一匹、隅っこで完全に挟まっている。
「えぇ……」
降りて、柵越しに眺める。
牛が、のそっと首をこちらに向けた。目が合った。
(助けてって顔してる)
「いや、俺じゃないから」
誰がやったか知らないけど、増やしすぎだ。
分かる。気持ちは分かる。
繁殖って楽しいんだよな。二匹で増えて、四匹になって、八匹になって。「お、また産まれた」って。
でも、その後のことを考えないと、こうなる。
「やりがちだよなぁ……」
とりあえず柵の一部を壊して、牛を外に出してやった。のそのそと出ていく背中を見送る。
それにしても、誰が。
(この世界に俺以外に誰かいるのか?)
(まあ……いるならそのうち会うだろ)
そこで考えるのをやめて、また飛んだ。
次に見つけたのは、家だった。
草原のど真ん中に、ぽつんと立っている。
近づいていって、首を傾げた。
「……ん?」
柱が四本。その上に、屋根。
終わり。
壁がない。ドアもない。窓もない。
四本の柱が、屋根だけを必死に支えている。
「風通し良すぎだろ」
中に入ってみる。入るも何も、どこからでも入れる。
見上げると、屋根の裏がきれいに仕上がっていた。ちゃんと階段状にして、隙間なく貼ってある。
「屋根は丁寧なんだよな……」
意外と凝っている。むしろ、屋根にだけ全力を出している。
(屋根から作る人、いるよな)
完成形をイメージして、一番かっこいいところから作る。気持ちは分かる。分かるけど、そうなるともう、そこでテンションの八割を使い切ってるんだよな。
柱をぺしぺし叩きながら、俺は一人で頷いた。
「次の日、壁を作ろうとして、そのままって感じか」
もう少し行くと、山の斜面に穴が開いていた。
入口の両脇には、松明が並んでいる。
(坑道か)
中に入ってみた。ちゃんと明るい。足元も平らに整えてある。
「お、丁寧だな」
かなり奥まで続いている。壁には鉱石が見えている。
そのまま歩いていくと、少し開けた空間に出た。左右に枝道が掘ってある。
左の道を覗く。数ブロック進んで、行き止まり。
右の道を覗く。数ブロック進んで、行き止まり。
真っ直ぐ進む。
行き止まりだった。
「…………」
壁の手前に、ツルハシの跡みたいな、掘りかけの穴が一つだけ空いていた。
(ここで止まったな)
何かを掘ってたんだろう。鉱石を追いかけて。
でも、ここまで来て、ふっとやる気が切れた。
「分かる」
つい、声が出た。
「あるある。もうちょっと掘れば出る気がしてるのに、なんか今日はいいやってなるんだよな」
目の前の掘りかけの壁を一つ掘ってみる。
カン。
「ん?」
もう一度。
カン。
土でも石でもない、青白い石が顔を出した。
「……ダイヤじゃん」
もう少し掘ってみる。
ひとつ、ふたつ。
「おー」
思ったより、ちゃんとダイヤだった。四角いけど。
「まぁ、貰っておくか」
拾ったダイヤが、手に吸い込まれた。
消えたというより、どこかに収まったような感覚だった。
「ゲームだとシステムだからって思ってたけど……」
手を開いてみる。
何もない。
「荷物にならないし、ちゃんと数も分かるのは便利だな」
これなら、いくら拾っても邪魔にならない。
「……ダイヤまで、あと一歩だったのに。惜しかったな」
誰もいない坑道を見回して、少し笑った。
そこから、世界の見方が変わった。
飛びながら、ぼんやりと考える。
(さっきの牛。さっきの家。さっきの坑道)
全部、途中だった。
偶然かと思っていたけど、そうじゃない。
次に見つけたのは、巨大な倉庫だった。石で作られた、とんでもなく大きい建物。
扉を開けて、中に入る。
「うわ、チェストだらけ」
ずらっと並んでいる。見渡す限り、箱、箱、箱。
一番手前の列の箱を開けてみる。
石は石、土は土、木材は木材。きちんと分類されて、整頓されていた。
「おお、ちゃんとしてる」
感心して、奥へ進む。
三列目あたりから、ちょっと怪しくなる。
五列目の箱を開けたら、土と鉄と花が一緒に入っていた。
「……なんで一緒に入れた」
八列目の箱を開ける。
土。
ひたすら土。ぎっしり土。
「最後はもう、全部入れちゃうんだよな……」
仕分けが面倒になって、手前の箱に入らないやつを、とりあえず突っ込んでいく。やがて、それすら面倒になる。
「あるある」
笑ってしまった。
これは、完全にやったことがある。
倉庫を出て、空を見上げた。
遠くに、細い影が立っている。
雲に刺さりそうなほど、高い塔だ。
「……でか」
飛んでいって、根元から見上げる。
壁はきれいに積み上がっている。窓も等間隔だ。
てっぺんを目指して、ぐんぐん上がる。
雲の高さまで来て、ようやく頂上に着いた。
何もなかった。
ただ、屋上の床が張ってあるだけだ。手すりすらない。
「…………景色はいいな」
確かに景色はいい。海まで見える。
(高く作ること自体が楽しかったんだろうな)
上に何を置くかは、考えてなかった。
塔のてっぺんに腰かけて、俺は足をぶらぶらさせた。
ここまで見てきたものを、頭の中で並べてみる。
動物でぎゅうぎゅうの柵。
屋根だけの家。
途中で終わった坑道。
分類が崩壊した倉庫。
何も置かれていない塔。
「……これ全部、同じ人が作ったよな」
作り方に、癖がある。
最初は丁寧。やる気がある。かっこいいところだけ全力。
そして途中で、ふっと終わる。
「分かるぞ。そのテンション」
新しいゲームを買って、最初の三日間が最高に楽しい。
あれも作りたい、これも作りたい。
家を建てて、柵を作って、坑道を掘って。
で、四日目。
「ちょっと飽きる」
五日目に別のゲームをやる。
それで、ゲームの中の世界は、永遠に更新されないまま、そこに残る。
(この世界、そのまんまだな)
そこで、ふと気づいた。
あの女神。
俺の動画を、作業用に流してたらしい。
「たいして視聴回数も回ってないのに偉い」とか言ってた。
「……自分でも、やってたのか?」
作業しながら俺の動画を流してた?
神様が、ブロックを積んで、動物を増やして、坑道を掘って。
その横で、俺の「今日ーの中身はなーにかな?」を聞いてた?
想像したら、ちょっとシュールだった。
「あの女神も、こういう世界を作るやつ、好きだったのか?」
返事はない。当たり前だけど。
(いや、まさかな……)
風が吹いて、塔の足元から、雲が流れていく。
「…………まあ、いいか」
俺は立ち上がって、伸びをした。
(どうせ、他にやることもないし)
神になった、らしい。
帰る場所は、たぶんない。
だったら、せっかくだ。
「もうちょっと見て回るか」
こういう放置世界の探索は、嫌いじゃない。むしろ好きだ。誰かが飽きた跡を見つけるたびに、「あー、ここで止まったか」ってなるのが、地味に楽しい。
塔の縁から、ひょいと飛び降りた。
落ちる途中で、体勢を整える。ふわりと浮いて、そのまま遠くへ視線を向けた。
地平線の向こう。
きらきらと、金色に光っている場所が見えた。
(なんだ、あれ)
目を凝らす。風に揺れている。
「……行ってみるか」
俺は、風に乗って、そちらへ飛び出した。
近づくにつれて、金色の正体が、少しずつ見えてきた。
(砂漠……じゃないな)
砂なら、もっと黄色っぽい。これは、もう少し濃い。それに、風が吹くたびに、表面が波打っている。
(花畑? いや、背が高い)
高度を落とす。
地面すれすれまで降りたところで、ようやく分かった。
「……麦だ」
小麦だった。
見渡す限りの、小麦。
一粒一粒の穂が重たそうに垂れて、風のたびに、さらさらと音を立てている。夕方の光を浴びて、畑全体が金色に光っていた。
「うわ……」
しばらく、言葉が出なかった。
広い。とにかく広い。
さっきの塔のてっぺんから見えたのは、これだったのか。畑の端が、見えない。
(きれいだな)
素直にそう思った。
さっきまでは、四角い世界を「ブロックかよ!」と笑っていたのに。
こうして見ると、四角いのに、ちゃんと綺麗なのが不思議だ。
畑の中に、一歩踏み出す。
足元の土は、きれいに耕されていた。畝がまっすぐ並んでいて、その間に、細い水路まで通っている。
「ちゃんと水引いてるじゃん」
しゃがんで、水路を覗き込む。
澄んだ水が、ゆっくり流れていた。畑の端から端まで、途切れなく続いている。
(これ、作ったやつ、ちゃんとやる気あったな)
(最初は)
立ち上がって、周りを見渡して、気づいた。
どの穂も、完全に実っている。
「……収穫してないのか?」
しかも、どこも手をつけた形跡がない。
刈り取られた跡もない。掘り返された跡もない。ただ、植えて、育って、そのまま。
「植えるだけ植えて、放置か」
あるある、というか。
作物って、植えるのは楽しいんだよな。
種を蒔いて、水を引いて、芽が出て。
でも収穫は、ちょっと面倒になる。
「ここまで広げたら、そりゃ面倒だよな……」
麦の地平線を、呆れて眺める。
「……広げすぎだろ」
思わず、少し笑ってしまった。
目の前には、収穫を待つ小麦が、ずらっと並んでいる。
試しに、一番近い穂に手を伸ばしてみた。
触れた瞬間、穂がぽんと弾けて、小さな粒になって、手の中に吸い込まれてくる。
「お、収穫できた」
もう一本。
ぽん。
もう一本。
ぽん、ぽん、ぽん。
「あ、これ楽しいやつだ」
自然と手が動いていた。
右、左、前。歩きながら、手を伸ばして、穂を刈っていく。畑に筋が一本できて、その後ろには、小麦の刈り跡が続いていく。
ぽん、ぽん、ぽん。
気がつくと、足元の畝を一つ、丸ごと刈り終えていた。
「……やりすぎたか」
持てるのは持てる。感覚的には、いくらでも持てそうだ。
でも、持てるからって、ありがたいかと言われると、別の話だ。
「これ、どうすんの」
小麦。大量の小麦。
パンは作れる。たぶん作れる。
でも、パンを作ってどうするんだ。
(俺、腹減るのか?)
さっきから、特に腹が減った感じがしない。
死んだ人間の体って、どうなってるんだ。いや、神か。
考え始めると面倒くさそうなので、やめた。
「……まあ、持っておくか」
そのうち、何かに使えるかもしれない。使わなくても、別に困らない。
ついでに、刈り取った場所に種を植え直す。
「あ」
手が止まった。
「……これ、また育っちゃうじゃん」
自分で植えたんだから、当然だ。
「癖で植えちゃうんだよなー」
刈り跡を見渡す。
「まあ、麦畑が欠けるよりはいいか」
最後に、土をぽんぽんと叩いて整えて、顔を上げた。
畑の向こうに、何かが見えた。
「……ん?」
細い、白い線が、空に伸びている。
煙だった。
一本、二本。ゆっくりと、真っすぐ上に昇っている。
(煙? 火事?)
一瞬、焦った。でも、煙の色は薄くて、細くて、ゆらゆらと穏やかだ。燃えているというより、焚いている感じ。
誰かが、何かを燃やしている。
(誰か)
ふっと、その言葉が頭に引っかかった。
この世界に来てから、動物以外の生き物を、見ていない。
少し迷ってから、もう一度ふわりと浮かび上がった。畑の上を、煙の方向へ向かって進む。
高度を上げると、小麦畑の端が見えてきた。
その先に、緑の丘がある。丘の向こうに、屋根のようなものが並んでいた。
ひとつ、ふたつ。
数えているうちに、十を超えた。
四角い屋根。四角い壁。
家だ。家が、いくつも集まっている。
その間を縫うように、細い道が走っていた。
道の途中には、井戸のようなものが見える。広場のような空間も。畑らしきものも、あちこちにある。
そして、屋根の隙間から立ち昇る、細い煙。
「…………村か」
声に出してみた。
村だ。間違いなく、村だ。
さっきまで見てきた放置物と違って、ここには、ちゃんと生活の気配がある。
道を、小さな何かが動いている。
遠すぎて、何かまでは分からない。でも、動いているということは、生きているということだ。
(誰かいる)
胸が、少しだけ跳ねた。
こんな世界で、一人きりだと思っていたのに。
「……行ってみるか」
俺は村のほうへ高度を下げた。
高度を下げるにつれて、道を動く影が、少しずつ大きくなってきた。
(やっぱり、人?)
二本足で歩いている。腕を振っている。
(マジか。俺のほかにも、誰か転生してたとか?)
村の外れ、木の陰に降りて、様子をうかがう。
なんとなく、いきなり目の前に降りるのは気が引けた。ここから見えているぶんには、向こうはこっちに気づいていない。
道の向こうから、一人、歩いてくる。
荷車を引いている。荷台には、積み上げられた木材。
だんだん近づいてくる。
(……ん?)
歩き方が変だった。
人間なら、足を出すたびに、膝が曲がる。腕を振れば、肘が曲がる。
それが、ない。
ブロック状の足が、前後にぎこちなく動いている。腕も、肩のところから、棒みたいに揺れているだけだ。関節がない。
(関節……ないのか?)
さらに近づいてくる。
顔が見えた。
頭は、角ばった箱みたいな形だった。目は小さくて、離れてついている。口は細い線。
そして、その真ん中に。
鼻が、ドンとあった。
「…………」
でかい。
顔の面積の、かなりを占めている。
(鼻、俺の顔ぐらいあるぞ)
声には出さなかった。出せなかった。
人間サイズなのが、余計によくない。
自分とほぼ同じ背丈で、この造形。画面の中で見ていたときは「愛嬌がある」で済んでいたのに、実物大でこうして目の前に来られると、普通に怖い。
(……近くで見ると、結構怖いな)
木の陰で、そっと身を縮める。
荷車を引いた村人は、俺には気づかず、そのまま目の前を通り過ぎていった。
ごとごと、ごとごと。
車輪の音が遠ざかっていく。
(バランスの問題か? 人間サイズでこの頭と鼻は、ちょっと……)
しばらく、そこから動けなかった。
でも、ずっと隠れているのも変だ。
そう思って、ちらっと村の様子を覗いてみた。
畑で、一人が鍬を振っていた。
腕を上げて、振り下ろす。上げて、振り下ろす。同じ動きの繰り返しだ。
その向こうでは、別の一人が、実った作物を収穫している。刈り取って、籠に入れる。籠がいっぱいになると、抱えてどこかへ運んでいく。
道の端では、二人が木材を担いでいる。
家の屋根の上では、誰かが何かを打ち付けている。柵の前では、また別の誰かが、柱をぐらつかせて直している。
みんな、黙々と動いている。
止まらない。迷わない。
(……ちゃんと働いてる)
あれ、と思う。
見慣れた光景だった。
畑を耕して、作物を収穫して、荷物を運んで、家を修理して。
ゲームの村人って、こういう動きをしていたよな。
「…………ゲームと一緒だ」
小さく呟いたら、ふっと肩の力が抜けた。
そうだよ。ここは、あのブロックの世界なんだ。
関節がないのも、鼻がでかいのも、全部そういう仕様だ。
(なんだ。怖がる必要、なかったか)
さっきまで汗をかいていた自分が、ちょっと恥ずかしくなる。
改めて、村人たちを眺め直した。
どの村人も、頭は箱で、鼻がドンと真ん中にあって、手足は棒みたいに動く。服は、茶色っぽいもの、白っぽいもの、緑がかったもの。肌の色にも、少しずつ違いがある。
(どっちが男で、どっちが女なんだ?)
さっぱり分からない。
服で見分けるしかないけど、その服も、仕事ごとにだいたい決まっているようだ。
「……全員、職業スキンか」
農夫は農夫の格好。大工っぽいのは大工っぽい格好。鍛冶屋らしいのは、遠くからでも煤けて見える。
ちゃんと分かれてるな、と感心した。
「一生懸命働いてんなー」
つい、声に出した。
「偉いな」
誰にも聞こえない声で、そう呟く。
そのとき、畑の端のほうで、何かがあった。
収穫した作物の籠を運んでいた村人が、つまずいたらしい。
籠がひっくり返って、中身が地面に散らばった。
その場にいた村人が、足を止めて、地面を見下ろす。
ハーーン……。
(あ、声出した)
低くて、長く伸びる声だった。
初めて聞く、村人の声だった。
(……ハーン?)
聞き覚えがある。ありすぎる。
「鳴き声も一緒かよ」
思わず笑ってしまった。
もう一人の村人が駆け寄って、一緒に拾い始める。
フゥン。
フゥンフゥン。
二人で何かを言い合っているみたいだ。
ハーーン……。
さっきの村人が、もう一度、長く息を吐いた。
「そんなに悲しそうにハーン言うなよ……」
ただのモーションだとは分かっているけど、なんとなく、声がしょんぼりして聞こえる。
(話せれば、便利だったのにな)
たぶんそれっぽいことを言ってるんだろうけど、こっちには全然伝わってこない。
フゥン、ハーン。
これだけで、よくあれだけ会話が成り立つな。
(見た目もゲームと一緒。行動もゲームと一緒。声もゲームと一緒)
頭の中で、指を折って確認した。
「やっぱりNPCか」
腑に落ちた。落ちたら、気が楽になった。
さっきまで怖かったのは、たぶん、自分と同じ大きさだったからだ。
大きさが違うと、全然印象が違う。
そう思ったとき、広場のほうから、軽い足音が駆けてきた。
ぱたぱたぱた。
視線を向けると、小さな村人が数人、走っていた。
大人をそのまま縮めたみたいな姿。
頭が箱で、鼻がドン、手足は棒。それが、腰のあたりまでしかない。
「お……」
フゥンフゥンフゥン!
高い声が、きゃっきゃっと跳ねる。
一人が転がって、別の一人が笑って、また一人が追いかける。大人の村人が、畑の脇を通りながら、ちらっとだけそちらを見て、また仕事に戻る。
(子どもだ)
さっきの大人と同じ造形なのに、不思議と、怖くなかった。
むしろ、なんというか。
(マスコットみたいだな)
ころころ転がる四角い塊。鼻だけが、やたらと目立っている。
そのうちの一人が、フゥンフゥン、フゥーン♪と、リズムをつけて声を出し始めた。
隣の子が、真似をする。さらにもう一人が加わる。
フゥンフゥン、フゥーン♪
フゥンフゥン、フゥーン♪
(……フゥンだけど……歌ってるのか?)
節がついている気がする。
たぶん、歌なんだと思う。たぶん。
「ゲームの村人、歌うんだ」
初耳だった。ここだけのオリジナル仕様かもしれない。
子どもたちは、歌いながら広場のほうへ駆けていった。
つられて、俺も木の陰から出た。
家の屋根の高さまで、ふわりと浮かぶ。
低い位置だと、建物が邪魔で広場がよく見えない。上から見たほうが早い。
広場の端に、小さな祠のような建物があった。
その前に、子どもたちがぱたぱたと集まっていく。
『大ばば様、こんにちは!』
『はいはい、こんにちは、ミア。今日も元気だね』
『今日は何するのー?』
『そうさね。今日は、神様の話をしようかね』
『神様?』
『創造主様のことだよ。ほら、みんな、座っておくれ』
子どもたちが、わらわらと地面に座り込む。
その前に立っているのは、紫色のローブを着た村人だった。
(お、色が違う)
ほかの村人と、はっきり違う。
裾の長いローブで、全体が深い紫色だった。
(聖職者スキンか)
教会にいるやつだ。ゲームだと、神父とかそういう役割のやつ。
その紫ローブが何か話し始めると、子どもたちは一斉に静かになった。
『遥かむかし、創造主様は大地を作られた。
海を作り、山を作り、森を植えてくださった。
家を作り、畑を作り、わたしたちに糧を与えてくださったのだよ』
『ねえ、大ばば様。お日様は?』
『もちろん、お日様も創造主様がお作りになったのだよ』
『すごーい!』
子どもたちが、目を輝かせる。
フゥン、フゥンフゥン、と声が続いている。
(紫のやつ、よく喋るなー)
ほかの村人は、ぽん、ぽんと短い声を返すだけなのに。
あの紫ローブだけは、ずっと続いている。聖職者だから、そういうものなのかもしれない。
紫ローブが、ゆっくりと腕を持ち上げて、空を指した。
『創造主様は、いつもあの空の向こうから、わたしたちを見守ってくださっていたのだよ』
子どもたちが、いっせいに空を見上げる。
つられて、俺も空を見た。
雲が、ゆっくり流れている。
ちょっと灰色っぽいのが、遠くに一つ。
(天気の話か?)
雨降るのかな。洗濯物とか、出してるのかな。
いや、ゲームの村人は洗濯しないか。
『けれど――創造主様は、やがて人の知の及ばぬことをなさるようになった』
大ばば様が、少し遠くを見る。
『大地に大きな穴を開けられたり、水をあふれさせたり……』
『あの大きな穴も?』
『そうだよ。あの山も、削られてしまったのだと伝えられている』
子どもたちが、顔を見合わせる。
『そしてある日、創造主様は、この世界からお姿を消された』
そのとき、小さな子が手を挙げた。
『大ばば様、なんで神様いなくなっちゃったのー?』
高い声が、広場によく通った。
紫ローブの動きが、ぴたりと止まる。
そのまま、少しだけ黙った。
『それは……人には、未だに分からないのだよ』
質問した子の肩が、すとんと落ちた。
隣の子も、反対側の子も、つられるみたいにしょんぼりしている。
(あー、先生困らせてるな)
教科書にない質問をして、先生が詰まるやつだ。
どこの世界でもあるな、こういうの。
紫ローブは、その子の頭に手を伸ばした。
ぽん、ぽん。
棒みたいな手が、箱の頭を、ゆっくりと叩く。
『けれどね。創造主様は、去られる前に、ひとつだけ希望の神託を残してくださった。』
大ばば様は、子どもたちを見回した。
『いつの日にか、新たなる神が、この地に降りてくださる、と』
『ほんとに?』
『ああ。わたしは、その神託を信じておるよ』
子どもたちが、顔を上げた。
さっきまで沈んでいた顔に、また少しだけ、光が戻っている。
(元気出たっぽいな)
ほっとした。
いや、ほっとするも何も、ゲームの中の話なんだけど。
そのとき。
紫ローブが、ふっと顔を上げた。
屋根の上に浮かんでいる、俺と。
目が合った。
「…………」
紫ローブの動きが、止まった。
(あ、気づかれた)
その瞬間。
紫ローブの手から、杖が落ちた。
からん、と乾いた音がした。
『…………あ』
紫ローブが座り込む。そのまま、ゆっくりと地面に崩れた。両手を地面について、頭を深く下げて、肩が小さく震えている。
(え、何)
子どもたちが、ざわついた。
『大ばば様?』
『どうしたの? 大ばば様、痛いの?』
紫ローブの顔が、持ち上がった。
箱の顔の、目のあたりから、何かがぽたぽたと落ちている。
(水……?)
泣いてる、のか?
NPCが?
『ああ……ああ……』
震える声が、広場に響いた。
『ずっと、ずっとお待ちしておりました……。長い、長い間……。わたしの目の黒いうちに、この日が来るとは……』
フゥン、フゥン……と、声が続いている。
『おお……神が戻られた。おにぎり様』
「…………」
俺は、浮いたまま固まった。
(……今、俺の名前呼んだ?)
聞こえた。
聞こえた。
はっきり聞こえた。
「おにぎり」
(いや、気のせいか?)
ほかの音は全部、いつもの鳴き声なのに。
そこだけ、やけに輪郭が立っていた。
『おにぎり、さま……?』
『あれが、神様……?』
『おにぎり様だー!』
子どもたちが、いっせいに立ち上がった。
腕をぶんぶん振って、跳ねて、こっちを指さしている。
『おにぎり様ー!』
おにぎり! おにぎり!
「…………」
高い声が、俺の名前だけを、何度も呼ぶ。
(なんで俺の名前、知ってんの)
一瞬、考えた。
でも、すぐに考えるのをやめた。
こういうの、ゲームでもあるよな。
プレイヤー名を呼んでくれるNPC。
「……そういう仕様か」
そう呟いて、とりあえず、ひらひらと手を振ってみた。
すると、子どもたちが、さらに跳ねた。
紫ローブは、まだ地面に手をついたまま、動かなかった。
肩が小さく揺れて、ぽたぽたと何かが落ち続けている。
(……演出、細かいな)
どう反応していいか分からないまま、俺は屋根の上で、手を上げたまま固まっていた。
屋根の上で手を上げたまま、下ろしていいのか分からずにいるうちに、村人たちがわらわらと集まってきていた。
広場から、畑から、家の中から。
四角い頭が、次々に寄ってくる。
『大ばば様が泣いておられる』
『今、おにぎり様と呼ばれたぞ』
『では、あれが……?』
『ああ、ありがたや。生きているうちに、こんな日が来るとは』
フゥン、ハーン、フゥンフゥン。
数が増えると、音がうるさい。
そして、全員がこっちを向いている。
(……何だこれ)
屋根の下は、あっという間に、四角い頭の海になった。
どの頭もこっちを向いている。鼻がずらっとこちらを向いている。普通に圧がある。
(これも挨拶モーションなのかな)
プレイヤーが近づいたら、一斉にお辞儀するタイプ。
そういう村、あるよな。たぶん。
とりあえず、さっきと同じく手を振ってみた。
おにぎり! おにぎり!
また名前が飛んできた。
音の洪水の中でそこだけ輪郭が立っていて、聞き逃しようがない。
「あー、はいはい」
どう返していいか分からない。
ここにいると落ち着かないので、俺はそっと屋根を離れた。
人混みから離れて、村の中を歩いてみる。
歩いてすぐ、足元が気になった。
「道、歩きにくっ」
道が、でこぼこだった。
段差がバラバラで、つま先を引っかけそうになる。
「ここ、いらないだろ、この段差」
ブロックを一つ外す。平らになった。
隣も気になって、直す。その隣も、直す。
ひとつ直すと、次が見えてくる。
こうなると、もう止まらない。
「この辺も暗すぎるだろ」
松明を置く。置いたら、その先の暗さが気になる。置く。
そうやって、道を進んでいくうちに、村の外れまで来た。
道の真ん中に、大きな穴が空いていた。
縁はきれいに四角くえぐれていて、底が見えない。
「……なんでこんなところに穴開いてんだよ」
その手前で、村人が一人、荷物を抱えて立ち止まった。
(商人スキンか)
穴を避けるように、大きく迂回していく。
ゆっくり歩いてはいるが、もし落ちたら、普通に危ない。
(これ毎回、遠回りしてんのか?)
(……面倒くさそうだな)
穴を見る。
商人を見る。
もう一度、穴を見る。
「いや、これ埋めるか」
見ていられなくなって、手元の土を穴にどさどさ落とした。
一個。
二個。
三個。
四角い穴が、四角い土で埋まっていく。
最後に上をならして、道を均した。
「よし」
満足して振り返る。
さっきの商人が、立ち尽くしていた。
『…………』
荷物を抱えたまま、埋まった道を見ている。
周りにいた村人たちも、何事かと集まってきた。
『創造主様がお残しになった穴を……』
『おにぎり様が、お埋めになった……』
『わしらのために……』
村人たちは、集まってフゥンフゥン言いながら、埋めた道を見ている。
(あ、埋めちゃダメだったのか?)
商人が、荷物を地面に置いて、額を地面にこすりつけんばかりに頭を下げる。
フゥン! ハーン!
それを見ていた周りの村人たちも、同じように次々と頭を下げ始めた。
お礼言ってんのかな?
(まぁ、便利になって良かったな)
プレイヤーの行動を、こんなに丁寧にNPCが拾ってくれるなんて。よくできたゲームだな。
「いい村だな、ここ」
褒め言葉のつもりで、独り言が出た。
その日の夕方には、村のほとんどの道が平らになった。
暗い角には松明が並んで、窓の灯りと合わせて、道がうっすら明るい。
子どもたちが、はしゃいで道を走り回っていた。
転んでも泣かない。段差がないからだ。
『わあ、夜なのに明るい!』
『エマ、見て! こっちにも光があるよ!』
(そんなに松明が好きか)
不思議に思いながら、俺は置いた松明の列を眺めていた。
「そういえば」
手持ちを見る。
小麦が、やたら入っている。
「これ、どうすっかな」
使い道もないし、このまま置いておいてもいいけど。
……あ。
「村人って、物渡すと何か交換してくれるんだよな」
ゲームでは、そういうのがあった。
試してみるか。
渡す相手を探して、村の中をふらふら歩く。
フゥン……。ハーン……。
井戸のそばで、子どもが村人と話していた。
『ミア、お母さんの具合はどうだい?』
『……まだ、お布団から出られないの』
『そうかい……。何か食べられたかい?』
『ううん……もう、麦もなくて』
『これ、少しだけど持っていきなさい』
『だめ。それ、おばさんのご飯でしょ』
首を横に振ると、大人はそのまま離れていった。
(まあ、こいつでいいか)
近づいていくと、子どもがびくっと顔を上げた。
「えーと」
手の中の小麦を、ずいっと差し出した。
「ほい」
子どもは小麦と俺の顔を、何度も見比べる。
それから、そろそろと両手を伸ばし──
受け取った。
(交換、いけるか?)
子どもは小麦を手にしたまま、何度も頭を下げた。そして、そのまま小麦を持って走り出した。
「あ、ダメだったか……」
向かったのは、井戸の近くの小さな家だった。
扉が少しだけ開いている。
中から、コン、コン、と乾いた音が聞こえた。
子どもは家の前で立ち止まると、家の脇へ周り、すぐ戻ってきた。
手には、白い花を一輪。
根元についた土を、服の裾でごしごし拭いている。
そして、両手で、そっと俺に差し出した。
「…………花?」
受け取ってみる。
白くて、小さな花だった。
(なるほど)
小麦をあげたら、花が返ってきた。
「小麦と花か。これぐらいのレートか」
ゲームでもある。
意外と花の価値が高いやつ。
「まあ、悪くないか」
子どもは、俺が花を受け取ったのを確認すると、また何度も頭を下げた。
それから、小麦を抱えて家の中へ走っていく。
扉が閉まる直前。
『お母さん!』
中から、弾んだ声が聞こえた。
(……そんなに小麦、嬉しかったのか)
手のひらの白い花を見る。
「まあ、花も綺麗だし」
悪くない取引だった。
気がつくと、子どもたちがついてくるようになった。
「……また来た」
作業をしていると、後ろから、ぱたぱたと足音がする。
振り返ると、慌てて柱の陰に隠れる。
でも、全然隠れていない。
「…………」
(隠れてるつもりなのか)
鼻が見えている。鼻だけ、ぴょこんと柱の横からはみ出している。
「いや、見えてるから」
あるとき、いつものようについてくる子どもたちの一人が、俺のパーカーの胸元を、じっと見ていた。
『ねえ、見て。おにぎり様の胸のところ』
『あれ、なあに?』
『三角……?』
『真ん中に丸があるよ!』
『おにぎり様の紋章だ!』
『神様のしるしなんだよ!』
フゥンフゥン! おにぎり! おにぎり!
「……あー、これ?」
胸のワッペンを指でつまむ。
梅干しおにぎり。
配信にぴったりで、お気に入りだ。
子どもたちは、ワッペンを指さして、大騒ぎしている。
(そんなにこのワッペンが気に入ったのか)
「いいだろ、これ」
自慢げに胸を張ってみる。
子どもたちが、歓声を上げた。
『やっぱり神様のしるしだ!』
『かっこいい!』
『おにぎり様ー!』
「……?」
胸元を見て、えらく喜んでいる。
(まあ、気に入ったならいいか)
俺はそのまま、胸を張っていた。
村の外れで、変な村人を見つけた。
柵のそばのベンチに、一人座っている。
腕と足には、白い布が巻かれていた。
頭には何も載っていない。
農夫の帽子もないし、鍛冶屋のエプロンもない。
(……職業なし?)
(この村に、こんなのいたっけ?)
見事なまでの、無職スキンだった。
近くでは、子どもたちが三人、その無職のまわりに集まっている。
『トムおじさん、元気になるまで歩いちゃダメよ!』
『わかってるって、エマ。ちょっと座ってるだけだよ』
『水、持ってきたよ』
『ありがとう、サム。みんな、そんなに心配しなくても大丈夫だぞ』
『だって、トムおじさん、モンスターから村を守ってくれたんだもん。本当は、動いちゃだめなんだよ』
『ははは。守ったっていっても、結局このざまだけどな』
『ううん! トムおじさんは、英雄だもん!』
(こいつ、働かなくていいのか?)
昼間っからベンチに座って、水まで持ってきてもらっている。
ちょっと羨ましい。
白い布は、何かの新しい装備だろうか。
俺が近づいていくと、無職がこちらを見た。
目が合う。
その瞬間、無職の動きがぴたりと止まった。
『お、おにぎり様……!』
おにぎり。
(……あ、名前)
名前だけは、やっぱり聞こえる。
「まぁ、お前も働けよ?」
軽く声をかける。
『…………』
無職が固まった。
「……?」
なんだ?
俺は無職の腕に巻かれた白い布を指さした。
「あと、それ新装備?」
『…………!』
無職の目が、さらに大きくなる。
『神様、トムおじさんのこと心配してくれてるの?』
『ほんとだ!』
『神様に褒められたの?』
『すごーい! トムおじさん!』
子どもたちは騒ぎ飛び跳ねている。
無職が、勢いよく立ち上がった。
『俺は……もっと、強くなるぞー!』
「え、何、急に。怒った?」
近くの棒切れをつかんで、ぶんぶん振り回す。
その腕に、子どもたちが両側からしがみついた。
『だーかーらー! 歩いちゃダメって言ってるでしょー!』
『いたたた、わかった、わかったよ!』
(なんか無職のくせに、子どもにめっちゃ懐かれているな)
「……人望?」
そういうことにしておいた。
それからしばらく、俺は村の周りで作業を続けた。
畑の畝を直す。水路を引く。村のあちこちに松明を置く。
夜に暗い場所があると、どうにも落ち着かない。
ある朝、子どもたちが、慌てた様子で飛んできた。
『おにぎり様! こっち! こっち来て!』
おにぎり! フゥンフゥン!
袖をぐいぐい引っ張られる。
「何言ってるか全然分かんねぇ」
でも、見せたいものがあるらしい、ということだけは分かった。
「分かった分かった。行くから、引っ張るな」
連れて行かれたのは、先日、俺が埋めた穴の場所だった。
埋めた道の両脇に、灰色と白っぽい石ブロックが交互に並べられている。
小さな市松模様になっていた。
その間には、野の花が挿してある。
まだ新しい。つぼみのものもある。
少し離れたところで、商人が腕を組んで立っていた。
俺を見つけると、満足げに何度も頷く。
『ここは、おにぎり様がお直しになった道じゃ。わしらで、きれいにしておかねばな』
『うん! おにぎり様に、見てもらいたかったんだ!』
「…………」
花と石を、順番に見る。
「…………なんか飾ってある」
「景観、整えたのか。センスあるじゃん」
ふと、子どもたちを見る。
こっちをじっと見ている。
「……これ、俺に見せたかったのか?」
(俺のことを認識してるNPC、だな、これ)
悪くない。
いや、別に悪くないだけで、他に意味はない。
「まあ、いいんじゃない? いい感じ」
そう言って、親指を立てる。
子どもたちも、真似するように手を上げた。
(……まあ、通じたっぽいな)
それは、昼下がりに来た。
最初に気づいたのは、影だった。
地面が、すっと暗くなる。雲じゃない。大きくて、翼のような形をした影が、村全体をゆっくりと覆っていく。
「…………ん?」
――ゴォォォォォォォッ!
空気が震えた。
『ドラゴンだ!』
『子どもたちを中へ! 早く!』
『ミア、こっちだ! 家に入りなさい!』
村が、一瞬で悲鳴に包まれた。
農夫が鍬を放り出して走る。
鍛冶屋が子どもを抱えて家に飛び込む。
祠から紫ローブが飛び出してきて、地面に座りこみ、杖を握りしめて祈り始めた。
『創造主様……おにぎり様……どうか、どうかこの村を……』
おにぎり。
(……今、名前呼ばれたか?)
聞こえた。この混乱の中でも、そこだけ、はっきりと。
ベンチのほうでは、無職が棒切れを握って立ち上がろうとしていた。
『俺が行く……! 俺が……!』
『ダメー! トムおじさん、動いちゃダメ!』
子どもたちが、必死にしがみつく。
俺は、その全部を、空から見下ろしていた。
そして、視線を遥か上空へ――
黒い鱗。巨大な翼。咆哮のたびに、風がびりびり震える。
「…………え?」
見覚えがある。ものすごくある。
「なんでお前がここにいるんだよ」
本来は、もっと奥のやばい場所にいるボスだ。こんな、のどかな村の上を飛んでていいやつじゃない。
「……あー」
思い出した。
「強いモンスターが、どこでも出てくるやつか」
いつでも、どこでも、強い敵が出てくるようにする追加要素。戦闘が好きなやつが入れそうなやつだ。
「ただ、こんなの入れるやつ、本当にいるのかよ」
呆れて、ため息が出る。
「……しょうがない。やるか」
剣を手にした。
ドラゴンが、村の真上で大きく息を吸った。
首を後ろに引く。喉の奥が赤く光る。
「あー、それ。ブレスの前、首引くんだよな」
ひょいと横に飛ぶ。
さっきまでいた空間を、炎の塊が焼き払った。熱風が顔を撫でる。
「うおっ、あっつ! でも当たんなきゃいいんだよ、当たんなきゃ」
ドラゴンが、尻尾を振り回してきた。
「やっぱ、モーションは一緒なんだな」
尻尾の下をくぐる。くぐった先で、ちょうど首のあたりに回れた。
「じゃあ、いつものドラゴンと同じか」
剣を振る。一回。二回。
ドラゴンが咆哮を上げて、体勢を崩す。落ちかけて、また翼を広げる。
下を見ると、村人たちが見えた。
家の中に押し込まれた子どもは、窓から顔だけ出して震えている。
無職が子どもたちを背に、空を見上げている。
紫ローブは祈りながら、ぎゅっと目を閉じていた。
『おにぎり様……どうか、どうか……』
そして畑の端で、鍬を持った村人が一人、立っているのが見えた。
そのすぐ横には、もう一人の村人が座り込んでいる。
『あなた、逃げて!』
『お前を置いて行けるか!』
『でも、私はもう動けないもの!』
『だったら俺がここにいる!』
『あなたまで死んだら、どうするの!』
『お前を置いて逃げるくらいなら、一緒にここにいる!』
「…………」
俺は、空の上から二人を見た。
(守ってる?)
(……逃げないんだ)
鍬を持った村人は、もう一人を庇うように立っていた。
「…………」
一瞬だけ、手を止める。
(ゲームのNPCって、ここまでやるか?)
その隙に、ドラゴンがまた大きく首を引いた。
「あ」
慌てて意識を戻す。
「あー、はいはい。今のは完全に俺が悪い。集中するわ」
そこからは早かった。
ブレスをかわす。
尾をかわす。
ドラゴンが空中でバランスを崩した瞬間、首元に剣を突き立てる。
「よし」
ドラゴンは、どさっと大きく体を揺らして、地面に落ちた。
もがく間もなく、全身が光の粒になって、ぱあっと散っていく。
静かになった。
剣を下ろして、ふーっと息を吐く。
「あー、疲れた。でも、まぁ。前よりは楽だったな」
あたりを見回す。
村人たちは、窓の隙間から、畑の陰から、じっとこちらを見ていた。
誰も、動かない。
「……なんだ?」
その瞬間。
村外れから、誰かが走ってきた。
「……ん?」
見覚えのある無職が、こっちに向かって、ものすごい勢いで走ってくる。
『お……おにぎり様ああああ!』
そこから、一気に広がった。
おにぎり! おにぎり! おにぎりー!
家の扉が開く。畑の陰から人が飛び出す。みんなが一斉に駆けてくる。
あっという間に、俺は村人たちに囲まれた。
『ありがたや、ありがたや!』
『おにぎり様が、村を救ってくださった!』
花を持ってくるやつがいる。
深々と頭を下げているやつもいる。
赤ちゃんを抱いて、俺に見せようと必死に掲げるやつまでいる。
その輪の奥で、紫ローブが、地面に座り込んだまま、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
『ありがたや……ありがたや……。わたしの生きているうちに、二度も、このような奇跡を……』
見回すと、さっきの農夫達もいた。子どもたちが無職の両側から肩を貸していた。
みんな、笑っている。泣いている。何かを、必死に叫んでいる。
フゥン! ハーン! フゥンフゥン!
その中に、ときどき、くっきりと混じる。
おにぎり。
「…………」
何を言っているのか、一つも分からない。
ただ。
「……ああ」
「嬉しいんだな」
それは、分かった。言葉がなくても、顔を見れば、なんとなく分かる。
赤ちゃんを抱いた村人が、すっと近づいてきた。
抱えた赤ちゃんを、ずいっとこっちに差し出してくる。
「え、いや、俺は」
小さい。ちっちゃい。
大人と同じ造形のまま、そのまま縮んだみたいな頭と、鼻。
赤ちゃんが、ハーン、と小さく鳴いた。
(……鳴き声まで縮んでんのか)
指をそっと近づけてみる。小さな手が、それをぎゅっとつかんだ。
「うおっ」
意外と、力が強い。
村人たちが、ぱっと歓声を上げた。
何か言わなきゃいけない気がして、俺は、さっきから聞こえているやつを、真似してみた。
「……フゥン」
一瞬の静寂。
そして。
フゥン!! ハーン!!
歓声が、さっきの倍になった。
「えっ、なんで増えるの」
村人たちは大喜びで、手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりしている。赤ちゃんまで、きゃっきゃと笑っている。
がっくりと、肩を落とした。
「……だから何言ってるか分かんねぇって」
でも、不思議なことに。
その場から離れようとは、思わなかった。
夕方、歓声はようやく静まった。
村人たちが、それぞれの家に戻っていく。道に沿って、松明の灯りがぽつぽつと並んでいる。自分が置いたやつだ。我ながら、なかなかいい配置だと思う。
広場の真ん中で、俺はぼんやり立っていた。
「……なんなんだろうな、こいつら」
最初は、ただの村人だった。
次に、よくできたNPCになった。
それから、俺のことを認識してるNPCになって。
「今は、名前を呼んでくる人たち……」
呟いてから、首を振る。
「いや、人間じゃないだろ。四角いし」
頭が四角い。手も足も、全部四角い。
「鼻でかいし」
どう見ても、ゲームの村人だ。
「でもまあ――」
「この世界、もうちょっと見ていてやるか」
そう決めた。誰に言うでもなく、自分に向かって。
「おにぎり!」
後ろから、声がした。
「……ん?」
振り返ると、子どもたちがいた。両手をぶんぶん振っている。
「おにぎり!」
「…………」
もう一度、呼ばれた。
少しだけ迷ってから、小さくため息をつく。
「……はいはい」
そして、手を少しだけ、上げた。




