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築山省吾の心残り

作者: 開運満足 
掲載日:2026/08/06

 省吾は、江戸城大奥で働くいわゆる御広敷伊賀者で、御広敷番頭の指示を受けて動く御広敷添番と呼ばれる百俵取りに満たない軽輩であった。

 胸の病に悩まされる彼は伊賀の忍びとして忍術も武術も一流だったが、その命は燃え尽きようとしていた。

 そんな設定で伊賀者をホラー場面を交えてヒューマン小説仕立てにして描いてみました。

 築山省吾の妻、千絵は夫のために高麗人参を求めて、嫁入り時に持ってきた晴れ着を質に入れ、その月に二分金一粒を手に入れた。その次の月には亡母の着物を質に入れて、やはり二分金一粒を手にした。その次の月には夫に買ってもらった余所行きの一張羅を質に入れ1朱銀を。

 そうやって、もう一年半も夫の胸の病の回復を祈って身分と俸給に分不相応の高麗人参を求めて来たのであった。

 省吾は、江戸城大奥で働くいわゆる御広敷伊賀者で、御広敷番頭(おひろしきばんがしら)の指示を受けて動く御広敷添番(そえばん)と呼ばれる百俵取りに満たない軽輩であった。

 省吾が胸の病に罹ったのは、もう十年も前の事である。それが最近(とみ)に悪化して、二年前から床に臥すようになった。薬代で家の潰えが尽きたのはそれから半年。年百俵では半年持ったのが不思議なくらいだ。

 本来なら、薬も高麗人参などと言う高価なものに手が届くはずがなかった。

 それでも医者が

 「いろいろやってみたが、これ以上症状を和らげるのは無理じゃ。高麗人参でも使うしかないだろうて」

 と、そう言われると、千絵は自分の娘時代の晴れ着を質に入れて、なんとか小さく痩せた高麗人参を手に入れ、それを煎じて省吾に飲ませたのだった。


 それというのも、六年前に、好いて一緒になった省吾への思いからであった。


 千絵は思い出す。その六年前の父との葛藤を 


 「日頃のわしの寵に慢じおったか、家来筋の分際で、伊賀鉄砲百人組の組頭の娘に懸想(けそう)するのも、不届きであるのに、かどわかして、一夜、空き家に閉じ込めるとは不埒者(ふらちもの)めが」

 「父上様、それは違います」

 千絵は激しくかぶりを振って、

 「違うのです、聞いて下さいませ」

 「何が違う、築山の子倅めが、無理強いをして、そちを泊めおいたのであろう」

 「いいえ、いいえ、千絵のいう事を聞いて下さいませ。省吾様のお陰で千絵は色々なことを知れたのです、悪いのは千絵の方です」

 「何を戯けたことを」

 「わずかばかりお家の芸が達者と、忍びや武芸の真似事ばかりして、これまで組の者に迷惑をかけているのに、それに気付かなかった千絵が悪いのです。そうです、千絵が悪かったのです。わたしは本当に愚かでした。千絵は昨晩、それが分かりました」

 「・・・」

 「父上様、千絵を築山に嫁にやって下さいませ」

 「なんと・・、今、なんと言った。築山に嫁にと」

 「そうでございます。父上様、わたくしを築山省吾さまのもとに」

  

 千絵の家は伊賀鉄砲百人組頭で、世が世なら省吾の主筋にあたる家であった。千絵はわがまま放題に育ち、嫁に行くなら、お家の芸と呼ばれる忍びの術、鉄砲、弓、投擲術、剣術、柔術が女である自分よりできる者でなければならぬと放言し、こっそりと父の家来と試合をしては打ち負かしていたのだった。


 その()()()()()を折ったのが、築山省吾であったのだ。


 千絵は省吾が居なくなる将来を想像できず、夫が快方に向かう事だけを願っている。

 省吾も弱っているが

 「千絵、私が体を病んだが故に、子を儲けることが出来なかったのだけが心残りだが、千絵と暮らせた日々は本当に満足している。省吾は満足してあの世に行くのだ。このうえ金を作ろうと無理をするでないぞ。私がいなくなったら父御(ててご)のところに戻るがよい、後生を大事にするのだぞ」

 と自分の躰より、千絵の()()()だけを心配している。


 心配をかけた父の清広も三年前に死んだ。

 父の後は嫁を貰った長兄の主膳(しゅぜん)が名前ごと家督を継いで、次兄の晴充(はるみつ)は一年前から幕府の命で伊賀に帰っていると聞いた。

 千絵は小姑として兄の家に厄介になることになりそうだと覚悟していた。


 その千絵の長兄と次兄が数か月前に御広敷添番(おひろしきそえばん)たちの住む長屋に揃って見舞いにやって来て

 「高麗人参を買うておるのか、それだけの金があるなら、心配せずとも良かったかな」

 と言って小判を置いて行った。

 それを知る省吾はその金を薬ではなく千絵の今後の生活に残して欲しいと言うのだ。


 省吾の同僚や上司も度々見舞いに来た。同じ長屋の住む顔なじみたちである。

 何度も言うが、同じ長屋住まいだ。与力扱いで御広敷(おひろしき)添番頭(そえばんがしら)の望月貞伸も他の同心格より三部屋多いだけの添番長屋(そえばんながや)住まいだ。

 その長屋住まいの中で、正真正銘の高麗人参がいくらするかを知っているものがいるとすると、それはやはり添番頭の望月貞伸ぐらいだろう。

 「ちゃーんと根がしっかりした高麗人参なら、一つ百両、それでひと月分を賄えようか。どの程度まで刻んで粉にし煎じるのか分からないが、もし毎日飲ませたいならひと月三百両はすると存ずる。与力格の(それがし)どころか、小旗本扱いの番の頭(ばんのかしら)とても、賄うのは無理だ。騙されて偽物を掴ませられているのか、それとも・・・」

 と考えて、不審に思った。

 千絵が類まれにみる美しい女性(にょしょう)であるから、その疑いは無理もないかもしれない。


 千絵は、省吾が倒れてひと月後には、大奥で御半下(おはんした)または御末(おすえ)と呼ばれる最下級の女中として雇われ働いている。望月の今の話に出た御広敷番の頭(ばんのかしら)の推挙である。御広敷番頭(おひろしきばんがしら)とは、番の頭(ばんのかしら)とも呼ばれ、望月のような御広敷()番頭や御切手番頭(おきってばんがしら)をも監督する御広敷の(おかしら)、最高責任者のことである。



 あの時代の事だ。やがて胸の病で省吾は弱って行き、とうとう亡くなった。


 「後の世も、同じ木に咲く、桜花、散って吹かれて、唐に行こうと」

 と恋女房の千絵に辞世を渡して。


 通夜は御広敷添番衆の皆が、棟違いでも同じ長屋に住むということで、総出で営まれた。

 翌日早朝の野辺の送りは、江戸城大奥の仕事に差し支えがあってはならないと、少人数で行われることとなり、その通夜の晩は早めに切り上げた。

 その同じ通夜の夜、御広敷添番頭の望月貞伸が、皆がいなくなってがらんとした築山家を訪ねると、仏様の前の蝋燭ひとつと部屋の燭台一つの薄暗い中、千絵が一人でいる。


 疑問が募りに募って、我慢できなくなった望月が詰問する、

 「お千絵さん、もう高麗人参は要らないのだろう。不思議だったのだが、お金はどう都合をつけていたんだい。教えてくれないか。一年ほど前に長屋の外に葵の紋を付けた立派な女籠が止まって、大奥の御女中が築山家に入っていた言った件と何か関係があるのかい。皆が興味を持ったが聞くに聞けなかった覚えがあるよ。どうなんだい」

 不躾に聞くと

 「添番頭様(そえばんがしらさま)、貴方様でも聞くに聞けないことがあるように、世の中には話せないこともあると気付いて、人を困らせないことです。その話はご免被りたくお願いいたします」

 「では、聞かないことにする。勝手にしゃべるから、お千絵さんも聞かなかったことにしておくれ」

 「どうせ、見当違いですよ。やめとくれ。いや、やめておくれなされ、お願いです。大奥の話は誰にもできないことになっております」

 「お千絵さんに・・・、将軍様のお手が付いた。それで当座の費用としてお金を受け取ることになった。評判の美人だから、見染められたんだ」

 千絵はちょっと無言になると、大声で笑いだした。

 「は、は、はーっ、息が苦しい。だから見当違いになるって、冗談でも、止めておくれなさいませな。変な噂が流れ出たら添番頭様の、望月様の恥でございましてよ」


 翌日早朝には故人、築山省吾の縁戚の叔父御が八王子から来たと言って参列した。


 とは言え、親戚縁者の葬列はその叔父と千絵だけ、葬儀の仕切りは省吾の親友兼上司の望月だけ、その望月の横にお寺の僧侶が付いて、残りは本日非番の添番衆の同僚が四人と添番衆が使うこれも非番の小者二人である。荷車に乗せた棺桶はこの六人が交代しながら寺の墓地まで引っ張って行った。


 川面から湧き出るような靄のなかで、棺桶が、がたっ、がたがたっ、がたっ、と揺れる。

 道は良く踏み鳴らされた江戸の道、凸凹が酷いわけではない。

 石を踏まないよう、窪地に落ちないように気を付けても、

 がたっ、がたがたっ、がたっ、がたっ、がたがたっ、がたっ、と揺れる。

 あまり揺れるものだから、荷車の引手が

 「これはおかしい。まさかと思うが、仏が生き返ったのでは」

 そう言う、荷車の引手に、故人の叔父御が答える

 「そんなわけがなかろう。荷車と棺桶の馴染みが悪くて棺桶が大きく揺れているのであろう」

 がたっ、がたがたっ、がたっ、がたっ、がたがたっ、がたっ。

 がたっ、がたがたっ、がたっ。がたがたっ、がたっ。がたっ。

 さすがに一同は、夏というのに寒気を覚えて

 「本当に棺桶が揺れているぞ、見て見ろ」

 望月も言う

 「これは本当におかしい。一旦、荷車を止めて見よ」

 荷車が止まる。

 棺桶は静かだ。

 それを見て、望月が言う

 「おお、大丈夫だ。棺桶は揺れてないぞ」

 すると

 がたっ、がたがたっ、がたっ、がたっ、がたがたっ、がたっ。

 と一段大きな音がする。

 一同、腰を抜かして、棺桶が置いてある荷車を見つめたまま、ずるずると後ずさる。


 いきなり

 「お千絵は、貞淑な女だ。邪推をするな。望月よ」

 と怒鳴り声が棺桶からはっきりと聞こえた。


 荷車回りの一同は、抜かした腰をなんとか動かそうとしたが動かない。

 尻餅を搗く者、横に転倒した者、片足を上げたは良いがその足を降ろせずに、ぶるぶる震わせる者。

 皆、口を開けて激しく息をしているが、叫ぶことも出来ず、声すら出ない。


 棺桶から低く唸るような怒りの声がする

 「望月よ、我が女房は、貞女だ。根も、葉も、なきことで、邪推された、我は浮かばれぬ。わかったか。望月よ、浮かばれぬのだ。望月よ」


 望月も声を確かに聴いたが、今起きていることが信じられないし、返事をしようにも恐怖で声も出ない。


 「望月よ、望月よ、わが友よ、なぜ根も、葉も、なきことを言う」


 「皆の者、望月がわが妻にかけた疑いは、それはそれは、言葉に出来ぬ下衆の勘繰りぞ。何を聞いても信用してはならぬ。お判りいただけましたでしょうや。お判りいただけましたでしょうや」

 と、今度は頼むような調子で声が訴える。


 ここに至って、やっと人々は恐怖の声を出せた。

 「ぎやーっ」

 「ひやーーー」

 「うおーほほほっ」

 思い思いの声を出して、荷車を置いて逃げ出した。


 残ったのは千絵と叔父御と坊主だけ。

 もっとも坊主は、器用にも、腰を完全に抜かして立ったまま気絶しておっただけだ。


 省吾の叔父御が千絵に言った

 「さて、省吾の代わりに声を出したのは、お千絵さんの長兄か、次兄か」

 「次兄の柘植晴充(つげはるみつ)で御座います。叔父上、良くお分かりに」

 「わからいでか、伊賀の上忍の流れを伝え柘植清広(つげ きよひろ)を襲名する御家に伝わる術であろう。我が築山家の主人筋にあたるのだからな」


  「兄上、もう棺桶から出て下さって結構ですよ」

  柘植晴充が、棺桶から上蓋を跳ね上げて出てくる。

 「これで、つまらぬ根も葉もない話は広がらずに済むな。大奥の噂は全て上様の身に関することとなるゆえ、小さきうちに火は消すに如かず」

 省吾の叔父御に体を向けて

 「省吾の叔父御殿、拙者、正式に公儀隠密組に入りました。叔父御殿とご同役となります」

 「おおおお、正式にな、目出度い目出度い」

 「さあ、寺に参りましょう、我らの愚兄、柘植清広(つげ きよひろ)が、待っておりますゆえ。成仏を待つ省吾殿とともに」


 省吾の叔父御、隠密衆の中では名が知られているらしいが、外に名を出すことはあまりない。

 「そうじゃな、そろそろ参ろう。手ぶらで良いな」

 立ったまま気絶している坊主の背中を「ドン」と叩いて()()()し、歩き出しながら。

 「現将軍家は、ご中臈以外のお女中に情けを与えると、その女中にとって危険なだけでなく、大奥内での手続きが煩雑で、どのような政治的混乱を巻き起こすか、よくよく知っておられる。

 あの者も下衆の勘繰りで詰め腹を切らされるより、腰を抜かしただけで真相から遠のく方が本人の為であろうよ」

 と言うと千絵に

 「ところで、お千絵殿、貴方は兄上たちに劣らぬ忍術と武芸の達者と聞く。お仲間になる気はないかな。兄上たちの援助に頼らず暮らせるぞ。公儀隠密は金には困らぬからな。今でも腕は衰えてないと聞いきましたぞ、大奥の()る御女中の筋から」

 「叔父上からの援助はありがたかったです。夫の省吾も感謝しているでしょう」

 「うむ、省吾こそ隠密衆に加えたき逸材であったな、労咳に道を阻まれたのは無念じゃったろう。その代わりにお千絵殿と長く一緒に過ごせて幸せだったのやも知れぬな」


 いつの間にか、川面の靄が消え、空にはにょきにょきと入道雲が伸びて下界を見下ろしていた。


 その後の話は知らない。ただ千絵が公儀隠密になったという記録はない。記録は・・・。


(了)

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