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夏祭りの夜、恋が始まる――幼馴染が歩んだ小さな軌跡

作者: *ほたる*
掲載日:2025/11/08

 「好きだ」


 放課後の教室に響いた声。

 まっすぐな瞳に射抜かれた瞬間、紗世の胸はどくん、と跳ねた。


 ――どうして?

 彼はずっと、ただの幼馴染だったはずなのに......



 健一と紗世は、物心つくより前から隣に住んでいた。

 泥団子を作り、戦隊ごっこをし、虫取り網を振り回す。

 男とか女とか、そんな区別を知らないまま――ただ笑って、転んで、泣いて、そのたび一緒に立ち上がった。

 紗世は小柄で、泣き虫なくせに負けん気が強かった。


 ある日、友達と一緒に近所の広場で走り回っていると……紗世が転んだ。


「何してんだよ!...大丈夫か?」


 あわてて駆け寄り見てみると、右膝を少しすりむいている。紗世は目に涙を溜めながらも、必死に歯を食いしばっていた。


「……痛くないもん」


 意地を張る顔が小さくて頼もしかった。

 ――あの頃は、ただの幼馴染だった。


 しかし、小学校高学年ごろになると......ふたりは自然と分かれはじめる。

 男子は男子で、女子は女子で遊ぶようになった。

 流れに逆らえず、ふたりの距離は、少しずつ、少しずつ――開いていく。


 会えば挨拶を交わす。

 ――それだけの関係。

 けれど、いつからか健一の視線は、自然と紗世を追うようになっていた。

 いつからそうなったのか――

 健一自身にも、わからなかった。


 笑うときに眩しそうに目を細める顔。

 髪を耳にかける、さりげない仕草。

 テストの前、真剣な表情でプリントに視線を落とす横顔。

 そういった何気ない瞬間が、胸のどこかに引っかかって離れなくなっていた。


「7秒8」

 体育の授業の50メートル走。

 教師の声が響いた瞬間、彼女は息を切らせながら、小さくガッツポーズをする。


「……すげーじゃん」


 たまたま近くを通ったときについ出てしまった声に、紗世が思わず振り返った。

 瞳を大きく見開き――うれしそうにふっと笑う。

 その表情に、なぜか胸がざわめいた。


 中学生になる頃には、近所の顔見知り――その程度の距離感になった。

 朝、玄関先で偶然会えば、


「おはよ」

「……おう」


 と、短く言葉を交わすくらい。

 昔はもっと気軽に話しかけられたはずなのに、いまは少し照れくさい。

 でも、それでもよかった。

 無理に踏み込めなくても、隣にいることを実感できれば、それで十分だった。

 とはいえ健一の心は、じりじりと少しずつ熱を帯びていた。

 自分が思っているより、紗世という存在が――大きくなっていた。


 そして、高校に入って間もない頃。

 何気なく耳にしたクラスメイトの声が、健一の平穏をあっさりと塗り替えた。


「紗世ちゃんって、よく見るとかわいいよな」

「わかる! 目立たないけど、なんか気になる」

「だよなー。ああいう子、好きだわ」


 軽口混じりの会話。

 無邪気に笑いあう声。

 それだけのことだったはず――なのに。


 胸の奥がざわっと波立つ。

 視界がぐらりと揺れたような気さえした。

 ――嫌だった。

 その言葉が。

 誰かに気づかれることも、褒められることも――

 紗世が他の誰かの視線に晒されることも。

 まるで足元の地面が、音もなく崩れていくようだった。

 ぎゅっと拳を握ると、掌に爪が食い込んだ。


(――取られる)


 そんな不安が、喉元までせり上がる。

 いつのまにか、健一の胸の奥には恐怖が根付いていた。

 曖昧で、言葉にできないまま放置していた想いが、はっきりと形を持つ。


「……そうか。俺は――」

 紗世のことが……ずっと、好きだったんだ。


 胸が痛い。

 息が苦しい。

 呼吸をするのもままならない。

 ――自分でも、驚くほどに。


 もし、このまま何も言わずにいたら――

 後悔はきっと、一生消えない。

 不器用でも、怖くても。

 伝えなければ前に進めない。


 だから、決めた。

 ――告白しよう。

 怖い。

 失敗するかもしれない。

 いまの関係が壊れてしまうかもしれない。

 それでも――

 何もせずに終わることだけは、耐えられなかった。


 放課後。

 傾いた陽が教室をオレンジ色に染める。

 机と椅子が長い影を伸ばしていた。

 健一は深く息を吸い、心を決めるように紗世の前に立つ。

 指先はわずかに震えていたが、その目には迷いがなかった。

 真っ直ぐに、ただひとつの想いを――告げる。


「好きだ」


 まっすぐな瞳に射抜かれた瞬間、紗世は言葉を失った。

言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

 耳の奥が熱くなり、心臓がどくんと鳴り響く。


 ――冗談にも軽口にも見えない。


 ……本気なんだ。

 その思いが、胸に響いた。


 幼馴染として遊んでたのは、もうずっと昔。

 今ではただ、挨拶をするくらいの仲だったのに……


 戸惑う心とは裏腹に……彼の表情は真剣で――少し怖いほどだった。

 ……けれど、どうしてだろう。

 断る理由が浮かばなかった。


 それからふたりは、付き合うことになった。

 初めてのデートは、近所で開かれる夏祭り。

 紗世は浴衣の帯を何度も整え、胸を弾ませながら待ち合わせ場所へ向かった。

 先に着いていた健一が、こちらを見て一瞬固まる。


「……かわいいじゃん。」


 目を細め、照れくさそうに笑うその声に――紗世の心臓が、どくんと跳ねた。


 屋台の明かりが連なり、焼きそばの香りと人の笑い声が混じり合う。

 通りには浴衣姿の人々が行き交い……風鈴の音が、かすかに鳴った。

 人の波に押されそうになった瞬間、わずかに頬を赤くした健一が手を差し出す。


「――手、貸せよ」


 言葉はぶっきらぼうなのに、そのしぐさは驚くほど優しかった。

 彼の手をそっと握ると、指先が少し震えている。


 ふと、隣を歩く健一を見上げた。

 ――幼かった面影はいつのまにか影を帯び、頭一つ分違う高さにある顔は……少し大人びて見える。

 胸の奥が熱くなる。


 健一って――こんなにかっこよかったっけ。

 心臓の音がうるさい。……祭りに来ているはずなのに、今は彼のことしか見えなかった。


 夜空には小さな花火が上がり、

 淡い光が、ふたりの影を照らしていた。



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