9話 依存と愛情
エアコンの音がうるさく思えるほど、静かな部屋の中。
ほんの少し前に目を覚ました海星は、真っ赤な顔で瞬きを繰り返す。
目の前にあったのは、寝息がかかるほどの距離で眠る暁那の顔。
なぜ自分が暁那と向かい合うように寝ているのか。状況が飲み込めないまま、海星はその無防備な寝顔から目が離せずにいた。
(……長い睫毛……まだ少し、隈が残ってる)
白い肌に残る薄い隈。出会った頃よりは薄くなったそれを見つめ、海星は切ない表情を浮かべた。
そんな時、長い睫毛が僅かに揺れ、暁那がうっすらと目を開ける。
「あ……お、おはよう」
海星は突然の事に硬直し、引きつった笑みを浮かべた。
「……カイ、んん……おはよ」
まだ寝ぼけているのか、暁那は舌足らずな話し方で海星に微笑みかける。
妙に色気のある様子に、海星の顔は更に赤く染まる。そして慌てて起き上がると、姿勢を正してそっぽを向くように座った。
「な、何で、その……こんなことに?」
海星は顔を伏せたまま尋ね、チラリと横目で暁那の様子を窺う。
ゆっくり体を起こした暁那は、眠い目を擦りながら不思議そうに首を傾げる。
「……ん? 何でって、カイが先に寝ちゃったから」
暁那の返答にキョトンとする海星。そして脳内には、暁那の膝枕で眠る自分の姿が鮮明に浮かび、たらりと冷や汗が流れ落ちた。
そんな海星をよそに、暁那は辿々しく事の経緯を説明する。
「それでね、起こしちゃ悪いと思って、しばらくじっとしてたんだけど、足が痺れてきちゃって……起こさないように、そのクッションを代わりに置いたんだよ」
海星は暁那の方へ向き直り、固く目を瞑って手を合わせた。
「ごめん! ホントに寝る気なんてなくてっ……あ、足、大丈夫!?」
あまりに必死に謝る様に、暁那は口元に手をやりクスクスと笑う。
「ふふ、大丈夫だよ。カイ、良く寝てたから……それを見てたら、僕も眠くなっちゃって」
寝起きのせいか、暁那は昔のような穏やかな表情で笑っていた。
「……ずっと、見てたの? 俺の寝てるとこ」
「えっ!?」
海星の問いに目を丸くした暁那は、時が止まったように固まる。
「いや、ちょっと気になって……っておーい、アキ?」
目の前で手をヒラヒラと振ると、暁那は我に返り急に動揺したように顔を赤らめた。
「ず、ずっとじゃないよ? その……僕も、すぐにつられて寝ちゃったし」
「何か怪しい……ちょっと早口だし」
海星は下から覗き込むように、暁那の慌てた表情をまじまじと見つめる。
「うぅ……ごめん」
海星の視線に耐えられず、暁那は肩を落として謝った。
「謝らなくて良いって……むしろ、ちょっと嬉しいってゆーか」
「……う、嬉しい?」
おずおずとした様子で聞き返され、海星は慌てて立ち上がる。
「そ、それより洗い物! 俺、そのままにしちゃって……ってあれ?」
テーブルの上を見ると、放置していたはずの鍋や食器はなくなっていた。
「あ、洗ったから、大丈夫だよ」
「え?……あ、ありがと、全然気がつかなかった」
「音、させないように、そーっと洗ったから」
暁那の言葉通り、流し台のそばの水切りに食器が綺麗に並べられていた。
海星が初めてこの部屋を訪れた時、ゴミ袋や物で床がほとんど見えない状態だった。しかしそれ以降部屋が散らかることはなく、手伝いと言えば、帰る際にアパートのゴミボックスにゴミ袋を入れるくらいだ。
いつも料理の事ばかり考えていた海星は、この時ようやくその事に気がついた。
「そう言えば……アキの部屋、散らからなくなったね」
何気なく言うと、暁那は恥ずかしそうに顔を背ける。
「……カイが掃除してくれたの、嬉しかったから……その、なるだけ綺麗なままにしておきたくて」
暁那の言葉を聞いて、海星は喜びを噛み締めるように屈託なく笑う。
「そっか……へへ、すげぇ嬉しい」
その優しい笑顔に、暁那は照れ臭そうに顔を綻ばせていた。
海星はその笑顔を愛おしそうに見つめると、暁那のそばで膝を付き、背中を丸めて座る彼を包み込むように抱き締めた。
「えっ、ちょっとカイ……急に」
途端に暁那の頬は赤く染まり、海星の腕の中で慌てて体を捩る。
「大丈夫」
「え?」
「きっとまた、昔みたいに笑えるようになる……だって、もうこんなに変われたじゃん」
海星の優しい囁きで、暁那の耳は熱く真っ赤に染まる。
暁那はじんわりと両目を赤く潤ませ、鼻を啜りながら僅かに首を横に振った。
(違う……カイがそばにいるから……カイがいなきゃ、僕は)
暁那は海星の背中に腕を回し、繋ぎ止めるように抱き返した。
(どどどどうしよう……嬉しくて抱きついちゃったけど、これからどうすれば? ア、アキも腕回して!? 服ぎゅって握ってるし、ヤバイ、めっちゃ可愛い……ってそうじゃなくて!)
海星の脳内は忙しかった。
勢いで抱きついてしまったものの、その先をどうすればいいか、まるで考えていなかったからだ。
海星は赤面したまましばし百面相をすると、ついに状況に耐えきれずゆっくりと体を離した。
「……カイ?」
離れた瞬間、暁那は寂しそうに彼の名を呼ぶ。
「急に、ごめんね……俺、そろそろ帰るよ」
笑顔のまま不自然に目を逸らし、海星は慌てて帰り支度を始めた。
「う、うん。もう遅いもんね」
そう言うと、暁那は海星を玄関まで見送り、物言いたげな表情でその背中を見つめていた。
「じゃ、じゃあね」
俯いたまま僅かに振り返り、海星はドアノブに手をかける。
その時、後ろからクイっと袖を引っ張られる感覚があった。
「えっ」
「また……来てくれる?」
直後に聞こえた声は小さく震え、振り返ると、暁那は寂しげな瞳で俯いていた。
「あ、当たり前じゃん! 何心配してんの?」
暁那はパッと手を離し、チラチラと海星の顔を見ながら不安げに尋ねる。
「……目、見てくれないから、その……もう来てくれないのかと、思って」
それを聞いた海星は、ポカンと口を開けて固まる。そして数秒後、深く長いため息を吐いた。
「はぁ〜……そんな事あるわけないでしょ!」
「ご、ごめん」
海星に前のめりで詰め寄られ、暁那はビクッと反射的に謝る。
しばらく真剣な目で見つめていた海星は、突然暁那の両頬をゴムのように横に引っ張った。
「い、いひゃい……」
情けない暁那の顔をにんまりと見つめ、海星はパッと手を離した。
「へへ、俺の事疑った罰。帰ったら連絡するから、ちゃんとチャット返してよね?」
いつもの明るい表情の海星に戻り、暁那はホッとしたように微笑む。
「うん……ありがとう、カイ」
「じゃあ、また来るから……あ、一人でもちゃんと暖房つけなきゃダメだからね」
「が、頑張るよ」
暁那の的を射ない答えに困ったように笑うと、海星はヒラヒラと手を振り帰っていった。
暁那は赤い顔でぼんやりと立ちすくみ、海星に引っ張られた頬をそっと擦る。
「あんな子供みたいに引きとめて……どうして、カイといると、わがままになるんだろう」
(カイにだけは、嫌われたくない……もう、あの時みたいに離れたくない)
力が抜けたようにしゃがみ込み、暁那は渦巻くような重い感情に一人頭を抱えていた。
◇
大きめの本棚とベッド、作業机の上にはパソコンが置かれ、いわゆる趣味のような物は何一つ無い殺風景な部屋。
宰斗はそこで淡々と実習のレポートを作成していた。
無表情で、初めから決まったことを打ち込むように、宰斗は機械的に指を動かす。
数分後、難なく作業を終えた宰斗は、軽くため息を吐き首を回すように鳴らした。
「はぁ……さてと」
そう言うと、宰斗は目を細め、さっきとは打って変わって愉しそうな表情で画面を見つめる。
そこには担当クラスの生徒の名前と情報が記録され、AからCまでの文字がランクのように記されていた。
「まだ始まったばっかにしては上々だな……あとは、こいつくらい」
宰斗は〈相沢海星〉の欄を見る。
ほとんどの生徒に〈A〉が付く中、海星の欄には〈C〉の文字がつけられていた。
「相沢……こいつの目、妙に気にくわないんだよなー」
頬杖を付き鋭い目で睨み付ける宰斗は、ふと思い出したように声を上げた。
「あ、あいつに似てるんだ……」
宰斗はそう呟くと、片方の口角をつり上げる。
その時、机に置かれたスマホが鳴り、宰斗は届いたチャットの通知を開く。
『例の子めっちゃいいわ! 昨日飲み行ったんだけど、速攻持ち帰った。押したら何でも聞いてくれそうだし、これから楽しめそうだわー』
友人からのチャットに目を通し、宰斗はフッと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
その後、すぐに連投でメッセージが送られてくる。
『イイコ紹介してくれたお礼に、いいこと教えちゃるー』
「あぁ?」
宰斗は意味深な内容に眉を上げ、怪訝な表情で返信を待つ。
すると程なくして送られてきた内容に、今度はプッと吹き出すように笑いだした。
「あっはは、そっか……まだ引きずってんだ」
ひとしきり笑った後、宰斗はスマホを放り投げ、椅子の背もたれを倒して天井を仰ぐ。
『お前が捨てたあの真面目くん、家を追い出されて今○○市のアパートで引きこもり生活してるらしいぜ?』
『将来有望な優等生くんだったのに、マジで笑えるよなー。ま、お前のせいだけど笑』
その画面には、普通の人間では考えられないような、冷たく残酷な言葉が並べられていた。
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