7話 宰斗
「来栖くんは、ここの卒業生なんでしょ? 私は今年異動してきたんだけど、知ってる先生には会えた?」
朝のホームルームが終わり、担任と宰斗は廊下を歩きながら雑談をする。
海星のクラスの担任、馬場は40代後半の男性で、良い意味で気の抜けた適当な人物だ。身なりはややポッチャリの普通のおじさん。それでいて生徒からは少し舐められており、教師の威厳はほぼ無い。
「いや、卒業して4年でだいぶ変わっていましたね。英語の中村先生と、学年主任だった高田先生には挨拶出来ましたが」
「高田先生ね。今も3年の学年主任やってるよ。堅くて手厳しい先生だよねー。あ、もちろん良い意味で……あの人、昔からあんな感じだった?」
「あはは、そうですね。正直、結構怖がってる人もいましたが、進路相談では親身に悩みを聞いてくれて、僕はとても好きな先生でした」
苦い表情の馬場に、宰斗は目を細めてニッコリと微笑んだ。
「……来栖くんて、優等生だったでしょ」
馬場は歩きながらじっとりとした目で宰斗を見つめ、くいっとメガネを持ち上げ呟いた。
「いや、そんな事ありませんよ。普通に友達と遊んで、馬鹿なこともしてましたし」
「ほんとに? しっかりしてるし、想像できないな。実習で私が教えることがあるといいけど」
「そんな……きっと至らない事もたくさん出てきます。ご指導のほど、よろしくお願いします」
足を止め、宰斗は馬場に深々とお辞儀をする。
真面目な態度で驕り高ぶりもない。
しかしその聡明な眼差しの裏で、宰斗は数日前の事を思い返していた。
◇
「ところでさ、当時の先生とか誰がいたか教えてくれん? 卒アルも捨てたし、全く覚えてねぇんだわ」
回転椅子にふんぞり返りながら、宰斗は横柄な口調で友人と通話する。
『はぁ、思い出が甦るんじゃなかったのかよ……てか、ホームページとかに載ってんじゃないの?』
「載ってねぇから頼んでんだろ? それに4年前の事なんて、普通忘れるって。特に思い入れもねーしな」
『はは、最悪。生徒会まで入ってたのはどこのどいつだよ?』
「あんなん、ただの点数稼ぎに決まってんじゃん。上から信頼を得るには最適ってな」
宰斗の声は軽薄で、優等生の聡明さはまるで感じられなかった。
『言うと思った……まいいや、調べといてやるよ。その代わり、またイイコ紹介してくれん?』
「またかよ……あ、そういやサークルの新歓の時にお前の好きそうな子いたわ。ふふ、大人しくて、従順そうな子……今度声かけとくから、頼んだぜ?」
『おぉ! さっすが宰斗! 男女問わず人気者の優等生!』
大袈裟に持ち上げられ、宰斗は心底蔑んだ表情で笑う。
「はは、人の感情なんて単純だよ。ちょっと甘い顔をすれば、すぐに好きだのなんだの言いやがる。何も知らないくせに、外面だけ見て勝手に理解した気になって、自分に都合のいいように思い込むんだ。ほんと、頭の中に蛆でも湧いてるとしか思えねぇよ。あっはは」
『うわぁ、マジで引くわー。そういやさ、あの真面目くんもお前にすっかり騙されてたよなー』
「あ? 真面目くん?」
『ほら、2年の時の優等生くんだよ。女子にも結構人気あったけど、お前が流したデマで不登校になった』
「あー……ふふふ、懐かしいねぇ。今頃どうしてるのかな? 暁那くん」
宰斗は椅子をくるくると回転させ、背もたれを大きく倒して笑う。
片方の口角を上げ、嘲笑うような表情は、異常なほどの嗜虐性を孕んでいた。
◇
4時間目。
数学Ⅱの授業を担当する宰斗は、初めてとは思えない堂々とした様子で教壇に立っていた。
「……では、今回の授業はこれで終わります。次回も三角関数の続きから行いますので、また明日もよろしくお願いしますね。それでは、皆さんお腹が空いていると思いますので、少し早いですがこれで終わりたいと思います」
宰斗は腕時計をチラリと見て、日直に笑顔で目配せをする。
ちょうど日直だった海星は、面倒くさそうに号令をかける。
「ありがとうございました」
それに続くように生徒たちは挨拶をする。その声はいつもより大きく、普段は聞こえもしない女子生徒の声が歓声のように響いていた。
休み時間が始まると、生徒たちは友人同士に集まったり、学食へ移動したりと動き始める。
そんな中、クラスメイトの祐介は授業が終わるなり興奮した様子で海星の前の席に腰かけた。
「なぁなぁ、来栖先生の数学、めっちゃわかりやすかったな!」
「まぁ、説明は上手かったけど」
「だよな! 俺、久しぶりに授業中に寝なかったわ」
「いつも寝るなって」
呆れて返事をしながら、海星は鞄から菓子パンとパックジュースを取り出す。
「お、今日は何パン?」
「メロンパンと、チョココロネ」
「甘っ! そんでミルクティー……甘々の甘じゃん! 糖尿病になるぞ?」
「これくらいでならないよ」
祐介にケチをつけられ、海星はふてくされた様子でミルクティーにストローを挿す。
「おっすー……うわ、海星お前、その組み合わせはどうよ」
少しして購買部から戻ったタケシは近くの席に座ると、メロンパンにかじりつく海星を見てげっそりとした表情になる。
「おう、お前からも言ってやってくれ。このままじゃ海星が生活習慣病になっちまう!」
「もうほっとけよ! お前らだってコロッケパンにカツサンドって、人の事言えねーだろ」
2人にイジられた海星はムッとした表情で声を荒げた。
「はは、悪かったって。それよりさ、さっき学食で来栖先生が女子に囲まれてたぜ? ありゃ10人以上はいたぞ」
特に悪びれる様子もなく謝ると、タケシは身を乗り出して話し始めた。
「くそっ! 来栖の野郎、許さねぇ」
「……さっきまで授業がわかりやすいって褒めてたのに」
祐介の早すぎる手のひら返しに、海星は心底呆れるように呟いた。
「ありゃ、実習終わる頃には誰か告ってそうな勢いだぜ……やっぱイケメンはズルいわ」
タケシは諦めたような遠い目をして窓の外を眺める。
「でも俺……あの先生、あんま好きじゃない」
海星はストローを咥えたまま、俯いて目を細めた。
「そなの? ま、女子にモテるのは気に食わんけど……結構性格は良さそうじゃね?」
そう話す祐介は、さっきより落ち着きを取り戻しているようだった。
「なんだろう……空気、かな。あの人の目、ずっと俺らを見下してる。そんな感じがするんだ」
話しながら、何か考え込むように海星は俯く。
祐介とタケシは、そんな彼の姿に顔を見合わせていた。
◇
その日の晩。
海星は部屋のベッドの上で、一人スマホをいじっていた。
チャット画面を見つめながら、時々思い出し笑いのように一人ニヤつく。
『おかえり。バイトで疲れてるだろうから、ゆっくり休んでね』
海星のチャットの量に対し、暁那の返事は短く少ない。
しかし、暁那から返事が届くだけで海星の心はじんわりと温かくなるのだった。
「アキ……今頃、何してるんだろ」
天井を見つめたまま、海星はぼんやりと暁那の事を思う。
(あの雨の日……初めてアキの涙を見た。普段は暗い表情のままで、ほとんど崩れることはない。なのに……あんな、辛そうに泣いて)
「あんな顔……もう絶対にさせたくない」
暁那を傷つけた見えない要因。ぶつける相手のいない怒りに、海星のスマホを握る手には力がこもっていた。
その時、不意に通話画面をタップしてしまい、意図せず暁那に電話がかかる。
「わ、やべっ」
慌てて切ろうとして手が滑り、落ちたスマホは海星の顔の上に落ちた。
「あいた!」
鼻を押さえ悶絶する海星の耳元に、しばらくして小さな声が聞こえる。
「は、はい」
海星は素早くスマホを手に取り、赤い顔で耳元につけた。
「ご、ごめん! 間違えてかけちゃって」
裏返るような声で、海星は電話口で照れ笑いを浮かべる。
「そ、そうなんだ……びっくりした」
そう言うと暁那は黙り、妙な空気の沈黙が訪れた。
普段でも会話は弾む事はないので、通常運転ではあるのだが、いつもと違い顔が見えない状況に海星は落ち着きなく頭を掻く。
「……アキは、今何してたの?」
「えっと……ベッドの上にいた」
「そ、そっか」
再び訪れた沈黙に、海星は力が抜けたようにがっくりと肩を落とした。
海星が何を言おうか考えていると、不意に暁那の声が聞こえる。
「……カイは、何してたの?」
「え!? あー、俺もベッドの上にいた。はは、アキと一緒だったね」
「ふふ、そうだったんだ」
暁那の小さな笑い声が聞こえ、海星も気が抜けたように笑った。
「あ、今日さ、教育実習の先生が来たんだよ。カッコいい男の先生でさ、初日から女子にモテてた」
「そうなんだ」
「うん。来栖先生って言うんだけど、いかにも優秀って感じで、結構授業もわかりやすくてさ。昼間は女子に囲まれてたって」
「……くる、す?」
さっきまで聞こえていた相槌とは違い、暁那の声は小さく、震えるような呟きだった。
「アキ? どうかした?」
海星は心配するように声をかけるが、暁那の返事は聞こえてこない。
しばらく不安気に様子をうかがっていると、過呼吸のような荒い息づかいが聞こえてくる。
「アキ! 大丈夫!?」
血相を変えて呼び掛ける海星に、暁那は途切れ途切れに返事をする。
「だ、大丈夫……はぁ、ごめん……少し、休む」
その言葉を最後に、通話は切られた。
「アキ……」
突然変わった暁那の様子に、海星の胸はザワザワと落ち着かず、額にはじんわりと嫌な汗がにじんでいた。
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