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5話 彼のいない部屋

 テーブルに置かれたオムライスからはふんわりと湯気が立ち上る。

 破れることなく綺麗に巻かれた黄色い卵の上には、赤いケチャップでニッコリ笑う顔のようなものが描かれている。

 しかしスンスンと匂いを嗅ぐと、不思議と食欲が沸くような、中華風の香りが漂ってくる。

 暁那は首を傾げるも、海星の真剣な眼差しに見つめられ、恐る恐るスプーンでオムライスを口に運んでいく。


「……どう? 美味しい?」

「う、うん。少し辛くて、美味しいよ」

「え? 辛いの入れてないんけど。ちょっと一口もらうね……」


 オムライスを口に入れた海星の顔はみるみる赤くなり、口を押さえたまま慌てて冷蔵庫に走る。

「はぁ……やっぱり、豆板醤とケチャップ間違えてるぅ……この前麻婆茄子作った時に残ったやつだ……」

 終わりかけの歯磨き粉のようになった豆板醤を手にしたまま、海星は冷蔵庫の前にへたり込んだ。


「……色、似てるし、そういう事もあるよ」

 海星はへの字口で振り返ると、トボトボと暁那の元に戻り力のない声で謝る。

「ゴメン……もっかい作り直す」

「いや、いいよ。もう遅いし、もったいないから」

 暁那は首を横に振ると、お皿を引き上げようとする海星の手を止めた。


「でも、こんな辛いの食べれないし」

「だ、大丈夫だよ。僕、辛いの平気だし……そ、それに形だって、前より綺麗に巻けてるよ?」

 しょんぼりとする海星に、暁那は精一杯のぎこちない笑顔を向ける。

 それから、言葉通り平気な顔でオムライスを食べていく暁那を、海星は複雑な表情で見つめていた。


 ◇


「じゃあ……また」

 玄関のドアを開ける海星は、まだ先ほどの失敗を気にしているようで、その声にいつもの元気はなかった。


「あ、あの! 今日もありがと、海星」

「アキ……うん、じゃあね!」


 暁那からの言葉で少し明るさを取り戻した海星は、名残惜しそうにアパートを後にした。

 そして、また一人きりになった部屋の中で、暁那は気が抜けたようにベッドに腰かける。

 いつも誰もいない、殺風景なワンルーム。人と関わることを避けている暁那にとって、一人でいれるこの部屋は落ち着ける空間だ。

 しかし海星が来るようになって、彼の心境には少しだけ変化があった。


 (やっぱり……いなくなると寂しい)


 上半身だけをベッドに倒し、暁那はぼんやりと天井を見上げる。

 彼が帰った後は、何故かいつも心細く、一人でいることが辛くなる。

 人の目が怖く、その心の内を知るのが恐ろしい。そのせいで人との関わりを避けているはずなのに、心の奥底では誰かに助けを求める自分自身がいる。

 そんな矛盾した思いに暁那は今も戸惑い、海星に無意識に依存しようとしている事に気付き始めていた。


「……口の中、まだちょっとピリピリする」

 

 ポツリと呟いた暁那は、口の中に残った豆板醤の熱を冷まそうと猫のように舌を出した。 


 ◇


 古く立て付けが悪くなった家の引戸を開け、海星は真っ暗な廊下の電気をつける。

「あれ? 母さん?」

 母を呼ぶが返事は無く居ないようだ。台所のテーブルにはメモがあり、「冷蔵庫のおでんチンして食べて」と書かれている。


「あー、今日夜勤だっけ」

 海星は軽くため息をつくと、手洗いを済ませて冷蔵庫の器を電子レンジに放り込む。


 母子家庭で昔から遅くまで働いていた母だが、彼が高校に入学したのを期に、以前から働いている介護施設で現在は週に1・2回夜勤の仕事もしていた。


「……母さんいないなら、アキとご飯食べれば良かった」

 独り言を呟きながら、なんとなしにテレビをつける。

 途端に響くバラエティー番組の笑い声で、誰もいない広い家がパッと騒がしくなった。


 (そう言えば、アキの部屋ってテレビすらない……)


 暁那の部屋にいる時、海星はいつも彼にぺらぺらと喋りかけていた。暁那からの返事は大抵「うん」や「へぇ」など簡単な相づちばかり。

 それだけでも海星にとっては嬉しく、幸せな一時のように思えた。


 しばらく画面を眺めていた海星は、ふとテレビの電源を切る。

 静かになった台所で電子レンジさえも止まり、本当に静かな無音が訪れた。


 (……静かだ。こんな空間で、アキはどんな事を考えるんだろう)


 海星はふと、昔暁那からある秘密を告げられた事を思い出した。

 もう5年前になる。

 あの時、耳元で聞こえた暁那の囁き。

 彼氏が出来た……その言葉は海星の心の中に今もこびり付いている。

 

 いくら暁那と距離を置いても、学校生活やバイトに精を出しても、どうしても忘れることは出来ない。

 一人になれば、あの時の紅潮した暁那の表情や恥じらいのある声が甦って、自分の意思と関係なく、自然と体の熱が上がっていく。

 最初こそ戸惑ったものの、いつしか()()は日常の一部になり、暁那への普通ではない想いを認めざる終えなくなった。


 (アキは男が好き、なのかな……けど、俺はアキしか)


「……アキだから、好きなのに」


 テーブルに顔をペタンとくっつけ、左の人差し指に巻かれた絆創膏を見つめる。

 無音の静かな空間は、暁那への思いを一層募らせていく。そして時折、エサを催促する雛鳥のように電子レンジはピーピーと鳴き続けていた。


 ◇


 翌日、海星はバイト先のファミレスでホール対応に勤しむ。

 平日の夕方。客の入りは徐々に増えていき、案内や配膳の対応に落ち着く暇もない。

 この日も慌ただしく動き回り、バイト終わりまであと半時間ほどとなった頃には少し店内の客はまばらになってくる。

 海星はバックヤードに戻り、しばしの休憩をとる。すると数分も経たないうちに、またドアの開く音が聞こえてきた。


「いらっしゃいませ。何名様で……」

 急いで入り口に向かった海星の前に現れたのは、よく知った顔の二人だった。


「よっ! 遊びに来たぜー」

「お疲れー」

 制服姿の祐介とタケシはニヤニヤと笑い手を振る。2人の顔を見た途端、海星の営業スマイルは呆れた表情に変わった。


「……チッ、めんどくさ」

「ちょ、聞こえてますけど!?」

 吐き捨てるように呟く海星に、祐介は情けない声を上げた。


「この辺にどーぞ」

 

 疲れた顔で適当に2人をテーブルに案内すると、海星は特に話もせずにその場を去ろうとする。

 すると、祐介は慌てて海星の腕を掴み引きとめた。

 

「ま、待て待て!」

「なんだよ。喋ってる暇ねぇの」

「いいじゃん、ちょっとくらい。それに、もうすぐ終わるだろ? あとでちょっと話しよーぜ」

 祐介の誘いに海星は困った表情を浮かべる。それを見て、タケシは申し訳なさそうに声をかけた。

「ごめんな、バイト中に。けどコイツがどうしてもって聞かなくてさ」

 苦笑いのタケシをちらりと見て、海星は軽くため息を吐いたあと首を横に振る。

「はぁ、いいよ別に。終わるまで、適当に注文して待っててよ」

 

「やったー! 俺、爆盛りポテト食おーっと」

 嬉しそうにタブレットを触る祐介を尻目に、海星は厨房に戻るのだった。


 ◇


 30分後、バイトを終えて制服に着替えた海星は祐介たちに合流する。


「よぉ……何よ、話って」

 ドカッと遠慮の無い態度で椅子に座り、海星は疲れた顔で頬杖をつく。


「お疲れさん! まぁ、とりあえず何か頼むか? 腹減ってるだろ?」

 祐介は海星に注文用のタブレットを渡す。

「いや、ドリンクバーだけでいい。帰ってから食うし」

 海星は話ながらドリンクバーの注文を済ませる。

「そうなん? あ、ポテトまだ残ってるから、つまんでいいからな!」 

「ありがと……って、めっちゃ冷めてるじゃん」

「シナシナでうまいだろ?」

 祐介のよくわからない好みに首を傾げ、海星はポテトをひとつ咥える。


「俺飲みもん取ってくるわ。海星何飲む?」

「メロンソーダ」

「りょーかい」

 タケシはひらひら手を振りながら飲み物を取りに向かっていく。


 2人になったテーブルで、突然祐介は神妙な顔でぐいっと身を乗り出してくる。

「お、お前さ……彼女出来たん?」

「……はぁ!?」

 海星は一瞬間を置いて、すっとんきょうな声をあげた。


「しょ、正直に言えよ。心の準備は出来てるからよ」

 そう言うと祐介は寂しそうな瞳で遠くを見つめる。

「いや、彼女なんか出来てねーし。何でそんな事になってんだよ」

「ほんとか!? 良かったー……俺ら、これからも友達だよな!?」

 祐介は海星の手を両手で握りこみ、一転してキラキラとした表情に変わった。


「ちょっと、ウザいって」

 海星は祐介の汗ばんだ手を振り払い、自分の手をおしぼりで拭く。

 しかしそんな失礼な態度も気にせず、祐介は嬉しそうに、かつ不気味に微笑んでいた。


「どうよ、疑惑の真相は」

 飲み物を持ってきたタケシは、状況を察したように声をかける。

「おう! やっぱり俺らは仲間だった!」

「なんだよそれ……一緒にして欲しくない」

 海星はテンションの高い祐介の顔を見て、呆れたように呟いた。


「ま、とりあえず良かったなー。でも、何で最近あんな慌てて帰ってたんだ? 前はバイト無い日は遊んでたじゃん」

 タケシは話しながら、海星の前にメロンソーダを置く。

「それは……」

 2人には暁那の事を打ち明けることが出来ず、海星は言葉に詰まった。


 俯いて黙りこくる海星の姿に、2人は顔を見合わせる。

「……いいよ、別に無理に言わなくたって」

「まぁ正直気になるけど、そんな顔されたら聞けねーしなー」

 2人の気遣いに、海星は自分が今どんな顔をしていたのか気がついた。

「ゴメン……ありがとう」

 海星は顔を上げ、いつものように笑う2人の顔を見て柔らかい笑顔を返した。


 それから、祐介は話を変えようとある話題を口にする。

「あ、そうそう! それよりさ、来週うちのクラスに教育実習の先生が来るらしいぜ?」

「へぇー、俺はじめてだわ。男、女?」

「男だってよ。くそぉ、なんで女じゃねーんだ」

 自分で言いながらガックリと肩を落とす祐介に、海星は吹き出すように笑う。

 

「はは、何期待してるんだよ」

「若い女教師と男子高校生の燃え上がる恋愛! ってのがあるかもしんねーじゃん!」

「お前マジか? 引くわー」


 海星たちはしばらくの間、友人同士の他愛の無い話に夢中になるのだった。


 ◇


 同じ頃、一人の男はパソコンの前でスマホを手に会話をしていた。

「……そう、来週から二週間」

「おう、母校に行くのが定番だからな。もう5年ぶりになるか……いやぁ、色んな思い出が甦るねぇー」


 男は切れ長の目を細めて軽薄に笑う。

 その表情と声色は冷たく、どこか非情な雰囲気が漂っていた。

 


 

数ある中から読んで頂いて

本当にありがとうございますᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ

リアクションや、一言でも感想を頂けると大喜びします(^◇^)


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