最終話 ふたりなら
終わりかけの冬はあっという間に過ぎ、待ちきれないように温かい春が訪れる。
3年生になったカイはファミレスのバイトを辞めた。
受験生での両立がさすがに難しいみたい。
実は僕も、それについては少し安心した。受験勉強は大変だろうけど、出来る限り協力してあげたい。
少し汗ばむくらいの春の日差しの午後。
僕は顔を洗い、よれたスウェットを着替える。
適当に買った安いジーンズとシャツを羽織ると、やっぱりまだ緊張感が走ってしまう。
(……やっぱりまだ少し慣れないな……でも、悪くない)
鏡の前で身なりを整えていると、スマホの通知音が鳴る。
『アキ、今日もバイトでしょ? 頑張ってね、応援してる』
カイからのメッセージに、ふわりと心が軽くなる。
4月に入ってから、僕はタケシくんのお母さんの個別塾でバイトを始めた。
始めるまでは本当に自信が持てなくて、緊張も大きくて。
ギリギリまで悩んだけど、軽い面接を受けた時、お母さんの聡子さんの言葉に助けられた。
――「あなたの事情は、あの子から聞いてます。ここは少人数の個別指導塾だから、気負わずに、まずはあなたが入れるときだけでいいわ。主に中学生がメインで、学歴は関係ない。望月さんのような、優しい人なら大歓迎ですよ」
面接と言うよりも、世間話のような感じで。
聡子さんはとても聞き上手で、口下手な僕でもとても話しやすかった。
本当に、僕は人に恵まれている。ここ最近、凄くそれを実感するようになった。
『ありがと。あ、昨日買ったキャベツと豚肉があるから、帰ったら一緒にお好み焼き食べよっか?』
『うん! 部屋で適当に勉強して待ってる』
『ふふ、寝てちゃダメだよ?』
カイとのチャットについ夢中になっていると、すっかり出勤時間が近づいていた。
「わっ、そろそろ出ないと」
慌てて鞄にスマホと筆記用具を詰め込み玄関へ向かう。
「……あ! 忘れてた」
ふと思い出して、僕はテーブルの上にちょんと置かれた、季節外れのスノードームをひっくり返した。
「へへ、行ってきます」
小さなスノードームにははらはらと雪が舞い、中のサンタはニヤリと笑っている。
大切な人からの贈り物は、毎日僕にささやかな勇気をくれていた。
◇
「やべっ! うわぁ〜、ミスった……」
「あとちょっとだったのに、惜しかったね」
「もう、ズルい! アキだけ綺麗にひっくり返せて」
「へへへ」
どっちが上手くお好み焼きをひっくり返せるかの勝負は、今日は僕の勝ちみたい。
少しむくれていたカイだけど、食べる頃にはすっかり機嫌が直っていた。
「うまかった〜! やっぱソースとマヨがあれば何でもいいわ」
「あはは……何でもいいって、そこまで言わなくても」
お腹が空いていたのか、カイは大きめに焼いたお好み焼きをペロリと平らげた。
カイは満足げにお腹を擦り、まだ食べていた僕の肩に体ごと寄りかかる。
「アキぃ〜〜……」
小さい子供みたいに甘えた声に、不意に胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「ふふ、どうしたの? お腹いっぱい?」
「う〜ん……まだ食べたい」
物欲しそうに呟くのが可笑しくて、僕は自分の分を彼の口に運ぶ。
「じゃあ、はい。あ〜ん」
口に持っていくと、カイはなぜか口を開けずに僕の顔をじっと見つめる。
そしてそのまま顔を寄せ、ふわっと軽く唇を合わせた。
「……ふふ、ソースの味する」
「へへ、美味しかった?」
「うん……もっと欲しい」
「じゃあ、はい」
僕は箸を置いて、カイを迎えるように手を広げる。
カイは勢い良く僕の体に抱きついて、押し倒されるような形でゆっくりと床に倒れた。
それと同時に合わさった唇は、今度は強く絡み、息をするのも忘れそうなほど、僕らはお互いを感じていた。
「ん……ねぇ、カイ? そろそろ」
歯止めが効かなくなりそうで、僕はカイの体をぐっと押し返す。
ようやく唇を離したカイは、髪をかき上げ乱れる息を整えていた。
「はぁ……ごめん、ちょっとやり過ぎて」
「ううん……大丈夫」
卒業までは、体の関係は持たない。
周囲の目を気にするような関係にしたくない、そう思って自分で言い出した事なのに。
最近は僕の方が我慢が出来そうになくて、頻繁にこんなやり取りを繰り返している。
「……ふぅ、ちょっと落ち着いた」
「うん。あ、残り食べちゃうね」
「ふふ、そだね……あ、やっぱ一口ちょうだい?」
「いいよ。はい、あ〜ん」
カイといると、どんどん自分が貪欲になる。
自分自身でも知らなかった、醜くて、欲深い気持ち。
いつか、体もひとつになれたなら。
カイはこんなん僕のことを、嫌いになってしまわないだろうか。
――――
「そういえば、もうすぐだっけ? 引っ越し」
「あぁ、うん。5月の連休に」
「それって、遠くなっちゃう?」
「ううん、この近くだよ。2人だから、今より広めかな」
「そうなんだ! あ、引っ越し手伝いに行くよ」
「うん、ありがと」
2人で食器を洗いながらの、何気ない会話。
こんな風に過ごすのも、もうすぐ終わる。
最近、僕の母さんは離婚した。
関係自体は、だいぶ前から冷え込んでいたみたいだ。
離婚に向けて話し合っていたのは、去年の年末ごろから。
僕が話を聞いたのは3月で、ほぼ決まった段階だった。
当然驚いたけど、母さんの清々しい顔を見たら、僕はもうなにも言えなかった。
結婚してから長く専業主婦だったけれど、今は引っ越しの見積もりも終わって、カイのお母さんと同じ職場で働いている。
毎日大変そうだけど、僕には今が一番楽しそうに見える。
「でも……なんだか寂しいね」
嫌と言うほど見慣れた部屋を振り返って、不意にそんな言葉が口をつく。
引きこもっていた頃は、ただ苦しいだけの、広い棺桶みたいな部屋だった。
嫌なことから逃げて、恐怖で動けなくなって。
でもカイが来てくれて、暗く冷たかったこの部屋が、暖かい、優しい場所に変わっていった。
ここをこんなに好きになるなんて、今となっては不思議な気持ちだ。
「そうだね……でも大事なのは、何処にいるかじゃなくて、誰といるか、じゃない?」
そう言って恥ずかしそうに笑うカイに、僕は胸の奥から込み上がる思いを感じた。
「……うん!」
熱くなった目元を拭うと、海星は水で冷たくなった手で僕の手を取る。
「アキ……いつか絶対、2人で暮らそう」
「……カイ」
真っ直ぐに向けられた言葉に、無意識に涙が溢れた。
「将来、お互いに働いてさ……こんな風に毎日、アキと一緒に笑ってたい」
「うん……うん」
一度流れた涙は止まらなくなって、僕は短く頷く事しか出来なかった。
「もう、泣きすぎだってば」
「……う、だっでぇ……」
カイは少し呆れながらも、僕を抱きしめてあやすように背中を叩き続けてくれた。
◇◆◇◆
1年後。
夏休み中、暁那はある人に会いに、ひとり母校を訪れていた。
職員室はほとんど人はおらず、グラウンドからは部活動に精を出す生徒たちの声が響く。
「ごめんなさい。暑かったでしょう?」
「あはは、はい。体力不足を痛感しました」
「ふふふ、本当だ。汗凄いわよ?」
談話室に通され、暁那は高田が用意した冷たいお茶を一気に飲んだ。
「はぁー……生き返りました」
高田はクスクスと笑いながら、自分もソファーに腰かける。
「それで、あれからどう? 望月くんの顔を見る限り、いい感じって事はわかるけど」
「そうですねぇ。本当に色々ありましたけど、毎日楽しくやってます」
「……そう。良かったわね」
本人の口からその言葉が聞け、高田は満足そうに微笑んだ。
「あ、今日は、高田先生に報告があって」
「あら、何かしら?」
笑顔で話す暁那に、高田は期待したように身を乗り出す。
「実は、今年大学を受験しようと思うんです。その、養護教諭……保健室の先生を目指そうと」
「へぇ〜、いいじゃない!」
今まで見たこともない高田の笑顔に、暁那は驚きと嬉しさで顔を赤らめる。
「えへへ……とりあえず、短大を受けようと思ってます。散々時間を無駄にしたので、早く現場に立ちたいと思って」
鼻を擦りながら話す暁那に、高田は優しく声をかける。
「望月くん、無駄な時間なんて言わないで。あなたは今まで、必死に足掻いて来たんだから」
「……高田先生」
「そうだ! 志望校は決まってる? 進路の事なら、いつでも相談に乗るわよ?」
大きく両手を打ち、高田は嬉々としてタブレットを操作する。
「ふふ、ありがとうございます。取り合えず、近場で探し中で」
「……じゃあ、ここなんてどう? 電車でも1時間以内で、社会経験を経て、学び直しをする人が比較的多く通ってるわよ」
「へぇ〜、ここはまだ知らなかったです」
タブレット画面の短大の情報を、暁那は興味深そうに見入っていた。
「……ねぇ、どうして養護教諭を目指すのか、教えてくれる?」
高田は暁那を母のように優しく見守りながら声をかける。
「うーん……やっぱり、自分と同じように苦しい思いをする人の、居場所になれたらいいかなって。それに……」
「それに?」
「カイや、祐介くんたちを見てて、自分も学校に行きたくなっちゃって」
「ふふ、まぁ」
照れ笑いを浮かべる暁那をからかうように、高田は相づちを打った。
「あはは……お恥ずかしいです」
ニヤケながら話すと、高田は静かに首を横に振る。
「いいえ、素晴らしいじゃない。望月くんなら、きっと誰にでも寄り添える、いい先生になれるわ」
「……はい!」
明るい笑顔に、もう以前の影は何処にもない。
そんな暁那の表情に、自分の言葉がお世辞ではなく確信できるものだと実感した。
〈ピロン〉
突然響いたスマホの通知音に、暁那はポケットを探る。
「ちょっと、すみません」
――『ちょっと早く着いちゃった。校門の日陰で待ってる』
「……恋人からかしら?」
「えぇ!? うぅ、はい」
「ふふ、すぐ顔に出る癖は、直した方がいいかもね」
「……頑張ります。それじゃあ、今日は本当にありがとうございました」
「ううん。またいつでも遊びに来てね」
赤くなった頬のまま、暁那は姿勢を正して一礼する。
そして足早に職員室を出ていった。
◇
「ごめんっ! 暑い中待たせちゃって」
駆け寄ってくる暁那に、海星はスマホをポケットにしまい手を振る。
「大丈夫だよ。それより、高田先生どうだった?」
「凄く喜んでくれた。あ、おすすめの大学も教えてもらったんだよ」
「良かったじゃん! そうだ、今日母さんたち夜勤明けでさ、夕方から朝まで飲み明かすんだって」
「えぇ〜……母さん、最近すっかり酒飲みになんだから」
「それでさ〜、邪魔だから出てろって。だから……今日はアキのとこでお泊まりね」
暑さのせいなのか、海星は頬を紅潮させて暁那にぴったりと寄り添った。
「ほんと!? じゃあ、帰りにコンビニ寄って」
「えぇ? コンビニ寄って何買うの?」
暁那の顔を覗き込み、海星はニヤリと意地悪そうに笑う。
「えっ、何って、その……」
海星は言葉に詰まり赤くなる彼の姿に、腰に抱きつくように腕を回す。
「……アキのえっち」
「なっ……もう、カイの馬鹿」
暁那は不貞腐れたように唇を尖らせた。
暑い7月の太陽の光はジリジリと身を焦がす。
そんな中でも2人は寄り添い、固く手を繋ぎ木漏れ日の差す道を歩いていた。
その間を裂くことなど、誰にも出来ないように。
最後まで読んで頂きありがとうございます!(´▽`)
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