28話 友達
「そう……佐伯さん、話してくれる気になったんだ」
「うん、今度その打ち合わせもやる」
年越しそばを食べた後、2人は一緒にキッチンに立ち食器を洗う。
海星から現状の話を聞いた暁那は、流れる水を見つめふと手を止める。
「……強いね、佐伯さんは」
「え?」
洗い終わった食器を拭きながら、海星は不思議そうに暁那を見上げる。
「恐れよりも、一歩踏み出すことを選んでる……僕は、逃げてばかりだったけど」
同じ男によって心に傷を負った真美。
それでも前に進もうとする彼女を、純粋に凄いと感じた。
暁那はその思いを柔らかい声で話し、恥ずかしそうな笑みを浮かべる。
その笑顔をじっと見つめ、海星は唐突に暁那の脇腹をくすぐる。
「ひょわぁっ! ひひ、ちょ、ちょっとカイっ……ふふふ、やめてってぇ」
暁那は大きな笑い声を上げ、器を落とさないように必死で体を捩る。
からかうにしては執拗なくすぐりが止み、突然腰にのしっとした重みが加わる。
「え……カイ?」
海星は暁那のモコモコした服の感触を楽しむように、顔を埋めてぐりぐりと動かした。
「ふふん、やっぱこの服気持ちいい〜」
今日の暁那はスウェットではなく、柔らかそうなダボっとしたセーターを着ていた。
2人きりの大晦日の夜を、彼なりに楽しみにしていたのだろう。
たまらず声を上げる海星の様子を、暁那は微笑ましく見下ろす。
だがしばらくすると、不意に寂しそうな声が聞こえた。
「ごめんね……あの時、そばにいてあげられなくて」
顔を埋めたまま、少しくぐもった声で海星は呟く。
暁那は一瞬目を丸くし、戸惑いに瞳を揺らし唇を結ぶ。
「……違う、カイは関係ない」
「ううん。きっとあの時、俺がアキへの想いを認められてたら……こんな長い間、アキは苦しまずに済んだかもしれない。佐伯だって、タケシたちが声をかけてくれたから、きっと勇気をだしてくれたんだよ……」
海星はそう静かな声で伝える。
それを黙って聞いていた暁那は、自分が不登校となった当時の事を思い返す。
学校へ行かなくなって、程なくして始まった夏休み。
宰斗に虚偽の噂を流布され、友人だと思っていたクラスメイトとの関わりも呆気なく失った。
嫌と言うほど思い知らされた、人間関係の希薄さ。
しかし、それも裏を返せば自分の友人たちを軽く思っていたせい。
適当に辻褄を合わせるように諦めて、外の世界から逃げて、逃げて。気付けば5年間も引きこもり生活を続けていた。
すべてが苦しくて、自分自身が嫌で堪らなかった。
どうすれば手っ取り早く人生を終わらせられるのか……暇さえあれば、そんな事ばかり考えて。
そんな時、突然カイが目の前に現れた。
こんなどうしようもない自分の事を覚えて、必死になって会いに来てくれる。
まるで夢みたいな出来事に、最初は戸惑いの方が大きかった。
けれど不器用ながら、来る度に温かい料理を作ってくれて。だんだん、カイが来るのを待ち望む自分がいた。
ヒヤヒヤして見ていた包丁使いも、今や手際がいいくらいで。
明るくて、一生懸命なカイといると、いつも目の前が輝いて見えた。
カイがいたから、僕の世界は変わっていった。だから……
「そんな事言わないで……僕、今すごく幸せだよ?」
海星の髪をふわりと撫で、暁那は柔らかに微笑みかける。
「……ごめん、暗いこと言っちゃって。あ、この後年越し生配信見ようよ」
「うん! 洗い物、早く片付けちゃお」
海星は顔を上げ、少し潤んだ瞳で暁那を見上げる。
お互いを思いやるように明るく笑い、2人は急いで洗い物を済ませた。
「あ、この歌知ってる? 今流行ってんだよ」
「ふふ、知らない。けど、何か面白い歌」
テーブルの上にスマホを立て、2人は体を寄せあって小さな画面を覗く。
海星は流れる歌を口ずさみ、流行りを知らない暁那も、その姿を見ているだけで楽しかった。
いつもは静かな暁那の部屋。
けれどこの日は、騒がしくも明るい歌が遅くまで響いていた。
◇
新しく始まった年は穏やかに過ぎていき、今日は佐伯真実との約束の日。
先に集まった海星たちは、駅近のカフェで真実の到着を待っていた。
「約束の時間、もう30分過ぎてるけど……本当に来るのかな」
海星はスマホを見て不安げに呟く。
「うーん……あ、佐伯だ」
タケシは佐伯からの着信で電話に出る。
「はい……え、そうなんだ……うん、駅出て右の信号渡った先……あった? そ、窓際の席にいるから。じゃ、また後で……」
特に慌てる様子もなく、タケシは自然な会話で通話を切った。
「来たのか?」
祐介はそわそわとテーブルに身を乗り出す。
「うん。電車遅れてたんだって」
「そ、そうなんだ。何か、外で会うって思ったら緊張してきたっ」
そう言って祐介は窓を見て髪型を気にする。
「ふ……お子さまだね、祐介は」
「あぁ!? 何だよ、大人ぶりやがってー」
「おい、あんま騒ぐなって。そろそろ佐伯が……あ」
言い合いになる海星と祐介をなだめるタケシは、そばに立つ真実の気配に気付く。
真実は長めのスカートにベージュのダッフルコートを羽織り、口元を隠すようにマフラーを巻いていた。
「あ……あけまして、おめでとう」
目を合わせずに新年の挨拶をする真実に、海星たちはそれぞれ返事をする。
「あ、うん。おめでとう」
「あけおめぇ〜……なんちて」
「はぁ……ごめん、隣でいいか?」
「……うん」
滑り気味の祐介をあしらい、タケシは隣に真実を座らせた。
水を持ってきた店員にそれぞれ注文を済ませ、タケシは真実に声をかける。
「ごめんな、わざわざ」
「ううん。大丈夫」
しかし会話は続かず、すぐに沈黙が訪れた。
俯いてしまった2人の様子を交互に見て、海星は助け船を出す。
「あの、例の事なんだけど……本当に、馬場に話してくれるの?」
「……うん。先生からも、初めの頃は何度か連絡があって……学校へ行けば、たぶん、話す機会はあるから、その時に」
途切れ途切れに話す様子に、海星は既視感を覚える。
それは、再会した当初の暁那の様子にそっくりだったからだ。
「……そっか」
暗い表情で俯いた海星を見かねて、今度は祐介が話を振る。
「てかさ……佐伯は、来栖に何をされたわけ? その辺、俺らも知っときたいんだけど」
「そ、それは」
核心を突く言葉に、真美はビクッと肩を揺らす。
水の入ったグラスに添えられた手は微かに震え、真実は言葉に詰まる。
悲痛な姿を見守りつつ、海星たちは必要な情報のため彼女の言葉を待った。
「……わ、私は」
黙ったままぎゅっと目を瞑る真実を見てかね、海星は身を乗り出して思いを伝える。
「佐伯、怖いのはわかる。けど、俺らは絶対にお前の味方だから……それだけは、わかってほしい」
その言葉に同調するように、祐介とタケシは静かに頷く。
真実はようやく3人の目を見つめ、ゆっくりと呼吸をして口を開いた。
「……私、来栖先生のことが、好きだったの」
予想はついていたが、宰斗の本性を知る海星たちは複雑な表情で目を逸らす。
「それで、実習が終わる前に、思いきって告白しようとした……こんなの初めてで、けど、どうしても伝えたかった」
真実の声は、徐々に震えだした。
「先生はとても優しくて、カッコよくて……私なんて釣り合うはずがないのはわかってた……だけど私のこと、覚えていてほしくて」
「……佐伯」
今にも泣き出しそうな真実の顔を、タケシは心配そうに覗き込む。
「でも、言葉にする前に、笑われた……今までと別人みたいに……〈ドラマかアニメの見すぎ。私が勝手に先生を評価して、思い込んでいただけだろう〉って。あの蔑むような顔と笑い声が、今でも時々、頭に甦るの」
「酷ぇ……胸くそ悪すぎだわ」
真実の話を聞き、祐介は明らかに怒りを滲ませた表情で舌打ちをする。
「あぁ。俺ら、完全にアイツの外面に騙されてたんだな」
怒りを露にする2人とは対照的に、海星は冷静に口を開く。
「その後に言われたのか?……〈黙ってるなら、一回遊んでやろうか〉って」
静かな怒りすら感じる声に、真実は黙ったまま頷いた。
「もう、自分でも訳がわからなくて……あの場から逃げ出すしかなかった……実習が終わって、先生はもういないってわかっても……人の顔色を見るのが怖くて、学校へ行けなかった」
初めて真実の胸の内を聞いた海星は、俯いたまま静かに目を閉じる。
「俺、あの後自分が見たことを馬場に話したんだ。けど、馬場は宰斗に言いくるめられて……力になれなくて、ごめん」
頭を下げる海星に驚き、真実は戸惑い目を見開く。
「ど、どうして、相沢くんが謝るの? その、ほとんど話もしたことないのに」
「それは」
海星は少し言葉に詰まるも、真実をまっすぐ見つめて伝える。
「俺の大切な人も、アイツに心を傷つけられて……今も、前に進むために必死にもがいてる。佐伯からすれば勝手な理由だと思うけど……俺は、宰斗だけは絶対、許すわけにはいかないんだ」
感情的ではなく、固い決意のこもった声に、真実は海星の目をじっと見つめた。
「……私が話すことで、その人は、救われるのかな?」
「もう、宰斗に怯える必要はないって、安心はさせてあげられる……少なくとも俺は、そう信じてるよ」
「海星……」
優しく微笑む海星を見て、祐介とタケシも柔らかい笑顔を向ける。
「改めて、俺らからも頼む。佐伯の力を貸してほしい」
「来栖にやられっぱなしって訳にいかねーしな!」
「渋谷くん、朝比くん……」
3人の力強い表情に勇気付けられるように、真実はゆっくり息を吐き僅かに微笑んだ。
「……私、全部話す。先生の隠された本性は、教師として相応しくないと思うから」
真実のまっすぐな想いを聞き、海星たちはそれぞれ安堵のため息を漏らす。
「よっしゃ! これで準備は整ったな」
「あぁ、絶対馬場を説得しないと」
祐介とタケシはやる気に満ちた笑顔で拳を突き合わす。
「ありがとう、佐伯」
「ううん……これは、私のためでもあるから」
初めて見る彼女の笑顔は、吹っ切れたような清々しさがあった。
「けど……」
「ん?」
「いいね、友達がいるって……羨ましい」
控えめな笑顔で呟く彼女に、海星たちはキョトンと顔を見合わせる。
「何言ってんの」
「佐伯も、友達だろ?」
「酷い! もしかして、友達と思ってたの俺たちだけか!?」
「えっ……ご、ごめん! 朝比くん、泣かないで」
祐介の嘘泣きに騙された真実は、オロオロと狼狽えていた。
そんな時、店員が注文の品を運んでくる。
「大変お待たせしましたー。厚焼きパンケーキ贅沢盛り3つと、ホットココアになります」
「え、え?」
ドンドンと置かれるボリューミーなスイーツに混乱し、真実はキョロキョロと顔を動かす。
「わー! 来た来たぁー、話し込んですっかり忘れてたぜ!」
「さ、話もまとまったし、早く食おーぜ」
「でけぇ……あ、チョコソースかかってるー。俺好きなんだよねぇ」
戸惑う真実をよそに、海星たちは嬉しそうにパンケーキにがっつき始める。
(緊張してて注文聞いてなかったけど……男の子って、こんな甘いのいっぱい食べるの!?)
カチャカチャと音をさせながら夢中で食べる3人を呆然と眺め、真実は思わず吹き出した。
「ふっ……あっははは」
今までが馬鹿らしくなるくらい、真実は笑い声をあげる。
何の涙かわからないが、目には一粒の涙が溢れていた。
海星たちはパンケーキを頬張りながら、彼女の笑顔に嬉しそうに顔を見合わせるのだった。
◇
『おはよう。今日から新学期だね。学校、頑張ってね』
まだ誰もいない教室。
海星は幸せそうに目を細め、暁那からのメッセージを見つめる。
「おはよー」
「よぉ、早いな」
「うん、何かそわそわして」
祐介たちは普段通りの様子だが、いつもなら時間ギリギリに教室に入るはず。
どうやら彼らもそれぞれ、思うところはあるようだ。
そして、予鈴が鳴る直前、教室に入ってきた人物に皆の視線が集まった。
「あれ、佐伯じゃない?」
「マジだ……ってかすっかり忘れてたわ」
「あぁ、もともと影薄いからなー」
静まり返る教室に、ヒソヒソと陰口が聞こえ始める。
そんな中、俯き静かに自分の席に付く真実に、祐介は明るく声をかけた。
「よぉ、佐伯! おはよー」
「えっ……うん、おはよう」
クラスメイトの視線も気にせず手を振る祐介たちに、真実は戸惑いつつ安堵の笑顔を見せる。
雪のちらつく3学期。
孤独だった彼女の世界に、小さな花芽が確実に顔を覗かせ始めていた。
数ある中から読んで頂いて
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