24話 風邪を引いたサンタクロース
某有名大学の教育学部。
12月下旬。
宰斗は教育実習の評価を聞くため、学部の指導教員から研究室に呼ばれていた。
「今回は体調不良もなく、無事に実習を終了できて良かったですね」
「あはは、本当に前回はご迷惑お掛けしました。急遽日程の調整を先生にお願いしてしまって……」
宰斗は申し訳なさそうに頭を下げる。
「まぁ、流行り病は仕方ないですからね。それよりも、すごい高評価でしたよ? 今まで実習担当してきましたが、これほど高評価で指摘がゼロというのは初めてです!」
「ありがとうございます。せっかくやり直させて頂いたので、精一杯やったつもりです。それにきっと、担当の馬場先生のご指導が良かったお陰ですよ」
「もー、すぐそうやって謙遜するんですから。けれど、その驕らない姿勢は素晴らしいと思いますよ。私も見習わないと」
指導教員から評価ファイルを受け取り、宰斗は深々と礼をする。
そして笑顔のまま、研究室を後にした。
コツコツと廊下を歩きながら、宰斗は微かに肩を震わせ口元を手で塞ぐ。
(ふ、ふふふ……単純)
自分がどう見られているか、どうすれば人が好意を抱くのか。
それが手に取るようにわかる彼にとって、自己評価を上げることなど簡単なゲームをするくらい簡単なことだった。
◇
単身者用のワンルームのアパートの一室。
時刻は深夜1時40分。
真っ暗な部屋の中、暁那はベッドの上で暗い天井をじっと見つめていた。
血色の悪い顔にははっきりとした隈が浮かび、目は泣き腫らしたように赤い。
あれから数日、暁那は部屋から出ていない。
宰斗に家を知られている恐怖。海星を拒絶してしまった罪悪感と、これ以上彼を巻き込みたくないという思い。
そんな負の感情が渦巻いて、まるで雁字搦めのように、暁那は身動きが出来なくなっていた。
(前に進まなきゃって……思ってたはずなのに。結局、また元に戻っちゃった……)
「このまま、消えてしまえたらいいのに」
カサついた唇から出た呟きは、静かな闇に寂しく消える。
そして暁那は何気なくスマホを手に取る。
日付は12月25日。
「……クリスマスだ。そういえば、昨日はカイから連絡がなかった」
(当たり前か……メッセージは怖くて見てもいない。インターホンが鳴っても出ない……流石にこんな酷いことしてたら当然だよ)
「自分がされて傷ついたのに……宰斗と、同じことしてる」
暁那は布団にくるまり、固く目を瞑る。
無音の夜は静かで長く、まるで無限の暗闇が続くよう。
「……最低だ」
布団の中で呟くと、虚しい涙が頬を伝っていた。
◇
12月25日。
海星は昼間から出掛ける準備をしていた。
「あれ、海星出掛けるの?」
階段を降りると、洗濯物を取り込む母と顔を合わせる。
「うん、ちょっと出てくる」
「あ、母さん夜勤だから、鍵忘れないでね……って、あんたちょっと顔赤くない?」
僅かに赤い海星の頬を、海咲は心配そうに覗き込む。
「え? 別にどうもないよ。厚着してるからじゃない?」
「そう……ならいいけど。遅くならないようにね」
心配する母をよそに、海星は適当に返事をして家を出た。
そして、芯から冷えるような寒さの中、ある場所を目指して海星は自転車を走らせていく。
――――
インターホンが鳴ったのは、昼の1時を回った頃。
ベッドで眠っていた暁那は、何度目かのチャイムで目を覚ます。
「……カイ?」
暁那の声は自然と声は上ずり、誘われるようにベッドを降りて玄関へと歩き出す。
と、ここまではいつもの事。
ドアまで後一歩という所で、いつも体にブレーキがかかった。
(また……体が勝手に)
この日も同じ。
暁那は泣き出しそうに顔を歪めると、膝を抱えてその場にうずくまった。
すると今日はいつもと違い、ドアの外から声が聞こえてくる。
「……アキ? いるよね?」
(カイ! やっぱり、カイだった……)
思わず返事をしてしまいそうになり、暁那は両手で口を塞ぐ。
久しぶりの海星の声。それが聞こえただけで、胸は苦しいほどに締め付けられた。
「俺さ……待ってるから。アキが、ここを開けてくれるまで……ずっとドアの前にいる」
外が寒いせいか、心なしか海星の息遣いは荒い。
暁那は赤く目を潤ませ、その言葉に声もなく首を横に振る。
「なんか今日、結構暖かいしさ……はぁ……気にしないでいいから、気が向いたら、顔見せてよ」
(なんで……カイは僕を怒らないの……どうして、いつもそんなに優しいの?)
優しい声は心に突き刺さり、暁那は戸惑いに目を見開く。
塞いだ手の隙間からは声もなく、くぐもった泣き声だけが漏れていた。
暁那はふらつきながら立ち上がると、ゆっくりとドアに手を合わせる。
無機質なドアは、ひんやりと冷たい。
この扉の数センチ先に、海星がいる。そう思うだけで、手のひらからじわりと暖かい熱を感じた。
「カイ……会いたいよ……」
〈……ドスン〉
「……え」
暁那が呟くと、ドアに何かがぶつかったような音がした。
「か、カイ?」
不安になって名前を呼ぶと、外からの返事はない。
海星の返事を待つ間、小さな不安はどんどん膨らんでいく。
(な、何が起きて……)
不安と困惑で鼓動は忙しなく脈打ち、暁那はついにドアノブに手をかける。
震える呼吸と共に開いたドアは、なぜか途中でつっかえて重くなった。
「……カイ!?」
隙間から外を覗くと、コンクリートの地べたに座り込む海星が見えた。
海星はだらりと頭を下げ、荒く呼吸を繰り返している。
その瞬間暁那の心は跳ね上がり、慌てて隙間から抜け出てて海星のそばにしゃがみ込んだ。
「カイ! だ、大丈夫!?」
必死で呼び掛け肩を揺すると、海星は赤い顔でうっすらと目を開ける。
「あ……アキ……」
海星は虚ろな目をしながらも、ふにゃりと嬉しそうに顔を綻ばせた。
反応があったことにはホッとしたが、額に手を当てると異常なほどな熱を持っている。
(凄く熱い……風邪? と、とりあえず、中に運ばないと!)
「カイ、ちょっとごめんね」
暁那は海星の体をずらし、脇の下に潜り込むように彼の体を担ぎ立ち上がる。
(うぅ……重っ……)
立ち上がった勢いでふらつき、暁那は倒れないよう咄嗟に左足に力を入れる。
暁那よりも小柄な体だが、力が抜けた状態の男を運ぶのは容易ではなかった。
それでも暁那は、よたよたとふらつきながらも海星を抱えてベッドを目指す。
「はぁ……あと……少し……うわっ」
しかしあと少しというところで自分の足が絡まり、海星は顔からベッドに倒れ込んだ。
「うぷ……」
「わっ……ご、ごめん!」
暁那は慌てて海星の体を仰向けにし、下敷きになった掛け布団を引っ張るように彼の体にかける。
ひと息ついて後ろを見ると、海星の靴が廊下に脱ぎ散らかっていた。
それを拾うため立ち上がろうとすると、後ろからぐいっと袖を引かれる。
「アキ……どこか、行っちゃうの?」
小さく震えるような、心細い声だった。
海星は赤い顔で目を潤ませ、力の入らない手で暁那の袖を必死に掴む。
初めて目にする海星の弱気な姿。暁那は安心させるように微笑むと、またその場に腰を下ろした。
「大丈夫だよ。そばにいるから、安心して」
「……よかった」
たったそれだけの言葉で、海星は嬉しそうな笑みを浮かべた。
暁那は彼の髪を撫でると、そっと額に手を当てる。
「カイ……寒くない?」
「……ううん、アキの手、冷たくて気持ちいい」
しばらく手を当てていると、海星はふと力が抜けたように目を閉じた。
横になったからか、呼吸も少し落ち着いてきている。
(よかった。悪寒がないなら、後は冷やしてあげれば……えっと確か、だいぶ前に風邪を引いた時、母さんが持ってきた体温計と冷却シートがあったはずだけど……)
考えを巡らせていると、耳元に微かな寝息が聞こえてくる。
(……カイ、寝たのかな)
海星の寝顔を優しく見つめ、暁那は最後に彼の髪をさらりと撫でて立ち上がった。
(えっと……この棚の中だったような)
起こさないように静かに棚を探る。
冷蔵庫にあった水も取り出し、暁那は急いで海星のもとに戻る。
「よいしょ……カイ、布団めくるね」
荷物を置いて布団をめくると、上着を着たままの状態に気付く。
(あ、上着脱がすの忘れてた……)
「ごめん、少しだけ体起こせる? 上着脱がすから」
「……うん」
暁那は朦朧と返事をする海星の肩を抱き起こし、不器用に袖を脱がしていく。
上着を脱がしてまた寝かせ、脇に体温計を挟む。
「これでよし……」
待っている間に上着を畳んでいると、ポケットから何かが落ちた。
「……これ」
転がった小さな箱を手にして、暁那はそれを不思議そうに見つめる。
手のひらサイズの箱の一面には、手書きで文字が書いてあった。
〈メリークリスマス!〉
その文字の後に、サンタと思われる不格好な絵も添えて。
「これ、カイの字だ……ふふ、何でサンタがメガネしてるの?」
吹き出すように小さく笑いながら、その頬からは涙が伝った。
押さえられない涙が溢れ、悲しいのか嬉しいのかもわからなくなる。
〈ピピ……〉
「あ……」
体温計の音が鳴り、暁那は慌てて服の袖で涙を拭いた。
暁那は海星からの贈り物をテーブルの上にそっと置き、挟んでいた体温計を確認する。
(38、8℃……凄い熱だ)
「……熱、あった?」
気になったのか、海星はうっすらと目を開けて聞く。
「うん、少し高いけど……ゆっくり休めば大丈夫だよ。あ、薬あるけど、飲める?」
「……うん」
海星の体を抱き起こし、暁那は薬と水を口に含ませる。
するとゆっくりだが、ゴクリと喉を通る音がこ聞こえた。
「よかった……後は、ゆっくり寝てていいから」
ホッと息をつき、暁那は海星の体を優しく寝かせる。
「うん。アキ……ごめんね?」
そう呟いた海星の目には僅かに涙が滲んでいた。
「違う。カイが謝る必要なんてないよ……僕が」
涙を堪えながら首を振り、暁那は言葉を詰まらせる。
「……ううん。今は何も考えなくていいから、体を休めなきゃ」
暁那は気持ちを切り替えるように微笑む。
海星はその言葉で表情を和らげ、ホッとしたように笑い返す。
「ありがと」
「……手、握ってようか?」
「ふふ……子供みたいだ」
そう恥ずかしそうに顔を綻ばせつつ、差し出された暁那の手を、海星はゆっくりと握り返した。
優しい笑顔を見せていた暁那だが、海星が眠りに入るとくしゃりと顔を歪ませる。
「……海星」
暁那は絞り出すように彼の名前を呼ぶ。
包み込むように握った手には、生ぬるい雫がポタポタとこぼれていた。
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