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22話 はがれた仮面

 12月も後半が過ぎて、この日の空気は一段と冷たかった。

 それは単に気温のせいなのか、自分の気持ちのせいなのか。

 海星は冷えきった指先を隠すこともせず、海星は呆然と自転車を漕ぐ。


 ――『今はっ、海星と一緒にいたくない!……』


 あの時の悲痛な叫び声は、何度も何度も頭の中で繰り返された。

 海星はその度に歯を食いしばり、苦しそうに顔を歪める。


 (ただ……傷ついてるアキのそばにいたかった。迷惑なんて一度だって思ったことない……これ以上、どうすればわかってくれるんだよ)


「……もう、わかんないや」


 震える声で呟くと、鼻の奥がツンとする。

 見上げた夜の月は雲に隠れ、ぼんやり白く光り揺らいで見えた。

 

 ◇


 その夜。

 暁那は真っ暗な部屋の中、芋虫のようにベッドの上に丸まっていた。

 布団を頭まで被り、いくら目を閉じていても眠ることは出来ない。

 時折もぞっと体を捩り、小刻みに震えながら首筋や胸を掻きむしる。


 (大丈夫だ……もう何回も洗ったし……何も残ってない、きれいなはず)


 海星が帰った後、暁那は虚ろな目で浴室へ向かった。

 何度も何度も体を擦り、シャワーで洗い流し、その摩擦で白い肌は真っ赤に染まる。

 しかしいくら擦ろうと、宰斗に触れられた恐怖と嫌悪は消えることはなかった。


 (怖くても、もっと必死で拒絶するべきだったんだ……殴られたってよかった……カイに、あんな思いをさせるくらいなら、そうするべきだったのに……なんで、体が動かなくるんだんだよ)


「ごめん……ほんと、情けないよ」


 布団の中、そこにいない彼に向かって暁那は何度も謝り続けた。

 殻に閉じ籠り、出口のない闇に飲み込まれるように。それはまるで、海星と出会う前の彼に戻ったような姿だった。


 4時25分。

 ほとんど一睡も出来ず、暁那は恐る恐る枕元のスマホを手に取る。

 海星から連絡が来ていてもいなくても、それを確認するのが怖かった。

 だが眠れない時に考えるのは彼の事ばかり。暁那はそれに耐えきれず、この時初めてスマホを見た。

 

 眩しさに目を細めて見ると、画面にはメッセージの通知が何件か来ている。

 途端に胸は跳ねあがり、暁那は考える間もなく通知をタップする。


「あ……祐介くん」


 海星以外のメッセージは初めてで、暁那は思わず祐介のメッセージを開いた。 

 

『暁那さん、昨日部屋に数学の参考書忘れてなかったっすか? もし見つけたら、教えてほしいっす!』


 そしてその数時間後に、海星からのメッセージが連続していた。

 

『アキ? 祐介からのチャット届いてる? 昨日参考書忘れてるみたいなんだ。見たら、返事ちょうだい』

『寝てる? もしかして何かあった?』

『ごめん、心配だからバイト早めに上がった! 今から行くから!』

 

 彼のメッセージを目で追って、暁那は静かに涙を流す。

 海星は自分の些細な異変を気にして、バイトまで切り上げて自分を心配している。

 その事が嬉しくも、切なくもあった。


「なんで……こんなに会いたくなるの?」 

 

 抑えられない想いが溢れ、暁那はまた布団にくるまり、縋るような涙声で呟いた。


 ◇


 翌日、朝のホームルーム前。

 この時間、祐介とタケシはいつもなら海星と雑談をして過ごしている。

 しかしこの日は違い、2人は海星から離れた席で、その様子を心配そうに見つめていた。


「なぁ、今日あいつの声聞いた?」

「いんや、挨拶しても無視……というか、気付いてもない、みたいな」

「だよな? どうしたんだろ……」

 

 窓際の席で、海星はだらりと椅子の背もたれに体を預ける。

 ぼうっと窓の外を眺める瞳は、どこか別の場所を見ているようだった。


 その後の休み時間も海星は席から動くことなく、机にうつ伏せ1人で時間を潰していた。

 何となく気まずく声を掛けられなかった祐介たちだが、昼休みになったことで意を決して彼の肩を叩く。 


「よ、よう! 今日どしたん?」

「元気ねぇけどさ、とりあえず飯食わね?」 


 ひきつった笑いの2人の顔を無表情で見上げると、海星は目を伏せたまま無言で頷いた。

 2人はそれに少し安心し、苦笑いで顔を見合わせる。


 しかし食べ始めたはいいものの、海星はパンを1口齧ったまま、またぼんやりと窓の外を見ていた。

 その間に2人は食べ終わってしまい、またなんとも気まずい空気が訪れた。


「おいタケシ……俺もう無理だべこの空気!」

「馬鹿、もう少し様子みようぜ。下手こいて機嫌損ねたら面倒だろ?」


 2人は顔を後ろに背け、小声で話し合う。

 だが祐介はタケシの助言を無視し、痺れを切らして海星に話を振った。


「あー、やっぱ無理! 海星、お前今日変だぞ!? 何があったか知らねぇけど、こんな状態無視できねーって!」


 祐介はドンと机を叩き、海星に迫る。

 タケシは頭を抱えたが、彼も心配そうに海星の様子を見守っていた。


「……別に、何も」


 海星はピクリと体を揺らし反応するが、誤魔化すように目を逸らし呟く。

 タケシはムッとして顔をしかめると、それを遮るように言葉をかけた。

 

「海星、それはさすがに無理あるだろ」

「でも……本当に何も」

「……なぁ、そんなに俺らの事信用できねぇ?」


 突然タケシの声色が変わり、海星はようやく彼の目を見た。

 いつものふざけた表情とは違い、彼らの目は真剣で、その瞳の強さに海星の心は揺らいでいく。


 海星は教室を見渡すと、不安げな表情でぽつりと話し出す。


「ごめん……放課後、聞いてもらっていい?」

 2人はチラリと目配せをすると、頼もしい笑顔で頷いた。


 ――――


 放課後。

 教室には海星たち3人しか残っていない。

 祐介たちは海星の机に椅子を引き寄せ、彼の話を聞くべく囲むように座った。


「……で、何があったの?」


 未だ静かなままの海星にタケシが話を振る。

 海星は俯いたままゆっくりと息をすると、ようやく口を開いた。


「俺……アキと付き合ってるんだ」


「……へ? アキって……え、暁那さん!?」

 祐介は予想外の言葉に目を丸くし、しばらく開いた口が塞がらなかった。

 それを見てタケシは苦笑いを浮かべ、困ったように頬を掻く。


「いやまぁ……もしかしてって思ってたけど、やっぱそうなんだ」

 タケシの言葉に海星は静に頷く。

「え!? お前知ってたの!?」

「知ってたってゆーか、何となく見てりゃわかるだろ?」

「いやわかんねーって!」

 興奮の収まらない祐介を、タケシは体を押し退けるようにして落ち着かせる。


「うるさいよ。それよりほら、とりあえず話を聞かないと」

「あぁ!? お、おう……」 

 2人は海星に向き直り、話を促すように静になった。


 それから海星は順を追い、暁那との事を話していく。

 子供の頃から大好きだった暁那。

 自分の感情に戸惑い、5年間彼から離れてしまったこと。

 それでもアパートに通い続け、心を許し、お互いの想いが通じ合ったこと。


「……やっと、これから2人で歩いていけるんだって、毎日舞い上がりそうなくらい嬉しかった」


 声を震わせ、海星は俯いてポタポタと涙を溢す。

 彼の泣くところを初めて見た祐介とタケシも、悲しそうな表情で見守っていた。


「暁那さんと、何かあったの?」

 タケシが声を掛けると、海星はまた口を閉ざしてしまう。

 しばらく沈黙が続いた後、祐介は思い出したように声を上げる。


「あ……」

「……なんだよ」

 祐介は声を出して固まってしまい、タケシは気が抜けてガックリと肩を落とした。

「あ、いや……もしかして、来栖先生が関係あったりするのかなー、なんて」

「え、なんで」


 祐介がそう口にした瞬間、海星は大きく体をびくつかせる。

 それを見た祐介は、自分でも驚いたような顔を向けた。


「あ、当たった? いやさ、前にチャットで先生の名前何だって聞いてきただろ? それに、何か睨み付けてたし……」

 海星は膝の上で拳を握りしめ、ゆっくりと口を開く。


「……あいつは、アキの元彼で……そのせいでアキは、外に出られなくなった」

「え……」

「……マジかよ」


 驚き目を見開く2人に、海星は話を続ける。

「あいつは、いい先生なんかじゃない! 裏では人を蔑んで、平気で心を傷つける……サイコパスなんだよっ」

 

 声を荒げる海星に、祐介たちは困惑した。

 海星の話を信じられない訳じゃない。しかし2人の中で、教師としての宰斗は完璧に見えた。

 それが偽りだったと突きつけられ、にわかに信じられるものではない。

 祐介とタケシは息を飲み、しばらく呆然としていた。

  

「……もしかして、佐伯が休んでるのも、来栖と関係あんの?」 

 タケシはふと佐伯の席に視線を向けて問いかけた。

 打ち明けるべきか悩んだが、ここまで話して隠すことも出来ず、海星はゆっくりと頷いた。

 

「……小テストの日、放課後に教室であいつと喋ってた。詳しい事情はわからないけど……『遊んでやろうか』って、確かに聞こえた。佐伯は震えながら泣いてて、その後から学校に来てない……」


 海星の話でようやく事情を受け入れ始め、2人の顔には怒りが滲んでいく。

「マジか……最悪」

「なんだよそれ! 信じらんねー、今からでも馬場に報告しようぜ!」

 興奮する祐介に、海星は首を横に振る。


「無駄なんだ……俺だってすぐに馬場に言った。けど、何の証拠もなくて……たぶん、あいつに言いくるめられてる」

「はぁ!? クソじゃねーかよ!」

「チッ……まぁ、馬場ならそうかもな」


 どうしようもない状況に、その場はまた沈黙に包まれた。

 そんな中、海星は歯を食いしばり、悔しさに震えながら声を絞り出す。


「……俺は、アキが傷つけられても何も出来なかった……でも、アキに拒絶されたら……もうどうしたらいいかわからない」


「海星……」

 祐介は悲痛な表情で彼を見つめ、震える肩にそっと触れた。

 黙って話を聞いていたタケシは、真剣な瞳で海星を見つめる。


「海星……俺さ、暁那さんが引きこもりだって知ってた」

「え?」

「家に行った時、小さなメモ帳があってさ……祐介のかと思って見たら、違ってた。たぶん暁那さんの書いたやつで、毎日アパートの外出るとか、買い物に行くとか……目標? みたいなの書いてあった」

「……アキが?」

 小さく呟く海星に、タケシは笑顔で頷いた。


「あぁ……それで最後に、『一人じゃなくても、海星にお願いして助けてもらう』って書いてた」

 それを聞くと、海星はくしゃりと顔を歪めて涙を流す。

 タケシは困ったように微笑むと、宥めるように声をかける。


「そん時は事情を知らなかったけど、暁那さんが努力しようって思えたのは……紛れもなく、お前がそばにいたからじゃね?」

 涙が止まらない海星を見かねて、祐介はおどけたようにタケシに突っ込む。

 

「はは……お前いいこと言い過ぎだろ! 俺にも残しとけよ!」

「はぁ、なんだよそれ……祐介も言えばいいだろ?」

「上等だよ! 行くぞ? ゴホン……えー、海星くん? 諦めたらそこで人生終了ですよ」

「……試合じゃね? 人生とか大袈裟すぎ」

「はぁ!? ネチネチうるせーなー、馬鹿タケシ」


 じゃれ合うような口喧嘩が繰り広げられ、海星は泣きながらも思わず吹き出した。

「ぷっ……ふふ」

「あ! お前まで何笑ってんだよー」

「タケシがアホすぎて呆れたんだろ?」


 また口喧嘩が始まりそうだったが、祐介はぐっと堪えて海星の背中をバシッと叩く。

「いってぇ」

「1回拒否られたからっていじけてんな。俺なんて何回も同じ女子に振られてんだぜ?」

「……いや、それはまた違くねーか」

「違くない! 伝わるまで何回でもぶつかれって事よ!」

「はは、なんだそれ……まぁ、ちょっといい事言うじゃん?」

「だろだろ!?」


 祐介の底抜けに明るい元気と、タケシの優しさに触れて、海星の心は昨日よりも軽くなった。

 暁那が自分を必要としてくれるなら、何度拒絶されても、諦めたくはない。

 2人に話を打ち明けて、海星はようやく自分の気持ちが固まっていく気がした。

   

「……ありがとう。ふたりとも」


 小突き合う2人を見つめ、海星は柔らかな笑顔を浮かべる。


 (やっぱり、俺はアキと離れたくない……だって、前に誓ったから……もう絶対に離れないって)


 


 

数ある中から読んで頂いて

本当にありがとうございますᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ

リアクションや、一言でも感想を頂けると大喜びします(^◇^)


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