21話 心を傷つける刃物
「ふーん……こんなとこ住んでんだ。もっとゴミ屋敷かと思ってたけど、案外片付いてるね」
小馬鹿にするように言い放ち、宰斗は暁那の体を押し退けて玄関へ入る。
革靴を雑に脱ぎ捨てると、威圧的な足音を鳴らして部屋の中を物珍しげに見ていく。
暁那は俯き、玄関に立ち尽くしたまま小刻みに震えていた。
表情は青ざめ、呼吸は不規則に荒い。
宰斗は部屋の中を物色しつつ、机の上の本や広げたノートを見つけるとそれを鼻で嘲笑う。
「何? 勉強してんの? あっはは、引きこもりには必要ないでしょ」
その声に暁那はピクリと体を揺らした。
そしてノートに書いてある字をじっと見つめ、宰斗は鋭く目を細める。
「……やっぱり。この字、お前のだったんだ。機械的で、小さい字……特徴あったから記憶に残ってたんだよねぇ」
それを聞いて、暁那は怯えた目でゆっくりと宰斗に目を向ける。
「可愛い年下彼氏くんのために、お勉強、教えてあげてたんだ。さすが、元優等生」
「な……何で……そんなこと」
暁那は言葉なく口を動かし、蚊の鳴くような小さな声を振り絞った。
「何でって、余程嬉しかったんじゃない? 学校にまで持ってきて、嬉しそうに眺めてたよ、相沢海星くん」
自分との繋がりを完全に見透かされていたと気付き、暁那は一気に血の気が引いていく。
そして壁に背中を預け、そのまま力が抜けたように床にへたり込んだ。
(全部……全部知られてるんだ……海星と僕のことも、全部)
過呼吸になりそうな程息は乱れ、頭の中には絶望が広がる。
混乱の中、暁那はそれでも必死に口を開こうとする。
「は、はぁ……な、何が……目的、なの?」
立ったままノートを雑にめくっていた宰斗は、彼の顔を見ることなく感情の無い声で返事をする。
「目的かー。特に無いんだけどねぇー」
「え……」
ホッとしかけた瞬間、次の言葉で暁那は暗闇に突き落とされる。
「あいつだけなんだよ。実習中、思い通りにならなかったの。初めて見たときから、あの目が気にくわなかった……そしたら案の定俺にたて突いて来やがって、評価に傷が付いちまってさー。ははは、くそムカつくだろ?」
無感情だった声は徐々に静かな怒りを宿し、暁那は内臓が冷え上がるような悪寒を感じる。
宰斗はその様子を見て、愉しそうに微笑みかけた。
「俺さぁ、好きだのなんだの、愛情語るやつって糞ほど癇に障るんだよ……だからお礼に、相沢くんに教えてあげようと思って……そんなもん、ただの思い込みだよって、優しくね。最後の特別授業ってやつ?」
ノートを床に放り投げられ、暁那の体はびくりと大きく揺れる。
宰斗はそれを当然のように踏みつけ暁那に近づいていった。
◇
(アキ……大丈夫だよね)
そう心に言い聞かせるも、アパートに近づくほどに海星の鼓動は速くなる。
自転車を漕ぐ足にも焦りが出て、滅多に鳴らされることの無いクラクションにも煽られた。
その度に、漠然とした不安は大きく膨れ上がった。
◇
宰斗は暁那に近づくと、へたり込んだ彼を囲うように勢いよく壁に手を付く。
「ほんとは乗り気じゃないけど……君に手を出した方が手っ取り早いから」
眉を下げて笑みを浮かべ、宰斗は暁那の顎を掴み上げる。
「や……やめて!」
「はは……何それ、それで本気で抵抗してるつもり?」
顔を背け、震える手で自分の腕を掴む暁那を、宰斗は嘲笑った。
当然のように力で押し負け、無理矢理に唇を貪られた暁那は驚きと苦痛で顔を歪める。
(いやだ! いやだいやだいやだ……怖い……気持ちが悪いっ)
涙と嗚咽が漏れ、ようやく唇が離れた時、暁那は吐き気を催し四つん這いになった。
「おぇ……うぅっ」
宰斗はそんな状態でもお構い無しに、涙と涎に汚れた暁那を床に押し倒した。
「うぇ、吐くなよ気持ち悪ぃ……あっ、そう言えば昔公園でも吐いてたよね? 何か思い出しちゃった、懐かし」
思い出しくもない、夜の公園での逢瀬。
暁那は固く目を瞑り、恐怖で力の入らない手で宰斗の体を押し返し続ける。
首筋を舐められ、素肌に触れる手に鳥肌が立つ。
恐怖と絶望の中、暁那の頭に浮かぶのは海星のことばかりだった。
「……イ……カイ、ごめん……ごめ」
誰に言うでもなく小声で呟く暁那に、宰斗は不思議そうに首を捻る。
「あれ、バレないか気にしてるの?」
恐怖で錯乱する暁那に、宰斗の声はもう聞こえもしなかった。
「彼、今日バイトだし、今ごろお家に帰ってるんじゃない? ま、気にしないで元彼と盛り上がっちゃったー。とか言っとけば……」
暁那の体を弄びながら、宰斗は饒舌に話す。
だがそれは突然、勢いよく玄関を開ける音に遮られた。
「アキっ!」
開けると同時に声を上げた海星は、目の前の光景に絶句する。
暁那に馬乗りになった男の背中を見て、海星は瞬時にそれが宰斗だと理解した。
海星は反射的に宰斗に掴みかかると、その体を引き離し壁に押し付ける。
(……カイの、声がする)
過呼吸になりながら目を開けると、宰斗に殴りかかろうとする海星の姿が見えた。
「カ、イ……海星! 殴っちゃ駄目だっ、カイ!」
暁那は無我夢中で声を上げ、海星を止めようと床を這う。
その必死の声に海星の体は一瞬止まり、宰斗はその隙を付いて彼の腕を難なく振りほどいた。
「……はぁ、殴んないんだ。意外と冷静なんだね」
宰斗は少し息を整えて襟元を直す。
その姿を、海星は今まで見せたこともないような獰猛な目で睨み付けていた。
そして、低く怒りで震えた声で口を開く。
「……お前、アキに何やった」
「そうだな……久しぶりに会って盛り上がっちゃった、って感じ?」
悪びれもせず薄く笑う宰斗に、海星は握った拳を震わせた。
「お前だけは……絶対に許さねぇ」
睨み付けながら再び拳を振り上げた海星に、暁那は息を切らし、後ろから抱きつくように彼を制止する。
「アキ!? 何で……離してよ!」
「駄目……駄目だよっ」
「クソッ……どうしてこんなやつ庇うんだよ!?」
必死で体を振りほどこうと踠くも、暁那の腕は固く海星を抱き締めていた。
「宰斗じゃない……カイの……海星の為だからっ……絶対に手は出させない!」
暁那は海星に暴力問題を起こさせない為に必死だった。
それがわかり、海星は怒りは収まらずとも、少しだけ力を緩めた。
「なんだ、もう終わりか。まいいや、用は済んだし」
二人が揉めているのを見物し終わると、宰斗は何食わぬ顔で靴を履いてドアに手をかける。
「てめぇ、何勝手に帰ろうとしてんだよ!」
海星は動けないまま声を荒げる。
宰斗はそんな彼を哀れむように見つめると、口角を上げて返事をする。
「二人とも仲が良いみたいだけど、現役高校生が20代の男の家に入り浸るって、学校的にはどうなんだろうね?」
「……はぁ!?」
「ま、学校に知れるかどうかは俺次第ってこと。じゃあね暁那、久しぶりで楽しかったね」
最後に白々しい言葉を吐き捨て、宰斗は部屋を出ていった。
暁那は糸が切れたように、海星の体から離れ床に尻餅を付く。
宰斗が去った後、二人はしばらく声も出せず、部屋には乱れた呼吸の音だけが聞こえていた。
海星はふらふらと壁に体を預け、無理矢理落ち着かせるように深く息を吐く。
そして呆然として座り込む暁那を悲しそうに見つめると、彼のそばに寄りそいそっと肩に触れた。
その瞬間、暁那の体はピクリと大きく跳ね上がる。
小刻みに震え、涙に濡れた怯えた表情。
海星は怒りとやるせなさに拳を握ると、暁那の体を軋むほどに抱き締める。
「あ……あぁ……うっ……うぅ」
抱き締められた途端、暁那は息を早めたように嗚咽を漏らし声をあげて泣いた。
だらりと脱力していた腕は遠慮がちに持ち上がり、次第に強く海星の背中にしがみつく。
海星は苦しそうに顔を歪めながらも、彼の体を抱き締め続けた。
「……もう、大丈夫。大丈夫、だから……遅くなって、ごめんね」
何度も繰り返すように謝る言葉に、暁那は嗚咽で返事ができないまま、彼の胸の中で懸命に首を横に振る。
それからどれくらいの時間が経っていたかわからない。
暁那は海星の胸の中で徐々に落ち着きを取り戻し、速かった呼吸もゆっくりとした息に変わってきた。
その変化を感じ、海星は腕の力を緩め、リズムを付けてポンポンと背中を叩いていく。
「アキ……少し、落ち着いた?」
優しい声に、暁那はスンスンと鼻を啜り小さく頷く。
「……うん……カイ……ありが、と」
途切れ途切れに返事をすると、暁那はゆっくりと体を離した。
「え、アキ?」
突然体が離れ、海星は寂しそうな声で呟く。
「ごめん……もう、大丈夫、だから。カイのおかげで、だいぶ、落ち着いた」
「そ、そっか……けど、無理しなくていいよ。俺、アキの怖くなくなるまでそばにいるから」
暁那を安心させるように、海星はわざと明るく微笑む。
その笑顔を切なそうに見つめると、暁那は何も言わずに俯いた。
「そうだ。俺、今日ここに泊まるよ! 母さんに、連絡しとく」
「……え?」
「友達んちに泊まるって事にすれば大丈夫。そだ、タケシにも口裏合わせてもらうように」
「……海星」
話の途中に突然名前を呼ばれ、海星は驚いたように目を見開く。
戸惑う海星に、暁那は言葉を続けた。
「今日は……もう、帰って」
寂しげな目で真っ直ぐに見つめられ、海星は意味がわからないといった表情を浮かべる。
「ど、どうして? アキ、今自分がどんな顔してるかわかってるの?……こんな、ぼろぼろの状態で、一人になんて出来るわけ無いだろ!?」
だんだんと語気を強め、海星は怒鳴るように声を荒げた。
暁那は体を震わせ萎縮しながらも、必死に首を横に振る。
「……いい、もういいから……これ以上、カイに迷惑をかけたくない」
「はぁ!? 迷惑なんかじゃないって、何度言ったらわかるんだよ!」
徐々に怒りすらも露にする彼に、暁那は顔を伏せたまま一際大きな声をあげる。
「今はっ、海星と一緒にいたくない! もう、お願いだから、ひとりにしてよ……」
そう言いきると、急に静かな無音の時間が訪れる。
そしてしばらくすると、ガチャリとドアの開く音がした。
「……ごめん」
たった一言、海星の震えた声がした後、バタンと静かに扉は閉まる。
その瞬間、暁那は顔を上げ、ふらふらと立ち上がり玄関の冷たいドアに手を触れた。
「……ふ……うぅ」
(カイ……ごめんね……僕の、僕のせいで……)
暁那はドアに頭をくっつけるように、ただ一人すすり泣く声を上げていた。
自分のせいで宰斗と関わりを持ったこと。
明るく、元気で優しい、彼の心を怒りに濁らせてしまったこと。
その事が暁那の心には、重くのし掛かっていた。
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