19話 報われた足掻き
ある日の昼休み。海星はいつものようにパンを噛りながら勉強会の話を祐介たちに切り出した。
「えっ、勉強会!? マジでやってくれんの?」
弁当をかき込んでいた祐介は箸を止め、机の前に身を乗り出す。
「……うん、アキがいいよって。予定合うなら、今週とかにする?」
飛んでくる祐介の唾を冷静に避けながら海星は話を続ける。
「するする! じゃあ明日で!」
大喜びの祐介は何も考えずに即答する。
タケシは横でカップ麺を啜っていたが、それには思わず麺を吹き出した。
「ぶふっ……早いよ。暁那さんも予定とかあんじゃないの?」
「えぇー、けど早い方がいいじゃん! ねぇ海星、だめぇ?」
甘えるような声を出す祐介に、海星は心底残念そうな顔で身を引く。
「マジで気持ち悪い……って明日はバイトだわ。明後日なら、たぶん大丈夫だけど?」
「水曜ね、全然オッケー! あー、帰ったら早速教えてほしい所まとめなきゃ。タケシ、お前も遊んでばっかいないで、早く帰って準備しとけよ?」
祐介はタケシの希望も聞くことなく勝手に予定を決める。
それに加えて何故か下に見られたことで、タケシの笑顔はピクピクとひきつっていた。
「くっ……コイツにだけは言われたくないセリフNo1だ」
「タケシ落ち着け。気持ちはわかるけど、手は出すなよ?」
海星は静かに怒りに震えるタケシの背中をポンと叩く。
予想通り祐介は騒がしかったが、2人が暁那に興味を持ってくれることは海星にとっても嬉しいことだった。
普段は明るく賑やかなだけだが、2人であれば暁那の事も受け入れてくれる。そう確信するくらい、何だかんだ海星は友人たちに信頼を置いていた。
◇
「……って感じでさ。祐介がテンション上がっちゃって、帰る時までずっとうるさかったよ」
「ふふ、カイってば、チャットでも愚痴ってたよね」
その日の夕方。海星は暁那の部屋で二人並ぶようにキッチンに立っていた。
今日のメニューは、大盛りナポリタン(海星の分だけ)
どうやらバイト先のファミレスのメニューに影響を受けたらしい。
海星はフライパンいっぱいのナポリタンを炒めながら、学校での出来事を笑いを交えながら愚痴る。
「それにしても……すごい量だね。ちゃんと炒まるのかな」
暁那は海星の背中にぴったりとくっつき、その様子を興味津々に見つめていた。
「うーん、まだ結構重いけど、最初よりだいぶしんなりしてきた。アキの切った分厚い人参も、柔らかくなってきたよ?」
「えへへ、それはよかった」
意地悪そうな笑みを向けられ、暁那は恥ずかしそうに頬を掻いた。
確かに海星の言う通り、消ゴムみたいな太さだった人参はふにゃっと柔らかそうな見た目に変わってきている。
「あ、僕お皿出しとくね」
「うん。ありがと」
暁那は水切りに並べてある皿をタオルで拭く。
海星の料理を手伝うようになって、最初に比べるとキッチンでの動きもだいぶ慣れてきたようだ。
それに最近では、物理的な体の距離も自然と近くなってきていた。
「うわ、皿重たい。ちょっと盛り過ぎたかも」
「確かに、すごい量だね」
海星は山盛りになったナポリタンをテーブルに置き、2人はその量に圧倒された。
「で、でも、美味しそう。早く食べよ?」
「そ、そうだね。じゃ、いただきまーす」
手を合わせると、2人は口いっぱいにパスタを頬張っていく。
まるで子供のような姿を互いに見つめ、幸せそうに笑い合った。
「やっぱり、人参少し硬いね」
「はは、確かに。けど、コリコリして美味しいかも」
海星は楽しそうに笑いながら、明後日の話題を切り出す。
「そういえばさ、明後日の勉強会、ほんとにここでいいの? なんだか、アキに迷惑な気がするんだけど」
「ううん、大丈夫。ここが一番落ち着くから、気にしないで」
暁那は首を横に振り、穏やかな笑顔で微笑んだ。
「そっか、なら安心した。けど、ほんとに無理しないでね。しんどくなったら、遠慮せず言って。すぐに解散させるから」
そう言いつつも、海星は心配そうに暁那を見つめる。
「ありがとう。でも、そんなに心配しないで。海星のお友達と会えるの、緊張はするけど、すごく楽しみだからさ」
暁那の表情は明るく、以前よりも元気そうに見える。
前向きに変わっていく暁那の心が、海星は何よりも嬉しかった。
「アキ……ほんとに変わったね」
「えっ、そうかな」
「うん。すごく明るくなったよ? 何か、昔に戻ったみたい」
(出会った頃の……眩しくて優しい、綺麗な暁那……ううん、アキはずっとそのままだった。悲しくて、暗い夜にのまれてただけ)
「……カイ?」
「え? あぁゴメン、ちょっと考え事。ほら、早く食べちゃお」
「う、うん」
暁那の声に呼び戻され、海星は照れ隠しのようにナポリタンを頬張っていた。
◇
そして勉強会当日。
早朝、暁那はひきこもり生活が始まって以来のアラームで目を覚ました。
「はっ! 朝だ……」
暁那はワンコールで目を開くと、緊張した面持ちでベッドからむくりと起き上がる。
そしてベランダのカーテンを開け、まだ薄暗い外を真剣な眼差しで見つめた。
「大丈夫、カイと話すみたいに……いつも通り、いつも通りに」
窓に映る自分の顔に向かって、暁那はブツブツと呪文のように呟く。
「……よし!」
気合いを入れるように大きな声を発すると、暁那は洗面所に向かっていった。
――――
そして夕方。
海星たちはアパートへ着くなり騒がしく言い合いを始める。
「いい? 普段より大人しくしててよ? 特に祐介」
「何で俺だけ!? コイツだってうるせーじゃん!」
「馬鹿だな……俺はお前に付き合って騒いでやってるんだ。優しさだよ、優しさ」
「かー、上から目線ムカつくわ!」
口喧嘩が止まらなくなりそうなので、海星はあえて無視してアパートの階段を上っていく。
置いて行かれそうになった2人は、それに気付いて慌てて後を追った。
〈ピンポーン〉
チャイムを押すも中からの反応は無く、海星はもう一度ボタンを押す。
「……暁那さん、いねぇの?」
「いや、そんなはずは」
何度かチャイムを鳴らして待っていると、しばらくしてバタバタと急ぐ足音が近づいてくる。
そして、ようやくドアがゆっくりと開いた。
「……い、いらっしゃい」
海星は暁那の姿を見てひどく驚いた。
スウェットではない私服はいつもと同じだったが、伸びた髪は綺麗にまとめられ、前髪もピンで整えられている。
妙に小綺麗な雰囲気に、海星は顔を赤らめて動揺していた。
「暁那さん! お邪魔しまーす!」
「急に邪魔してすんません」
2人はそれぞれに挨拶をして中に入っていくが、海星はいまだ玄関先で立ち尽くしていた。
「カイ? どうしたの?」
顔を覗き込むと、海星は赤い顔のままワナワナと震え出す。
「どうって……アキこそどうしたんだよ!? 何でそんな可愛い格好してんの!」
海星は2人に聞こえないよう、小声で怒鳴った。
「な、何でそんな怒って……だって、カイが恥ずかしくないようにと思って」
突然訳もなく怒鳴られ、暁那はしょんぼりと肩を落とす。
少し罪悪感を感じ、海星は深いため息の後、ようやく靴を脱いで部屋へ入っていく。
「もういいよ。ほら、早く行こ」
「う、うん!」
暁那は安心したのか、くるりと振り返りぽてぽてと先に歩いていく。
その後ろ姿を見て、海星はまた衝撃を受けた。
(いやシュシュ!!)
髪をまとめようとした暁那は、手頃なものが無く、以前母親が忘れていったシュシュを使うことにした。
そんなことは知りもしない海星は、可愛らしいピンクの花柄のシュシュに悶えながら、心の中で激しくツッコミを入れるのだった。
「おーい海星、早く来いよー」
祐介の呼ぶ声に、海星はどっと疲れたような足取りでリビングに歩いていった。
◇
それから勉強会は始まり、暁那は緊張しながらも祐介たちの質問に答えていく。
辿たどしかった話し方も、遠慮の無い、よく言えばフレンドリーな2人の態度で、徐々に自然になっていた。
「暁那さんの説明、マジでわかりやすいっす」
「うん、馬場センより断然上手い」
休憩中、自分が持ちよった飲み物や菓子をつまみながら、祐介たち暁那の教え方に感動する。
「そんな……けど、そう言って貰えると嬉しい。カイもだけど、2人とも凄く飲み込みが早いから、僕も教えやすいよ」
「へへ、まぁ俺、やれば出来るヤツなんす」
「馬鹿、そう言うのは自分で言わないんだよ。アキ、大丈夫? 祐介の相手疲れない?」
「なんだよその言い方ー」
「もうカイ……祐介くん、僕なら気にしてないから」
油断するとすぐに言い争いが始まり、祐介と海星の口喧嘩はしばらく続く。
ペットボトルのジュースを飲みながら冷めた顔で観察していたタケシは、ふと足元に落ちていた小さなメモ帳を手にする。
(何だこれ……)
祐介の物だと思ったタケシは何気なくページをめくり、そこに記してある言葉に目を見開いた。
『引きこもり脱却のために』
《アパートの回りを歩けるようになること》
《朝にゴミ出しをする》
《近所の人に出会っても逃げない。会釈する》
《買い物に行けるようになる》
《毎日続ける。一人じゃなくても、海星にお願いして助けてもらう》
メモ帳にはたくさんの項目が記してあり、その内容から誰のものかは明白だった。
「タケシー、お前からも言ってくれよー。海星が俺をいじめるー」
祐介の声にビクッと体を揺らし、タケシはメモ帳を閉じて見えない場所にサッと置く。
思わず暁那の方を見ると、彼は困ったように笑いながらも、この時間を楽しんでいるようだった。
タケシはしばらくその様子を眺め、真面目な声で話を振る。
「……暁那さん、また勉強教えてもらっていいっすか?」
「え? うん! もちろんいいよ」
優しく笑う暁那を見て、タケシは安心したように微笑んでいた。
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