17話 家族の話
その日は特に冷え込んでいて、暖房をつけていても指先が痺れるような寒さだった。
「もう12月ね……あの子、風邪なんて引いてないかしら」
静かな夕食時。暁那の母、望月叶恵はふと箸を置いて呟いた。
何食わぬ顔で箸を口に運んでいた父は、その一言であからさまに険しい表情に変わる。
「やめろ。飯が不味くなる」
冷たく言い放ち食べ続ける姿を、叶恵はただ諦めたように見つめていた。
暁那が望月家を追い出されてから、家の中は静かだった。もちろん、暁那が引きこもりになってから家族の会話はほぼ無かったのだが。
それでも家にいてくれれば、その気配を感じることが出来る。
母として、ただそれだけでも十分安心だった。けれど今では、この広い家にもほとんど1人きり。
仕事に忙しい父はほとんど家におらず、最近では休みの日も外に出ることが多い。
それが仕事かそうでないのか、叶恵はとうに気付いていた。
もとより夫婦の時間はほぼ無い。夫にとって叶恵はただ家事をするだけの存在。叶恵からしても夫は家に居ないもの。
いつからかわからないが、気が付けばそんな関係になっていた。
「……あなたは、暁那のことが心配じゃないの?」
俯いたまま問いかける叶恵を、父は馬鹿にするように鼻で笑う。
「ふん、心配と言えば確かにそうだな……」
「え?」
「これ以上恥を晒さないか、それだけが心配だよ。いっそ、このまま引き込もってくれていた方がいい。最低限不自由の無い生活をさせてやってるんだ。あいつには感謝してほしいくらいさ」
つらつらと述べられる、同じ家族と思えないほど冷たい言葉。
血を分けた息子に対して、いったいどこからそんな冷酷な言葉がでてくるのか。呆れにも近い感情で、叶恵はそれをただ無表情で聞いていた。
「そう……あなたは、そう思っているのね」
(一瞬でも期待した自分が……本当に馬鹿だったわ)
再び静まり返った食卓にカチャカチャと食事の音が響く中、叶恵の頭にはある思いが芽生え始めた。
◇
それから別の日。
スーパーで買い物の帰り際、叶恵は突然明るい声に呼び止められる。
「望月さん!」
「……あ、相沢さん。お久しぶりね」
叶恵が振り返ると、そこには買い物袋を抱えた海星の母が笑顔で手を振っていた。
海星の母は小走りで駆け寄ると、叶恵の腕を引いて出入り口の端で立ち話を始める。
「この前は確か、10月頃でしたっけ? あーもう毎日早すぎ! もう12月とか信じらんない。仕事から帰ったらもうヘトヘトで、料理もいつも作り置きのカレーですよ。お陰で海星には文句ばっかり言われてぇ」
突如始まった脈絡のないマシンガントークは止まらず、叶恵は困ったように笑い必死で相槌を入れていた。
そんな様子が数分続いた頃、海星の母はようやく気がついたのかハッと口元に手をやる。
「ごめんなさい! つい自分の話ばかりして」
「ふふ、いいですよ。相沢さんの話面白いし、聞いてると元気が出そう」
「えっへへ、そんな言われると照れますよー。あそうだ、望月さん今日暇ですか?」
「え? えぇ、まぁ」
「よかったら、この後家でお茶しません? 知り合いにもらったお菓子があるんですけど、海星もあんま食べてくれないし、1人じゃ食べきれなくて」
突然の誘いに叶恵は目を丸くしたが、滅多に無いことなので快く受け入れる。
(こんな風に誰かと話が出来るなんて、ほんといつぶりかしらね……)
「あら嬉しい。それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかしら」
「本当!? じゃあ、2時くらいにします? あ、ちょっと散らかってますけど、その辺はお気になさらず。なんちゃって」
「えぇ、大丈夫。それじゃ、また後でね」
賑やかな海星の母と別れ、叶恵は駐車場へ向かった。
家に帰ると冷凍食品は少しだけ柔らかくなっていたが、そんな事すら可笑しく感じて、叶恵は一人思い出し笑いをしていた。
――――
約束の時間、相沢家のチャイムを押してしばらくすると、バタバタと元気な足音が聞こえてくる。
「あれ? あぁもう、また開かない……このっ!」
立て付けが悪いのか引戸はガタガタと鳴り、海星の母の声と共にスパンと勢いよく開いた。
「だ、大丈夫かしら?」
「あはは〜、いつものことで……あ、どうぞどうぞ!」
「ふふ、それじゃお邪魔します」
相沢家は築何十年の古めかしいもの。
リビングには部屋干しの服、椅子の上には大きなぬいぐるみが置かれていたりと、叶恵の家には無い温かさが感じられた。
「これ、可愛らしいですね」
叶恵は柔らかい笑みを浮かべてぬいぐるみを撫でる。
「昔、海星がよく連れ回してたんですよ。流石に高二なんでもう遊ばないですけど、捨てるのもなんだか可哀想で……あ、どうぞ座ってください」
「ありがとう」
叶恵は促された椅子に座り、キッチンに立つ海星の母を見つめた。
彼女は叶恵の一回りほど年下でまだ若い。
彼女の姿を見ていると、無意識に昔の自分と重ねてしまう。
「……相沢さんって、まだお若いわよね」
お茶とお菓子を持って戻った彼女に、叶恵はふと声をかける。
「え? そんな、私もう40ですよ。もう気持ちはすっかりオバサン化してます」
「まぁ、私に向かってそんなこと言っちゃうの?」
冗談めかして言うと、彼女はブッとお茶を吹き出す。
「ふふ、ごめんなさい。冗談よ」
「もー、人が悪いですよぉ」
小言を言いながらテーブルを拭く姿を見て、叶恵は珍しく自然な笑顔で笑っていた。
「けど、安心しました。望月さん、元気ないように見えたから」
「……そう、気にかけてくれてありがとう」
俯いたまま寂しそうに笑う叶恵を、海星の母は真剣の目で見つめる。
彼女はごくりと息を飲むと、マグカップを握る叶恵の手にそっと自分の手を合わせた。
「相沢さん?」
「あの、私でよければ何でもぶちまけてください。話をするだけでも、気持ちが楽になりますよ?」
明るく笑う彼女の言葉に、叶恵はフッと肩の力が抜ける。
そして気がつけば、自然と自分の悩みを口にしていた。
――――
「主人は、世間体が何より大事なんです。それが自分の子供でも、問題があればただ排除する。暁那を家から追い出したのもそのせい。ご近所に知られるのが嫌だったのよ。そして何より……あの子の性質を受け入れられなかったから」
「性質……ですか」
叶恵の言葉に引っ掛かり、海星の母はそれを繰り返した。
「ごめんなさい、それを私から言うことは出来ないの。けれど私は、それを認めて、受け入れることが親の努めだと思ってる。でも……」
叶恵は言葉に詰まり、しばらく沈黙が訪れる。
「……望月さん?」
「でも結局、私もあの人と同じ。暁那の経済的な支援まで切られたらと思うと、主人に逆らえなくて……辛い思いをするあの子のそばにいることも出来なかった……」
だんだんと涙声になる叶恵の言葉に、海星の母は何も言えずただ俯いていた。
沈黙を察して、叶恵は気持ちを切り替えるように涙を拭う。
「……ごめんなさい、暗い話をして」
「い、いえ。私なら全然」
「そうだ……海星くん。彼には本当に感謝してるの」
「え? あの子が何かしました?」
海星の母は心当たりの無い様子で、叶恵も不思議そうに首を傾げる。
「あら、海星くんから聞いてませんか? 彼、暁那の様子を見に行ってくれてるの。この前様子を見に行ったら、部屋も見違えるほど片付いてて。顔色もすごく良くなってたのよ」
「えぇ!? あの子ったら、大事なこと何も言わないから」
「ふふ、そうね。暁那も同じ。だけど海星くん、ほんと立派になったと思うわ」
叶恵はしみじみと話し、少し落ち着いた様子でお茶を啜った。
「そうですか? けど、それこそ暁那くんのお陰。いや、もう親子そろって望月さんにはお世話になりっぱなしですから」
「え、そうかしら?」
「そうですよ! よくお家にお邪魔して暁那くんに遊んでもらったり、学童のお迎えまでしてくれて。片親だけど、今もこうして働けてるのは、望月さんのお陰なんですから」
「そっか……そうなんだ」
昔を懐かしみ、叶恵は目を閉じて幼い頃の2人の様子を思い返す。
そして、どうしても彼女に聞いてみたかった話を切り出した。
「……海咲さん」
「えっ、ふぁい!」
初めて名前を呼ばれ、海咲はすっとんきょうな声を上げる。
「すごく無神経なことで申し訳ないのですが……その、離婚された時のこと、教えていただきたいんです」
「……叶恵さん」
叶恵は真っ直ぐに海咲を見つめる。
それがただの興味本意ではなく、確かな考えを持ってのことだと、海咲にはすぐに理解できた。
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