13話 サイコパスの裏側
『ごめん、今日は行けない。明日はバイトだけど、明後日は必ず行くから』
放課後、海星は駐輪場でチャットのメッセージを送ると、浮かない顔で深く息を吐いた。
暁那の部屋に行くのを断ったのは、この時が初めて。
宰斗の変貌と佐伯の泣き顔を目の当たりにしてから、海星の心はひどくざわめき落ち着かなかった。
こんな調子で暁那に会えば、優しい彼はきっと自分の事を気にかけるだろう。
宰斗のさっきの態度が、暁那にも関わりがあるとしたら、自分はこれからどうすればいいのか。何の力もないただの学生の自分に、何が出来るのか。
そんなどうしようもない思いを抱えて、海星は薄暗くなった校舎を後にした。
――――
「……あ、カイから」
ワイパーで床掃除していた暁那は、メッセージの通知音にベッドの上のスマホを手に取る。
しかしメッセージを見ると、暁那の表情はわかりやすく落ち込んでいく。
「どうして……今までこんな事なかったのに」
返事も打たず、暁那は寂しそうな声で呟いた。
何があったのか、もしかしたら自分が何か良くないことをしてしまったのか。そんなことが頭の中をぐるぐると巡る。
(ダメだな……すぐに良くない方に考える。きっと何か急な用事でもあったんだ)
不安を振り払うように深呼吸をし、暁那はようやく返事を送った。
そして、昨日よりも綺麗に片付いた部屋をぼんやり見渡すと、脇に挟んでいたワイパーを雑に放る。
ふらふらと窓辺に行きカーテンを開けると、道路には車がヘッドライトを照らして行き交っていた。
「……子供みたいに期待して。ほんと、どうしようもないや」
暁那は寂しそうな笑顔で呟くと、またカーテンを閉めて逃げ込むようにベッドに潜った。
◇
その日の夜。
海星は机に向かいながらも、全く集中出来ずにいた。
いくら参考書の文字を目で追っても、内容は頭に入っていかない。
それどころか、頭の片隅ではすぐに別の事を考えてしまっていた。
(きっとあれが、アイツの本性。話の内容はハッキリと聞こえなかったけど、最後の声は確かに聞こえた……)
――『黙ってるなら、一回遊んであげよっか?』
軽薄な表情と、悪意ある言葉。
それを思い出しただけで、海星の顔は怒りに歪んでいく。
「……来栖の野郎」
怒りが滲む低い声で呟くと、ふと何かが引っ掛かり視線を泳がせる。
「来栖……何だ、下の名前」
教育実習は確かに珍しいが、フルネームで覚えるほどの興味は無い。
自己紹介は一度だけで、わざわざ下の名前を呼ぶ生徒はいない。
実習初日、話半分に聞いていた海星は彼の名前を覚えていなかった。
不意に嫌な予感に刈られ、海星は急いでクラスメイトの祐介にメッセージを送った。
『なぁ、来栖先生の名前ってわかるか?』
ドクドクと胸騒ぎがする中、祈るように両手を組み、海星は祐介の返事を待つ。
すると数分後、返信はすぐに届いた。
『なんだよ急に……確か、宰斗だったか? ちょっと変わった名前だったから覚えてるよ』
〈ドンッ!〉
メッセージを目にした海星は、怒りに任せて机に拳を振り下ろした。
「クソッ! 何で……何で気付かなかったんだよっ」
海星がまだ小学生だったあの日。
暁那が通話中に口にした名前は、ずっと頭にこびりついていた。
初めて彼氏が出来たと、暁那は恥ずかしそうに囁き、当時の海星はその事実に嫉妬し、自分の感情に困惑した。
暁那と距離を置く切っ掛けになった、その出来事を忘れる筈がない。
そう思っていながら、自分の落ち度で今まで気付けなかった事が、無性に悔しくて仕方なかった。
海星は頭を抱えるように掻きむしり、震えるように長く息を吐く。
そして思い浮かんだのは、宰斗の名前を聞いた時の暁那の変化だった。
ただの日常会話のつもりで出した学校の話題。教育実習の先生が来たと、来栖の名字を口にしただけで、暁那は過呼吸のようになり電話を切った。
(何があったのかはわからない……けど、あの時のアキの動揺は異常だった。アキも、きっとアイツに酷いことを……もしかして、それが理由で引きこもって)
核心はわからずとも、これまでの出来事が海星の頭の中で繋がっていく。
けれどそれはより一層、彼の心を掻き乱していった。
◇
翌日、佐伯は学校を休んだ。
そんな気はしていたが、海星は落胆して暗い顔でため息を吐く。
(……昨日何があったのか聞きたかったけど、あの様子じゃ仕方ないか)
肘を付き窓の外を眺めていると、急に女子生徒が騒ぎ始める。
「おはようございます、来栖先生!」
「はぁー、今日もイケメン過ぎる」
「あーあ、でも明日でお別れかー」
宰斗の実習も残り1日となり、生徒たちはいつもよりも興奮気味にそれぞれの思いを口にする。
そんな中、海星だけは彼に鋭い視線を送っていた。
授業開始のチャイムが鳴り、宰斗はすっかり馴れた様子で教壇に立つ。
そして笑顔で教室内を見渡しすと、最後に海星の姿を見る。
睨み付ける彼に微笑みかけ、宰斗は何事もないように授業を始め出した。
「では、2限目を始めます。まず昨日の小テストの結果を返していきますね。名前を呼ばれたら、取りに来てください……平戸さん」
小テストは席の順に返却され、受け取った生徒は喜びの声を上げたり落ち込んだりと、様々な反応で席に戻っていく。
「相沢さん」
自分の番になり、海星は返事をせずにゆっくりと宰斗の前に歩みを進める。
「残念でしたね。後少しで満点だったのに」
受け取ったテストをくしゃりと握り、海星は宰斗にだけ聞こえるように呟く。
「……その気味の悪い笑顔、二度と出来ねぇようにしてやるから」
その挑発的な言葉に、宰斗は細めていた目をうっすらと開け、席に戻る海星に冷たい視線を送る。
しかし、すぐに何食わぬ顔で名前を呼び始めるのだった。
「……では次、佐伯さん……あぁ、今日はお休みでしたね。ではひとつ飛ばして、朝比さん」
「はい」
薄い笑みを浮かべ白々しく言ってのける宰斗の事を、海星は穴が空きそうなほど睨み続ける。
(海星? どうしたんだろ、あんなイラついて……)
名前を呼ばれ、海星の席を通りすぎながら、祐介はいつもとは違う彼の様子に違和感を感じていた。
◇
「……え? 来栖くんが佐伯さんに? 相沢くん、何かの間違いじゃないの?」
「確かに聞いたんです! アイツは優秀な先生でも何でもない、ただのサイコパスなんですよ!」
昼休み、海星は担任の馬場を職員室の廊下に呼び出し、昨日の出来事を伝えた。
告げ口するようで躊躇していた海星だが、宰斗を制裁する方法はこれくらいしか思い付かなかった。
「相沢くん落ち着いて。他の先生にも聞こえちゃうよ?」
「す、すんません」
声をあらげる海星をなだめ、馬場は困ったように宙を仰ぐ。
宰斗は優秀で生徒にも優しく、馬場から見れば一切の問題はないの実習生だ。
一方海星は、明るい性格だが普段はそこまで目立たない大人しい生徒で、こんな風に問題を訴えるような性格ではない。
特に、理由もなく他人を貶める事は絶対に言わない。
それを理解していたが故に、馬場は彼の訴えを無碍に出来なかった。
「はぁ……わかった。来栖くんが休憩から戻ったら、少し聞いてみるよ。けど、変な期待はしないでね。私から見れば、来栖くんは優秀な実習生に変わりないんだから」
肩を落とす海星を見て、馬場は長いため息の後に面倒臭そうに話した。
「……はい」
小さく返事をし、暗い表情で去っていく海星の背中を、馬場は困った表情で見送るのだった。
◇
この日、海星はファミレスのバイト中も上の空で、そのせいか何度かオーダーミスも犯していた。
店長に注意されフロアの隅で落ち込んでいた時、ドアの開く音と馴染みのある話し声が聞こえる。
「うぃーっす」
「お疲れぇ」
祐介とタケシはいつもの調子で気楽に声をかける。
2人の顔を見て急に気が抜けてしまった海星は、呆れたように笑い窓側の席に案内する。
「お前らかよ……こちらにどーぞ」
「へーい」
「海星、いい席頼むわ」
「いい席とかねーよ。端っこで大人しくしてろ」
「いやーん、ひどーい!」
「……祐介、キモいぞ?」
やいやいと騒ぐ2人の案内を済ませ戻ろうとすると、タケシが引き留めるように声をかける。
「海星! 終わったら来いよー」
「ふぅ、わかった」
ニヤリと笑いながら握った拳を突き出してくるタケシに、海星は去り際に軽く拳を合わせた。
――――
その後、夕食時のラッシュが終わり店内の客数も落ち着いてくる。
残り小一時間だった勤務時間も終わり、海星は制服に着替えてタケシたちの席に向かった。
「何食ってんの?」
海星はざっとテーブルを見ると、まだ気付いていない祐介の隣に遠慮なく座る。
「おう海星、やっと終わったか! コーンピザ、食う?」
祐介は皿に2切れほど残ったピザを嬉しそうに勧める。
「おい、冷えたヤツやんなって。海星、何か注文する?」
「うーん、いいや。今日母さんいるし家で食う。そのピザとドリンクでいい」
冷えきったピザを気にすることなく、海星は一切れ豪快に口に入れた。
「ふふ、じゃあ飲みもん奢ってやる」
「サンキュー」
カフェオレを啜り一息つく海星に、祐介とタケシは顔を見合わせてから話しかける。
「なぁ、お前今日どしたん?」
「あ? 何が?」
「や、何がって、今日なんかずっとイラついてたじゃん。今は、いつも通りだけどさ……何か、嫌な事でもあったん?」
適当に誤魔化すつもりだったが、2人の心配そうな顔を見て、海星は思い悩んだように俯く。
「……別に、大した事はないよ」
海星は2人の目を見ずにそう一言だけ答えた。
宰斗の事を言えば、必然的に佐伯の事も話してしまう事になる。
馬場にはそれとなく状況を話したが、2人にまで話すとなると、今の彼女の気持ちを考えると気が引けた。
言葉を濁す海星に、2人はそれ以上聞くことはしなかった。
ただ祐介だけは、昨日送られた海星のメッセージ事をふと思い返していた。
◇
耳に着けたイヤホンからは、僅かに重低音のヒップホップが漏れ出る。
宰斗は殺風景な部屋の中、鋭い視線でパソコンの画面を見つめていた。
「相沢、海星……舐めた真似しやがって」
低い声で呟き、宰斗はイラついたように指先で机を叩く。
そして、しばらくリズムを刻んでいた指先は突然ピタリと止まった。
宰斗は一瞬真顔になると、目を細めて楽しそうに笑い出す。
「ふふ、そうか……あのレポート」
そう言うと、宰斗は何か面白い遊びでも思い付いたように、くるくると椅子を回して笑うのだった。
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