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〈前日譚〉邪恋の手招き①

 5年前。高校2年の春。

 その男との出会いは突然訪れた。


 2クラス合同の授業で、偶然隣の席だった。

 先に座っていた彼に、僕はいつもの調子で挨拶をした。

 彼は一瞬冷たい表情を向けたけど、すぐに笑顔を返してくれた。

 でも、その笑顔の裏に何かあるような気がして、初対面にも関わらず僕は彼に声をかけた。


「……何か、辛いことあった?」


 ――今思えば、あの時から僕の人生は狂い始めていたのかもしれない。

 

 ◇


 彼は来栖宰斗。成績は常に上位で、入学早々に生徒会にも入り、人当たりも良く教師や生徒からの人望も厚い。

 クラスの違った僕でも知ってるくらい、彼は有名な人だった。


 あの合同授業の時、そんな彼から友達になろうと連絡先を交換することになるなんて、最初は信じられなかった。

 授業が終わってからもその事が頭から離れず、浮かれていた僕は早速その日の晩にメッセージを送った。


『今日は、来栖くんと話が出来て嬉しかった。これから仲良くしようね』


 ドキドキしながら送信した後、ふと冷静になって文面を読み返す。


「これ、友達にしてはちょっと違うか? うぅ……変に思われたらどうしよう」

 あまり長文にしたら引かれるかと思って短めにしたけれど、同性の友達に送るにしては少し違和感も感じる。

 取り消そうかどうか悩んでいたら、すぐに既読のマークが付いてしまった。

 

「あ、見られちゃった……」

 見てもらえて嬉しいはずなのに、僕はがっくりと肩を落とした。

 けれど今度は、どんな返事が返ってくるのか、その不安と期待で胸がいっぱいになる。


 気を紛らわすために本をめくっても、ついチラチラとスマホに目が行く。

 すると、5分も経たないうちにポンと通知音は鳴り、僕は軽く深呼吸をしてから恐る恐るスマホを手に取った。


『こっちこそ、よろしく。暁那くんのこと、前からちょっと気になってたから、友達になってくれて俺も嬉しいよ』


「……来栖くん、僕のこと気になってたって……それに名前、呼んでくれた」


 何気なく添えられた言葉を、頭は無意識に都合の良いように解釈しようとする。

 僕は両手で握ったスマホのメッセージ画面をぼんやり見つめ、馬鹿みたいに頬を熱くしていた。

 そして、すっかり返事を返すことも忘れていた時、来栖くんから続けてメッセージが届く。


『良かったら明日のお昼、生徒会室に来ない? 俺、お昼休みはだいたいそこにいるから』


 その誘いに僕の胸は跳ね上がる。突然のことに緊張したけれど、彼と一緒に過ごしたい気持ちの方が大きかった。

 僕は迷うことなく急いで返事を送る。

 

『行きたいけど、いいの? 関係ない僕が行って、生徒会の人に迷惑じゃないかな?』

『大丈夫だよ、昼休みまで生徒会室に入り浸るのなんて俺くらいだから。じゃあ明日、お昼休みに』

『うん! ありがとう来栖くん』


 チャットのやり取りを終え、僕は騒がしく逸る気持ちを紛らわすように参考書をめくる。

 しかし当然集中できるはずもなく、数分も経たないうちに本を閉じてスマホを手にする。


 なにも友人がいないわけじゃない。少ないけれど、休憩時間を過ごす仲の良いクラスメイトはいる。

 けれど来栖くんのことを思うと、何故かざわざわと皮膚が泡立つような、落ち着かない感覚になる。 

 その感情が何なのか、僕にはまだわからなかった。 


 ◇


 翌日、4限目が終わってすぐに、僕はお弁当を持って生徒会室へ向かう。

 いつも一緒にお昼を食べていた友人たちには、図書室で調べものがしたいからと嘘をついた。

 自分でもおかしい嘘だと思ったけれど、友人たちは案の定不思議そうな顔で僕を見ていた。

 でもそんなことよりも、僕は来栖くんと過ごすことに浮かれていた。


 いつの間にか小走りになっていて、生徒会室に着く頃には少し息が上がった。

 深呼吸してから扉に手をかけるも、どうやらまだ鍵がかかっているようだ。


「あれ? ちょっと早かったのかな」


 扉の前でうなだれていると、トントンと後ろから肩を叩かれる。

 ビックリして振り向くと、笑顔の来栖くんが後ろに立っていた。


「ごめん、待たせたかな?」


 そう言って鍵をチラつかせるように見せ、彼はにっこりと微笑み首を傾げる。

 その瞬間、喜びと安堵の感情が溢れて、僕は彼のそばへ駆け寄った。


「来栖くん! ううん、今来たところなんだ!」

「そう、良かった。鍵が掛かってること伝え忘れちゃって、ごめんね……さ、遠慮せずどうぞ」


 話しながら鍵を回し、来栖くんは生徒会室の扉を開けて僕を招き入れてくれる。

「あ、お邪魔します」

 少し緊張しながら入ると、壁にはたくさんの資料が置かれた本棚が並び、閉め切られた部屋の中には古紙の匂いが漂っていた。

 物珍しげに見渡していると、来栖くんはクスクスと笑いながら換気の為か窓を開ける。


「ふふ、何か気になるものでもあった?」

「えっ? いや、生徒会室に入るのなんて初めてだから……はは、可笑しいよね、キョロキョロして」

 笑って誤魔化してみたけれど、恥ずかしさから顔がじわじわと熱くなる。

 すると不意に、ひんやりとした手が頬に当たった。


「ひゃっ」


 驚いて目を見開くと、来栖くんの顔がすぐ目の前にあった。

 綺麗な鼻筋と、少し目にかかった薄茶色の前髪。目を細めて僕の顔を覗く彼の表情に、心臓はうるさいほどに鼓動を刻む。


「かわいい……顔、真っ赤だよ?」


 頬に当てた手を滑らせ、耳たぶを撫でながら、来栖くんは揶揄うように耳元で囁いた。

  

「か、かわいいって……僕、男だよ」

 怖いくらいの色気に耐えられず、僕はさっと身を引いて目を逸らした。

「あっはは、そうだよね。ごめん、からかい過ぎたよ」

 来栖くんは声を上げて笑いながら、そばにあった椅子に腰を下ろす。

 

「ほら暁那くん、こっち」

 彼はそう言って隣の椅子を引き、ポンポンと座面を叩く。

 僕はバクバクと音をたてる胸を抑えて、促されるままそこに腰をかけた。


「お昼ご飯持ってきたんでしょ? とりあえず食べよっか」

「う、うん」


 膝の上に置いたお弁当の袋を持つ手を握りしめ、ずっと見れなかった彼の横顔をチラリと盗み見る。

 来栖くんは何食わぬ顔でコンビニの袋を広げ、ガサガサとパンや飲み物を取り出していた。

 それから、僕たちは一言二言何気ない会話を交わしながらお昼ご飯を食べた。

 時々聞こえる生徒たちの騒ぎ声や、吹き込む春の風が心地よくて、僕の心もだんだんと落ち着きを取り戻していった。


「ねぇ、来栖くんは、どうして生徒会に入ったの?」

 何気なく聞くと、ペットボトルの水を飲みながら、来栖くんはチラリと目だけを向ける。

「……うーん、難しいことは考えてないよ。何となく、学校行事とか中心になって楽しめるかなって。時期によっては忙しいけど、結構楽しいよ?」

 少し上を見上げて物思いに耽ってから、彼はにっこり笑ってそう言った。


「そっか……来栖くんて、本当に凄いね。僕なんか、学校の授業だけで精一杯なのに」

 この学校のレベルは高い方だし、授業についていくのにも、それなりの勉強は必要だ。

 それなのに彼は、上位の成績を維持しながら生徒会役員の仕事もこなしているなんて、その努力には本当に尊敬しかない。


「暁那くんだって、ずっと10位以内をキープしてるじゃない。それも十分凄いことだよ」

「そんな……来栖くんに比べたら」

「それ、やめない?」

「えっ」

 話の途中、来栖くんは突然遮るように真剣な表情を向ける。


「その呼び方。名前で呼んでよ、暁那くん……忘れたわけじゃないでしょ? 俺の名前」

「う、うん……えっと」

 照れ臭くて目がキョロキョロと泳いだ。すると彼は「ん?」と囁き、面白そうに僕の顔を覗き込む。


「さ、宰斗……くん」

「なあに? 暁那」


 飛び出しそうな心臓を抑えながら口にすると、宰斗は気だるげな微笑みで僕を見つめた。

 そして、お腹に響くような甘い声で呼び捨てにされ、言い様のない感情に僕の胸は支配される。


「宰斗くんが……よ、呼んでって言うから」

「ふふ、また顔が真っ赤……あーあ、本当は呼び捨てがいいんだけどなー」

 いたずらな笑みを浮かべながら、宰斗は不満そうに椅子の上でふんぞり返っていた。


「それはまだ、恥ずかしいから」

 俯いて首筋の汗を拭い、目を合わせずに話をする。

 こんなこと、クラスの友人たちにはされたことがない。

 これが、宰斗にとっては普通のことなの?


 少なくとも僕は、この日宰斗と過ごしたことで、自分の想いが友達へのそれじゃないことを自覚した。

 それは甘く息苦しい、初めての感情だった。



 

数ある中から読んで頂いて

本当にありがとうございますᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ

リアクションや、一言でも感想を頂けると大喜びします(^◇^)


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