8話
シリルとの会話の後、俺は気が急いて仕方がなかった。
空の紋章――
この意味を掴むには、まだ材料が足りない。
だったらまずは“数をこなす”。それが手っ取り早いはずだ。
「なあ、リアン。聞きたいことがある」
「何? やっと礼儀ってやつを覚えた?」
からかうような口調はいつもの調子だけど、その裏にある真剣な気配は見逃さない。
「平原に出る魔物、どのくらいの種類がいる?」
俺が問うと、リアンは少し考えてから指を折りながら答えた。
「そうだな……日中に出るやつを全部合わせて、ざっと二十種くらいか。夜になるとまた違うけど、昼間限定ならそれくらい」
二十種――悪くない数だ。俺の図鑑も十数種に届きそうなところまで来ている。
「でも、ひとつ忠告。平原には『主』がいる。ほとんど姿を見せないけど……下手に近づくと、一撃でやられるよ」
“主”という言葉に、喉の奥がごくりと鳴る。
「どんなやつなんだ?」
「黒毛のバジリスク。目を合わせたら終わりって噂。実際に戻ってこなかった魔族もいる」
……なるほど。ボス枠ってわけか。
だとすれば、今の俺じゃどう考えても無理だな。避けて通るのが正解だ。
「了解。なるべく会わないように気をつける」
「本当に? そういうやつに限ってすぐ調子に乗って突っ込むんだけど」
リアンが半眼で睨んでくる。図星すぎて言い返せなかった。
* * *
それからの数日間、俺は平原に通い詰めた。
目的は、モンスター図鑑のコンプリートと、自身のレベルアップ。
スキルはなかなか増えないけど、それでも――少しずつ、確実に“変化”は起きていた。
かつてはスライムを一体倒すのにも時間をかけていた。
それが今では、五体、六体と群れて迫ってくる奴ら相手に、足を止めずに応戦できるようになっている。
一体のスライムを斬り伏せながら、後方にいる別の個体に意識を向ける。
間髪入れず飛び出してきたワームの突進――地面を削るあの質量の奔流を、足音と地鳴りだけで予測し、横に跳ねて回避。
着地と同時に体をひねり、反撃の一太刀を叩き込む。
視界の端、ねっとりとうごめくローパーが鞭のような触手を伸ばしてくる。
風を切る音に反応し、姿勢を低くしてすり抜けるように間合いを詰め、逆手に構えた短剣で節を断ち切った。
頭上から漂う微かな光――
ウィスプの光弾。かすかな収束音と空気の振動が、反射的に身体を動かす合図になる。
剣の腹でそれを受け流すと、パチンと小さな火花が弾けた。
(……見えている。動きも、音も、気配も)
最初はただ、がむしゃらに振り回していただけだった。
今は違う。
一つひとつの敵の動きに、しっかりと“対処”ができている。
地に足をつけ、剣を構え、呼吸を整えながら次の群れを見据える。
(……戦えている)
それが、誇りでも傲りでもなく――
確かな“実感”として、自分の中に積もっていた。
それでも――
(……思ったより、レベルって上がらないんだな)
ゲームみたいに1日でレベル10!とかそういう爆速成長はない。
何十体も倒して、ようやく1レベル上がるペース。
そしてついに、数日が経過したある日の夜。
俺は一人、焚き火のそばでステータスを確認していた。
【現在のレベル:8】
【経験値:38/180】
――やっと、8。
思っていたより、ずっと遅いペースだ。
けれど、確実に“積み上がっている”実感はある。
■現在のステータス
STR(筋力):18
VIT(耐久):17
AGI(敏捷):14
DEX(器用):13
INT(魔力):9
■図鑑ボーナス(総計:20pt)
STR:6
VIT:5
AGI:3
DEX:2
INT:4
※モンスターの特性によって吸収される傾向がある。
筋力系の魔物からはSTRが、殻持ちや耐久型からはVITが得やすい。
ウィスプなど魔法を使う魔物からはINTに還元される。
(スキルは……《エアスラッシュ》のままか)
これも不思議だ。モンスターの中には、明らかに特殊な攻撃をしてくるやつもいたのに、スキルとして吸収されるわけじゃない。
(条件があるのか? それとも、スキル持ちの個体自体がごく少数なのか……)
そんな風に考えていると、夜の平原がざわついた気がした。
風の匂いが変わる。草が、震える。
(……これは)
遠く、黒い影が見えた。
低く、這うように大地を滑る……巨大な四つ足。
まさか。
(あれが、“主”……?)
俺は、焚き火を消して息を潜めた。
今はまだ、戦うべき時じゃない――。
黒い影が平原を這うように去っていくのを、俺は草陰から見送った。
あれが“主”――バジリスク。
圧倒的な存在感。見えただけで、背筋が凍るような気配だった。
(今は、無理だ……)
そう思い知らされた。
俺はまだ、“強くなった”なんて言える立場じゃない。
* * *
次の日の訓練終わり、木剣を納めた俺は、その場を立ち去ろうとするリアンに声をかけた。
「なあ、リアン」
呼び止められた彼女は、振り返りざまに木剣を肩へ軽く担ぎ、わずかに片眉を上げる。
「今度は何?」
淡白な反応。でも、その言葉の奥に、どこか“予想していた”ような気配が混じっていた。
「……平原の魔物は、もうほとんど倒した。バジリスク以外は、一通り片がついた」
俺は額の汗を袖でぬぐい、息を整えながら続けた。
「もう、あいつらじゃ手応えがない。
同じことを繰り返してても、何も変わらない気がする。
そろそろ別の場所で――もっと強いやつと戦ってみたい」
リアンは数秒、何も言わずに俺を見つめた。
その視線は、からかいでも冷笑でもなく、まっすぐな観察のようだった。
そして、ふっと息を吐くと、口元をほんのわずかに持ち上げる。
「言うと思った。……いや、むしろ“遅い”くらいね」
彼女は手袋をつけたままの指で、ぱちんと軽く指を鳴らした。
「今日から、“訓練用ダンジョン”が解放されるの。
城の地下にある、兵士用の訓練施設。モンスターも実際に出るし、構造も実戦に近い。
深くはないけど……一歩踏み出すには、ちょうどいい場所よ」
「……今日から?」
思わず聞き返す。
あまりにタイミングが良すぎて、冗談か何かかと思った。
けれど、リアンは肩をすくめるだけだった。
「偶然じゃないわ。ここでの訓練は“成長の節目”を見て動いてる。
あんたみたいに、平原で頭打ちになりそうなやつが出てくる頃に合わせて、開放されるのよ」
なるほど。まるで俺の今の状態を見透かしていたかのようだ。
「でも、今回は少し変則。初回訓練は“特別編成”でやるの。
複数人でのチーム編成。パーティー単位で申請。つまり――一人じゃ入れない」
「そうか……」
俺は一歩、足元を見る。
小さく、拳を握りしめた。
(確かに、もう限界だった。
あのまま平原にいたって、バジリスクには届かない。
このまま立ち止まるくらいなら――)
視線を上げた俺は、静かに言った。
「……わかった。参加させてくれ」
その声は、自分でも驚くほど自然で、迷いがなかった。
リアンは目を細めて笑った。
いつもより、ほんの少しだけ、柔らかい表情。
「いい返事。じゃあ、すぐ集めるわね」
* * *
城の中庭、訓練場の中心。
リアンの呼びかけに応じて、十数人の若者たちがぞろぞろと集まってきた。
木剣を背負った剣士見習い、詠唱の練習をしていた魔法使い志望、
重装鎧の訓練生や、身軽な格闘系の子まで、年齢もバラバラだ。
みんな、この訓練施設である程度の期間を過ごしている“同世代”。
その中に混じって、俺も一歩後ろに立つ。
(こうやって人混みに混ざるのも……久しぶりだな)
リアンは訓練生たちをぐるりと見渡し、やや声を張って言った。
「いい? 今日伝えたいのは一つ。
“訓練用ダンジョン”が開放されるわ。あんたたち、実戦経験が足りないからね」
その瞬間、空気がざわついた。
「マジで!」「ついに来たか……」「おれ、ずっと待ってた!」
興奮や緊張の声が、あちこちから上がる。
リアンは満足そうにうなずいた後、さらに続けた。
「今回は、実戦形式での訓練。複数人でのパーティーで挑んでもらう。
そして、チーム編成は――こちらで決めるから、覚悟しておいて」
「ええ~」と一部がどよめく中、
俺の名前が呼ばれた。
「アキラ、リーヴ、ダイン。――この三人がチーム一班」
その瞬間、俺は耳を疑った。
(……え?)
すぐ前から、何かの反応を感じた。
「……マジかよ。こいつと?」
低い声が、喉の奥で絞られるように漏れた。
ダイン――城で訓練を受けていた時、何度も小競り合いをした、あの戦士。
そして隣では、面倒くさそうに溜息をついた声。
「最悪。ま、どうせそうなるとは思ってたけど」
リーヴ――冷静で皮肉屋な魔法使い。訓練中、俺とは特に意見が合わなかったやつ。
(よりによって……こいつらか)
思わず、俺はリアンの方を見た。
リアンは目が合うと、にやりと楽しそうに笑った。
「偶然よ。偶然。……でも、面白そうでしょ?」
まるで“お前らの反応を楽しんでた”とでも言いたげな顔だった。
(……くそ、乗せられたな)
でも、もう決まったことだ。
なら――やるしかない。