12話
陽が落ち、平原を茜色に染め上げていた。
長く伸びた影を引きながら、俺たちは無言で帰路についていた。
平原の風は肌寒く、討伐の熱が冷めた身体には少し堪える。
隣を歩くリアンの長い髪が、風に流されていた。
「……この時間なら、ちょうど城の訓練組とすれ違うわね」
ぽつりと呟いたリアンの表情は、いつもより少しだけ硬い。
バジリスクを倒した高揚感とは違う、静かな緊張が彼女を包んでいた。
「なあリアン。さっきから黙ってるけど、何か気になることでも?」
「別に。ただ……今日のこと、報告が少し面倒になると思って」
「面倒?」
「バジリスクは、確かに平原の主だけど……所詮は訓練区域のボスよ。私一人でも、時間はかかれど倒せる相手。でも……」
言葉を切り、リアンは俺を真っ直ぐに見据えた。
「『あんたが』討伐に加わっていた、という事実が話をややこしくする」
その視線に、冗談の色はない。
「空の紋章を持つ人間の子供が、単独のボスモンスター撃破に貢献した。これはちょっとした事件よ。あんたの実力は評価される。でも、それ以上に……」
リアンは、はっきりと言った。
「“観察対象”になる」
その言葉に、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
ゲームの中でトッププレイヤーとして注目されるのとは違う。これは、未知の力を持つ異物を見る目だ。
「誰もが“おかしい”と思うわ。『空の紋章のくせに、なぜ?』ってね」
リアンの言う通りだ。
俺はもう、普通の成長曲線から大きく逸脱している。
図鑑、ステータス、パッシブスキル。
俺だけの秘密であり、俺だけの力。それを彼女は懸念している。
「心配、してくれてるのか」
俺がそう尋ねると、リアンはふいと顔をそむけた。
「勘違いしないで。あんたが面倒事を起こすと、監督役の私にまで火の粉が飛んでくるってだけ」
「だとしても、感謝する。でも、もう止まれないんだ」
俺の真っ直ぐな言葉に、リアンは諦めたように小さく息を吐き、そしてふっと笑った。
「……わかってるわよ。そんな殊勝な奴だったら、あんな無茶な戦い方、するわけないでしょ」
いつもより少し、柔らかい表情だった。
「せいぜい堂々としてなさい。特に、シリル様の前では下手な言い訳は通じないわよ」
――シリル。
俺の紋章の特異性に、最初に気づいた巫女。彼女には、いずれ話すべき時が来るのかもしれない。
この力のことも、俺が目指す場所のことも。
(でも、何を、いつ話すか……それは慎重に見極めないと)
俺は、手の甲の紋章に一瞬だけ視線を落とす。
空っぽなのではない。あらゆる力を受け入れ、己の血肉とするための、無限の“器”。それが、この紋章の、俺の力の正体なんだ。
「さ、行くわよ。感傷に浸ってる暇はないから」
「ああ、行こう」
城門をくぐった瞬間、衛兵たちの視線が突き刺さるのを感じた。驚き、困惑、そして僅かな畏怖。リアンの言った通り、小さな波紋は、もう確かに広がり始めていた。
正門をくぐると、警備の魔族兵が目を見開く。
「バジリスクの遠吠えが聞こえたが……まさかお前たちが?」
リアンは軽く頷くだけで、言葉を返さない。
兵士は驚きと尊敬の入り混じった視線を俺に向けた。
(……なんだか、少しだけ誇らしい)
だが、胸の奥ではまだ現実感が薄かった。
本当に、俺があの化け物を倒したんだろうか。
そんな思考を抱えたまま、俺はリアンに連れられて城の奥へ進む。
行き着いた先は、巫女長シリルの研究室だった。
部屋の前に立つと、リアンが軽く扉を叩いた。
「巫女様、戻りました」
「入りなさい」
澄んだ声が中から響く。
扉を開けると、月明かりが差し込む広間に、シリルが佇んでいた。
彼女は長いの髪を背に流し、夜空のような蒼の衣を纏っている。
その瞳がこちらを向いた瞬間、胸の奥に不思議な安らぎと緊張が同時に広がった。
「……おかえりなさい、リアン、アキラ」
その声音は柔らかいが、巫女としての威厳を感じさせる。
俺は自然と背筋を伸ばした。
「バジリスクの件、聞かせてもらえる?」
リアンが一歩進み、簡潔に報告する。
討伐までの流れ、危険はあったが成功したこと。
話を聞いたシリルの視線が、俺に向けられる。
「……あなたが、バジリスクを?」
「……リアンがいてくれたから、できただけです」
正直にそう答えると、シリルはふっと微笑んだ。
だがその目には、驚きと、わずかな希望の色が宿っていた。
「アキラ、手を見せて」
促されるまま、手の甲を差し出す。
空の紋章が淡く光を帯び、彼女の指先から静かな魔力が流れ込む。
「……やはり、ただの“空白”ではない。力を受け取り、未来へと繋げる器……そう感じるわ」
小さく呟くその声は、どこか祈りにも似ていた。
「でも、無茶をしたでしょう?」
「……はい」
「強さは命あってこそ。あなたが倒れれば、今日の努力も、明日の未来も消えてしまう。仲間を心配させる戦い方は、もうしないで」
その眼差しは厳しいが、同時に優しかった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……俺、もっと強くなります。絶対に」
迷いなくそう告げると、シリルはゆっくりと頷いた。
「ええ、きっとなれる。……そして、その力は、誰かの命を救うために使いなさい」
言葉は静かだが、確かな願いが込められていた。
この瞬間、俺は改めて決意する。
絶対に強くなる。
この人が信じた“未来”を裏切らないために。
「今日はよく頑張りました。報告は私から皆に伝えます。今夜は休みなさい、勇気ある子」
シリルの微笑みは、戦いの疲れをそっと癒すようだった。
その夜、部屋を後にする頃には、胸の奥に新しい灯がともっていた。