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プロローグ

 その日、俺はすべてを集め終えた。


 画面に表示されたのは、世界でただ一人しか到達していない称号《深淵の探究者》。

 隠された条件を見抜き、膨大な時間と労力を費やして手に入れた唯一の称号。

 あらゆる情報を拾い、組み合わせ、試行錯誤の末に辿り着いた、誰も知らない結末。


 ログに刻まれたその文字を見届けて、俺は小さく息を吐いた。


「やっと、終わったな……」


 時計の針は夜明けをとうに過ぎていた。カーテンの隙間から、ぼんやりと朝日が差し込んでいる。

 カップ麺の空き容器がいくつも散乱した机の上。何日も開けていない窓。鳴らないスマホ。


 それでも俺は、満足していた。


 このゲームで、俺は“生きて”いた。

 他人に誇れるような生き方じゃなかったかもしれない。

 けれど、何もかも集め尽くしたこの瞬間だけは、誰よりも俺だけのものだ。


 そう、思ったそのときだった。


 心臓に激しい痛み。

 身体が、動かない。


 ゆっくりと崩れるように、俺は椅子から滑り落ちた。

 心臓が冷たい手で掴まれたように軋む。


 救急車……? 無理だ、スマホまで手が届かない。

 ああ、そうか。こんな生活、いつか限界が来るとは思っていた。


 意識が遠のいていく。

 けれど不思議と、恐怖はなかった。


(最後の最後で、やり遂げたから……まぁ、いいか……)


 薄れる視界の奥で、ゲームの画面がまだ光っている。

 その中央で、ドロップしたはずのアイテムが――微かに、輝いた気がした。


 そして苦しみを感じるあまりに目を閉じた瞬間、音が消えた。

 その静寂の中で、俺はふと、自分が「落ちていく」ような感覚に囚われた。


 ――そして、目を覚ました。


 眩しさに目を細めながら、ぼんやりと天井を見上げた。

 古びた木の梁が走る天井。見慣れない木造の室内。


 ……病院でも、ネットカフェでもない。


「……どこだ、ここ……?」


 そう呟いた自分の声が、信じられないほど幼くて高かった。

 慌てて体を起こそうとする。だが、手足は小さく、体は妙に軽い。

 視界も低い。――まるで、子供の体だ。


 俺が困惑していると、ベッドの傍で、ギィ……と音を立てて扉が開いた。


 その音に、反射的に体がぴくりと反応する。

 この世界で目覚めてから、まだ数分。すべてが異質で、現実感がない。


「アキラ、起きてるの?」


 やわらかく、包み込むような声が響いた。

 女性だった。落ち着いた声で、どこか懐かしさを感じさせる響きだった。


 振り向くと、そこには――優しそうな顔立ちの女性が立っていた。

 肩までの髪を三つ編みにまとめた、素朴で、温かみのある女性。

 瞳はどこか心配そうで、でも、微笑みを浮かべてこちらを見ていた。


 (……誰? いや……なんだ、この感覚……)


 まるで、ずっと昔から知っていたかのような、そんな不思議な懐かしさ。

 でも、俺の記憶には、こんな人はいない。前世のどの記憶をたどっても、この顔は出てこない。


 そして、続いて背後からもう一人の声が届いた。


「もうお腹すいてるだろ?」


 今度は男性の声。

 体格の良い男がのぞき込むようにして部屋に入ってくる。

 無精ひげを生やし、服装は革と布を組み合わせた簡素なものだったが、そこには確かに狩人の風格があった。


 彼の瞳もまた、優しかった。まるで、本当の息子を見るように。


 (……この人たちが、“俺”の親?)


 どこか納得している自分がいた。

 いや、記憶はないのに、心が知っているような、不思議な確信だった。


「……母さん? 父さん……?」


 声に出した瞬間、自分の口から漏れたその言葉に、胸が熱くなった。

 母と父――そんな呼び方をしたのは、前世で何年ぶりだっただろうか。


 二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。


「変なこと言うのね、アキラったら」

「ほら、さっさと起きな。朝ご飯、冷めちまうぞ」


 そう言って、男――父親らしき人は、無造作に俺の頭をくしゃりと撫でた。

 温かい手だった。粗削りなのに、どこか安心できる感触。


 柔らかい声。見知らぬ女性と、男性。

 けれどその顔を見た瞬間、不思議なほど――温かさを感じた。


 今の“俺”にとっては、確かにこの人たちが親なんだと――直感が告げていた。


 頭が熱を帯びるようにジンと痺れ、目の前が揺れる。


 (……何かが、俺の中に入り込んでくる。)


 目を閉じた瞬間、記憶の奔流が一気に押し寄せてきた。


 気づけば、俺は膝をついていた。頭が割れるように痛い。

 それを見た母親が駆け寄り、慌てた表情で俺の額に手をあてる。

 彼女の指先が熱を感じ取って、軽く眉をひそめた


「アキラ、大丈夫!?どうしたの、急に!」


 俺は必死に首を振りながら、かすれた声で答えた。


「うん……大丈夫、ちょっと頭が痛いだけ……心配しないで……」


 しかし母の瞳には、不安と心配が滲んでいた。

 ゆっくりと俺の背中をさすりながら、震える声で言う。


「無理しないでね……何かあったらすぐ言ってね、わかった?」


 俺は小さくうなずいた。


 この世界では“俺”はアキラという名前で、辺境の村で暮らしていたらしい。

 気づけばもう、七歳になるまでの記憶が、濃密に流れ込んできた。


 俺の記憶では狩人である父が山に入り、薬草師の母が村人の手当てをしている日常。

 周囲には家畜がいて、小川が流れ、木々の間から差し込む陽光が穏やかに村を包んでいた。


 だが――妙な違和感もある。


 この村では、人間と“魔族”と呼ばれる者たちが共に暮らしていた。

 それも、当たり前のように。村の外では異端とされる存在が、ここでは日常に溶け込んでいる。


 獣耳の少女と追いかけっこしたり、角を持つ老人から木工を教わったり。

 不思議だ。


 でも――怖くはなかった。

 むしろ俺は、この村の優しさに救われていた気すらしていた。


 ……ああ、やっぱり、転生したんだ。


 そう確信したとき、不思議と怖さはなかった。

 ゲームのような世界だ。

 でもそこには、温かさも、日常もあった。

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