第九話 ギルの旅 灯のない村
森を抜けた先にあったのは、静まり返った小さな村だった。
家々は朽ちかけ、道には苔が広がり、誰の気配もしない。だが、そこには確かに“誰かが生きていた”痕跡があった。干からびたまま残された干し草の山。風に揺れるままの洗濯物。そこはまるで時間だけが止まってしまったような場所だった。
ギルは、ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりと一歩を踏み出す。
「……ここだ。間違いない。ここ、おれが生まれた村」
小さく、でも確かに声に出す。
「ニャ……ニャんだか、やたらと“音”がないニャ。鳥の声も、木のざわめきも…何もないニャ」
フワがひそめた声で言った。
「記憶ごと、ここに封じられてるってことだろうな。村そのものが、誰かの魔法で“過去”に縫いとめられてるんじゃないか?」
クロウが、屋根の上にとまって、遠くを見ていた。
「それって、誰の魔法……?」
“お客さん”が不安そうに口をひらく。
そのとき。
ギルが立ち止まる。目の前に、ぽつんと残された石造りの井戸があった。
「……あれだ。子どもの頃、おれはよくあの井戸に座って、母さんの帰りを待ってた」
井戸のそばには、木でできたベンチがあり、そこに小さな影が座っているのが見えた。
「……ギル?」
ルチェルの声が脳裏によぎった気がした。ギルは息を呑んで、ベンチに駆け寄る。
だが、そこにいたのは──今よりもっと子どもの姿をした、彼自身だった。
小さなギルが、ぽつんと座っている。膝を抱えて、何かを待っている。
「……これは幻?」
「ニャ。記憶の残像ニャ。おそらく、この村全体がギルの記憶に由来する“封印の結界”になってるニャ」
フワが、耳を伏せながら言う。
「ということは、誰かが意図的に……ギル、お前の記憶を封じようとしたという事だ。何かを、隠すためにな」
クロウが、井戸の縁をついばみながら呟いた。
小さなギルは、誰にも気づかれないまま、何かをひたすら待っていた。
ギルはそっと、その横に腰を下ろす。彼の指先が、子どもの幻に触れることはない。それでも──そのぬくもりは、自分の胸の中に、今も確かに残っていた。
「……おれは、ずっと待ってた。母さんを。父さんを。そして……あの日、帰ってこなかった人たちーーーを?」
「家族……?」
“お客さん”がそっと問いかける。
ギルは首を振る。
「……違う。たぶん、あのとき村に、何かがあったんだ。“事件”が。でも、思い出せない。思い出したくない……って、心のどこかで思ってる気がする」
「ニャ。じゃあ、無理に思い出す必要はないニャ。忘れていたって、人は生きていけるニャ」
フワがそっとしっぽを巻いた。
だが、ギルは顔を上げた。
「……でもッ!思い出したい。“おれの過去”が、今のおれに何を残してくれてるのか。それをちゃんと知りたいんだ……」
クロウが、翼を広げた。
「なら、この村の中心だな。記憶の封印は、もっとも大きな出来事の場所に“核”がある。たとえば──そう、あの教会、とかな」
「……あ!あったよ、確かに。丘の上に、小さな教会が」
ギルの指が、ゆっくりと北の方角を指す。
小さな影──幼い自分は、変わらずじっと座っていた。あの日のまま、ずっと誰かを待ち続けている。
ギルは立ち上がり、拳を握る。
「行こう。全部……ちゃんと向き合って、全部、取り戻すために」
彼の背中に、ルチェルから渡されたパンの魔力が、かすかに温かく灯っていた。
読んでくださってありがとうございます!
まだまだ続きます!