第六話 羽根のしるしと、やさしい記憶
「あの印、やっぱり……なにかの契約痕だニャ」
カウンターに戻ったフワが、ぽんとギルの肩に乗る。
「ふつうは、契約が完全に切れると印は消えるんだニャ……。けど、あれは微かに残ってるニャ」
「それって、契約が……途中で途切れた、ってこと?」
ルチェルの問いに、クロウが応じる。
「正確には、“どちらか一方の意志”が、今も残ってる。……契約は切れたけど、完全に終わっちゃいないってことさ」
窓辺の席では、“お客さん”が小さく首を傾げていた。
「たしかに……何か、大事なことを置き去りにしてきた気がする。
でもそれが、どこで……誰と……どうしてだったのか、まるで霧の中みたいだ」
そのとき――コモリが、キッチンの扉からぴょこりと顔を出した。
「パン、焼けたよー!」「バター多めのやつー!」と、声なき声を上げぴょんぴょんと跳ねた。
「お、ありがとう! ちょうどいいタイミングだね」
ギルが笑ってパンを運ぶと、“お客さん”はその匂いに一瞬目を細めた。
「……ああ、この香り……やっぱり、懐かしい…」
「そう言ってたね。きっと大事な誰かと一緒にたべたのね」
ルチェルがふっと笑う。
「きっと、その誰かが……あなたの使い魔だった、のかもしれないね」
パンを頬張る“お客さん”は、ゆっくりと目を閉じた。
まるで――“その誰か”と、心の中で再会しているようだった。
***
その日の午後。
喫茶ルシェットの裏庭に、小さな風が吹いた。
クロウが、庭の古びた物置の屋根にとまっていた。
「……なあ、お前ら」
「ん?」
ギルが薪を運びながら振り返る。
「もし、あいつの大事な誰かがどっかで生きていたとしたら――どうする?」
ルチェルが少し考えたあと、ぽつりと答える。
「……会わせてあげたいな、って思う。きっと、それがあの人の記憶を取り戻す鍵だから」
「でも、そんな都合よく見つかるかな? 名前も手がかりも、何もないんだろ?」
「それでも……誰かが、誰かを思い出そうとする気持ちって、すごく強いと思うの」
ルチェルのまっすぐな瞳に、クロウは肩をすくめた。
「……まったく。そういう“思い出と奇跡の味”みたいな考え方、俺の柄じゃねえんだけどな」
それでも彼は、少しだけ空を見上げる。
「まあ、やってみるか。お前らがやるなら、手は貸す。昔の義理ってやつでな」
***
その夜。
閉店後の喫茶ルシェットの奥。灯りの落ちた窓辺に、“お客さん”はひとり座っていた。
「ねえ」
ルチェルが声をかけると、“お客さん”は振り返る。
「少しずつ、思い出せそう?」
「……うん。まだぼんやりしてるけど……あのパンの香りが、なぜか胸にしみて。
懐かしくて、優しくて、泣きそうになった。理由もないのに、涙が出そうになったんだ」
「……きっとそれ、大事な誰かとの“思い出”だよ」
“お客さん”はそっと手の甲を見た。
そこには、かすかに光る、羽根のような痕がまだ残っていた。
「名前も、姿も忘れたのに……“想い”だけは、ちゃんと残ってるんだね」
ルチェルは、優しく微笑んだ。
「なら、いつかきっと……会えるよ。もう一度」
静かな夜の、静かな祈り。
やがて“お客さん”は、ゆっくりとまぶたを閉じる。
忘れたはずの誰かを、夢の中で――探すように。
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“喫茶ルシェット”に立ち寄った、記憶をなくした魔法使い。
その記憶の奥に眠る“使い魔”との絆を、少しずつ探し始める一行。果たして記憶の欠片は見つけられるのだろうか…。