第四話 おかしな客と、消えた使い魔
それは、霧の朝だった。
ルチェルがカウンターでスコーンの生地を丸めていると、扉の上に吊るした鈴が、カラン、と控えめに鳴った。
「いらっしゃいま――せ?」
思わず言葉を切らす。
扉をくぐって現れたのは、ぼろ布のようなローブを纏った人物だった。深くフードをかぶって顔が見えず、足取りもふらふらしている。
「……ここは……どこだろう……?」
つぶやきは小さく掠れていて、聞き取るのもやっとだった。
ルチェルが慌てて近づくと、ローブの人物はその場にくずおれるようにしゃがみこんでしまった。
「ギル! ソファの方に!」
「はい!」
ギルが急いで軽い身体を駆け出させ、ぐらりと倒れかけた人物の肩を支え、店の一角にある長椅子に誘導する。
フワは鼻をひくつかせながら、小さくうなった。
「ニャ~んか、ただの旅人じゃなさそうニャ……。魔力の匂いが、変だニャ」
「……確かに。なんか……ぐちゃぐちゃしてるっていうか、まとまりがない感じだね」
ギルもそう顔をしかめる。
「でも、危険って感じはしないニャ」
「そうだね、むしろ、すごく……弱ってる?」
ルチェルは、そっとその人の前に温かいカモミールティーを差し出した。
「……これ、もし飲めるならどうぞ」
ローブの人物は、しばらくしてから指先でそっとカップを掴んだ。
口元に運び、一口だけ含むと、ほぅっと息をついた。
「……ありがとう」
声はまだかすれていたが、ようやく少し落ち着いたようだった。
「ここは……喫茶店?」
「ええ、ここは喫茶ルシェット。森の外れの、小さな店です」
「わたしは……どうして、ここに来たんだろう」
ふと、ローブの人がぽつりとつぶやいた。
「名前も、思い出せないし。気づいたら、森の中にいて……何日もさまよってた気がする…」
「……記憶喪失?」
ギルが小さくつぶやく。
フワは真剣な表情で、その人物を観察していた。
「……こいつ、魔法使いじゃないかニャ。でも、魔力がひどく乱れてるニャ。大方、使い魔の契約でも……切れてるか、失われてるんだニャ」
「使い魔……?」
ローブの人物が顔を上げる。その目は、困惑と不安でいっぱいだった。
「わたし…使い魔がいたのか……? でも、まったく思い出せない」
その言葉に、店の空気が静まり返る。
ルチェルはしばらく考え込んだ後、微笑んだ。
「じゃあ、少し休んでいきませんか? あったかいスープと、パンをお出しします」
「……いいのかな?」
「ええ。ここは、そういうお店なので」
ルチェルがそう言って厨房に向かうと、ギルも続いてきた。
「ルチェル、あの人……大丈夫かな」
「きっと、何かあったんだと思う。記憶が戻るかはわからないけど……少しでも、ここで落ち着けたらいいと思うの」
ギルはうなずいて、そっとパンを温め始める。コモリはその隣で、そっとはちみつをかけたチーズケーキを並べていた。
そう、喫茶ルシェットは、迷子になった者が一時立ち寄る場所だ。
――名前を失っても、主人に捨てられても、使い魔をなくしても。
ここには、あたたかいパンと、心を癒す魔法がある。
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次回、記憶を取り戻す“鍵”が、思わぬかたちで姿を現すかも?