第二十六話 古書と眠る、小さな羽根
「……コモリ、それ、どこから見つけたの?」
朝の仕込みがひと段落した頃、物置の隅で埃まみれの段ボールを抱えたコモリが、よたよたと厨房へ戻ってきた。頭の上には開きかけた古書が一冊、まるで帽子のように乗っている。
「ちょっと待て、それ古いやつだぞ」
ギルがすばやく駆け寄って、箱の中を覗き込んだ。
「……魔導書か? でも、どれも封印の印が薄い。中には、魔力が残ってるかも」
「え、それ大丈夫なやつ……?」
シエラが心配そうに身を乗り出す。コモリは首を傾げながら、ぺたんとその場に座り込み、膝の上に本を広げた。
「こっちは、ただの記録帳みたい」
ルチェルが布でそっと埃を払うと、見開きのページの間から、ふわりと小さな羽根が一枚、ひらりと落ちた。
「……鳥の羽?」
「いや……違うな。これ、使い魔の“羽根”だ」
ギルがそう言った瞬間、店内の空気がすこしだけ張りつめた。
「どういう意味、ギル?」
「昔、一部の使い魔は“体の一部”を通して契約してたんだ。羽根、鱗、角、爪……。それを媒介にして、主の命令を直接受ける」
「でもそれって──」
「強制力のある魔法ってことニャ」
フワがぴんと耳を立てた。
「この羽根は……封印された記憶の名残かもニャ。主のこと、命令のこと……いろんな想いが染みついてるニャ」
コモリが羽根をじっと見つめたまま、動かない。
「……コモリ、何か感じるの?」
ルチェルがそっと声をかけると、ぬいぐるみの小さな体がふるりと震えた。
そして、ゆっくりと本をめくる。
そこには、淡いインクで描かれた花のスケッチや、日々の記録、そして……最後のページに、こう記されていた。
⸻
「私の使い魔は、もう帰らない。けれど私は、今日もパンを焼く。
あの子が、またふらりと来てくれる気がして──」
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誰かの、遠い記憶。
誰かの、失われた時間。
「これって……ルチェルみたいだ」
ギルがぽつりと言った。
「……そうね。きっと昔にも、同じような喫茶店があって、誰かが使い魔を待ってたのかもしれない」
ルチェルは微笑んだ。
「この店に来る子たちが、そうやって“戻ってきた存在”なら、やっぱりこの場所は……“帰ってこられる場所”でなきゃいけないね」
雨は止み、窓の外には雲の隙間から日が差していた。
「コモリ、その羽根は……どうしたい?」
コモリはしばらく考えたあと、小さな羽根を古書の間にそっと挟み込み、静かに本を閉じた。
それが、妖精である彼なりの答えだった。
ギルがふと、つぶやく。
「──昔を忘れないための記憶か。あるいは、未来の自分への手紙なのかもな」
今日もパンが焼ける。
香ばしい匂いが店内に満ちるころ、名もなき羽根は静かに本の中で眠りについた。
でもいつか、また誰かがそれを見つけたとき、その記憶はきっと、やさしく目を覚ますだろう。




