第二話 ギル、働く
竜の少年ギルが、喫茶ルシェットでの第一歩を踏み出します。やさしくてちょっと切ない一日です。
朝の光が、木の葉を透かして差し込んでいた。
喫茶ルシェットの開店前、ルチェルはいつものように、パン生地をこねながら鼻歌を歌っていた。
「昨日の子、起きてるかな……」
昨夜、戸棚の裏に布団を敷いて眠らせた竜の少年――ギル。
炎を吐けない、飛べない、ちょっと訳ありなその子は、パンを食べて泣いたあと、「ここで働きたい」と言った。
「お、おはようございます……」
店の奥から、ギルが寝ぼけたような顔を出した。髪はぼさぼさで、寝癖が跳ねている。
「おはよう、ギル。よく眠れた?」
「う、うん……床があったかかった」
「パンの魔力、かな?」と笑って、ルチェルは焼きたてのロールパンを手渡した。
ギルは「いただきます」と言ってから、パンにそっと両手を添えて目を閉じる。
「……んまい」
涙は出なかったけれど、その一言でルチェルは安心した。
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喫茶ルシェットの朝は忙しい。
ぬいぐるみ姿の精霊コモリはいつの間にか厨房の片隅でお菓子作りをしていて、無言でぷるぷるとゼリーを見つめていた。
フワは帳簿を抱えてカウンターに陣取り、すでに一日の売上予測を立てている。
「新入り、研修ニャ。今日一日、ちゃんと働けたら仮採用ニャ」
「えっ、採用試験あるの?」とギル。
「当たり前ニャ。この店は慈善事業じゃないニャ。魔法省からの助成金も出てないニャ」
フワの語尾はどうしても「ニャ」になる。ギルはまだ慣れていないようで、必死に笑いをこらえている。
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午前中は、モップがけと接客の練習。
ギルは意外なほど手際が良く、子どもとは思えないくらい丁寧にお辞儀をする。
「いらっしゃいませ、喫茶ルシェットへようこそ。ご案内します」
ルチェルが教えた通りに言うと、町の人々が口々に「まあお利口な子ね」と褒める。
おばあさんには「孫にしたい」と言われ、ギルの顔は真っ赤になった。
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お昼過ぎ――休憩の時間。
ギルはカウンター席に座り、ルチェルが焼いたチーズパンをかじっていた。
「……ここ、なんかいいね」
「うん。居心地いいでしょ?ちょっと古いけどね」
「居場所って、なんかパンに似てるよね。さ、って包まれて、ちょっとだけあったかくて……」
その言葉に、ルチェルは目を瞬いた。
ふいに、誰かが言っていた言葉を思い出した気がした。
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夕方、フワが帳簿をパタンと閉じる。
「合格ニャ。今日の売上、昨日の1.3倍ニャ」
「えっ、ほんとに!?」
ギルが跳ね上がると、フワは「しょうがないから雇ってやるニャ」とふんぞり返った。
ルチェルは笑いながら、キッチンの奥からエプロンを持ってきた。
「じゃあ改めて。ギル、これからよろしくね。喫茶ルシェットの仲間として」
ギルは小さく頷き、少しだけうるんだ目でエプロンを受け取った。
そして、その日の閉店後。
ギルはふかふかの座布団にうずくまりながら、小さくつぶやいた。
「……ここが、ぼくの居場所、か」
その声は、夜の帳に溶けるように、静かに消えていった。
読んでくださってありがとうございます!ギルの素直さとフワの毒舌、いいコンビになるかも……?次回もぜひ読みに来てください。