第十二話 ギルの旅 あの夜の記憶
開かれた扉の向こうにあったのは──黒く染まった夜だった。
村を包む空は、不自然なまでに静かで、月も星もなかった。ただ、遠くで、地鳴りのような咆哮が響いていた。
「……これが、“あの日”? 村が……襲われた夜… ……の…」
ギルの言葉は、震えていた。
見覚えのある道。自分の家の前。小さなギルが、扉の陰から不安げに空を見上げている。
「記憶の再現だニャ……ただの幻ニャない。ギルの記憶そのものに、今、おまえ自身が入り込んでるニャ」
フワが緊張した声で言う。
クロウも、羽根をすぼめてギルの肩にとまる。
「だが、これはただの“記憶”じゃない。この記憶には、何かが混ざっている。“お客さん”の記憶もな……」
そのとき。
空が割れたような音とともに、村の上に“何か”が降りてきた。
──巨大な、黒い影。
無数の手を持ち、顔のない化け物。ギルの記憶が、そこで一度、大きく歪んだ。
「ギルッ!」
“お客さん”が思わず駆け寄ろうとするが、クロウが羽を広げて止める。
「触れるな。これはギル自身の記憶だ。おまえにも、思い出す覚悟があるのなら話は別だがな」
ギルは、幼い自分の姿を見つめていた。泣きじゃくり、扉の前で凍りついていた自分。目の前に、母親が飛び出してくる。
「ギル、ここから逃げなさい!」
その声と同時に、黒い影が家を飲み込んだ。母の悲鳴が響き、小さなギルは……逃げ出さなかった。
「……そうだ。おれは、逃げなかった……逃げられなかったんだ……」
そのとき。
影のすぐ近くに、もうひとりの少年が現れた。
銀髪。青い瞳。それは兄・カイだった。
彼はギルをかばい、光の魔法を唱える。そして、村全体を覆うように、光の結界が張られた。
「ギル……絶対に生きるんだ!」
「待って!兄さん……!」
だが、影はその結界を食い破る。そして。
悲劇が起きる。何もかもゆっくりと、確実に。手を伸ばしてももう届かない遠い昔の記憶だ。
カイが、最後に唱えたのは──記憶封印の呪文。
ギルと村を、時間ごと封じる魔法。
同時に、“もうひとつの声”が響いた。
『……助けて!お願い。あの子だけは──』
それは、少女の声だった。
そして──黒い影の前に、白いフードをかぶった誰かが立ちはだかる。
顔は見えない。けれど、どこか“お客さん”に似ていた。
「……あれは、わたし……?」
“お客さん”がぽつりとつぶやく。
次の瞬間、ギルの記憶の世界は音を立てて崩れた。
崩れ落ちる空。ゆがむ地面。すべての記憶が、霧のようにほどけていく。
***
目を覚ましたとき、ギルは教会の床に倒れていた。
「ギル! 大丈夫かニャ!」
「……う、うん。たぶん……全部、思い出したよ。母さんのことも、兄さんのことも。あの夜のことも…………」
ギルはゆっくりと身体を起こし、“お客さん”を見た。
「そして……“君”のことも」
“お客さん”の瞳が、大きく揺れる。
「君は、あの夜、“影”の前に立っていた。おれを庇おうとしていた。“あの声”は……君のものだよね?君はきっと──おれの使い魔だった?」
「……でも、もう名前も、力も……何も思い出せない……」
「……いいんだ。これから少しずつ、取り戻していけば。おれたちで」
ギルはそっと、手を差し出す。
“お客さん”が、その手を取った瞬間──教会の窓から、初めて柔らかな光が差し込んだ。
長く止まっていた“村の時”が、ようやく、動き始めた瞬間だった。
読んでくださってありがとうございます!
次回は、ギルの旅の終着点の予定です!




