第92話 死者に鞭打つ奴
苦しい最期だった。
肺癌の末期は水死のようなものである。呼吸ができなくなり、溺れているのとなんら変わりがない。最後の瞬間が訪れるまで母は必死な形相で酸素を求め、恐ろしささえ感じたが、心電計のモニターが交流波形になると口を閉ざし、左目だけがちょっと開いたままこの世を去っていった。いつもと変わらぬ優しい顔に戻ってくれて逝った。
「苦しむことなく、この世から旅立ったことがせめてもの救いです。」
この言葉をよく弔辞で語る者がいるが、嘘である。苦しまずに、この世を去れる者などどこにもいない。
生きている時に自身がおこなった善と悪が交互に現れながら凌ぎ合い、融合し、肌寒さを感じながら人は死んでいく。過去のおこないが8ミリフィルムのコマのように投影されて『死にゆく人の悪行の数々を再現させられ、自我を省みながら、もがき、苦しみの果てに記憶を消滅させる。』
これが死だと思う。
荼毘にふされ、白い布で包まれた骨壷に入った母を誰もいない実家にポツンと置いておく事は出来なかったから、私は自宅には戻らず実家で寝泊まりするようになった。
この母が独りで暮らしていた自宅は3回忌が終わるまでは売却しないものだと、あの叔父から言いくるめられていたので、3年もの間、、私は独りで二軒の家を往復する日々が続いた。
母が亡くなって、大きく変わったことが1つだけある。
今まで見た事も、触ったこともない金額があちこちから湧いて入ってくるのである。入院していた時はお見舞いと書かれた袋から一万円札を2~3枚引き抜いてはアルコールの蟻地獄に飛び込んでいっていた。明け方の3時くらいまではその地獄の住人でいさせてもらえる。
ほとんどの飲み屋で言われた言葉が「桑名さんのお父さんも早かったけれど、お母さんも早かったわね。」だった。まったく面識のない隣のカウンターの客からも「桑名ってあの桑名さんなの?」と聞かれて「そうだ。」としか返しようがない。
そのうちに私も酔いがまわり、面識のない客も酩酊して「お前の親父は口うるさ過ぎたんだよ。自分が全部、正しいと思ってやがった。」と十数年以上も前の話を蒸し返して、からまれた。
こうなると収まりが付かなくなる。カウンターの上に置いてあった焼酎の角張った瓶で相手の頭を叩き割る。
これで相手が怯んでくれれば終了となるのだが、相手もアルコールの蟻地獄の住民票を持っている立場上、オメオメとは消えてくれない。
相手は単なる酔っ払いであるから私の相手ではない。焼酎の瓶でさらに2、3回ほど頭を叩き割ってやると額から血が吹き出して床に倒れ込む。倒れた上から右か左の顎の関節を踏みつぶしてやると『バキッ』と音がして顎関節がへし折れる。
「死んで10年も経っている死者に、鞭打つ奴はこうなるんだよ。」
そう言い放って勝ち誇り、次の飲み屋に向かう。
何事もなかったかのように飲んで、唄って酩酊の限りに暴れまくる。当たり前の事だが叩きのめした店のオーナーから110番通報がされているので店を出た私の跡を探している。
三軒目の飲み屋で身柄を拘束され、そのまま警察車両に乗せられ地元県警の留置場に叩き込まれた。アルコールを飲んでおこなった暴力行為は『まったく記憶がございません。なにぶん、酩酊していたものですから。まったく覚えていないのに何で詫びなきゃあいけないんでしょうか。』が口癖の釈明になる。
本当はすべてを記憶しているのにアルコールに責任転嫁し、ブラックアウトというもので喧嘩両成敗を成立させる。この手は1、2回なら通用して実刑を食らった事はない。ただ、略式の裁判で、アルコール飲酒の仕方に問題がある、という司法判断を受けてしまい強制入院させられてしまった。
任意での一般的な入院だったら医師の判断に従わずに退院することが出来るのだが、強制入院の場合、司法もしくは担当部署の合意が得られないと自由に退院できない。
アルコール専門病院に入院したのだから当然、付けられた病名はアルコール依存症であり、ここで恐ろしい病魔の実態を知った。