第90話 母の最後の願い
病院を一旦出て、従兄弟の修に電話連絡をした。
「もしもし、遼平だけれど、久しぶりだね。親父の葬儀の時は手伝ってくれてありがとう。実は母の事なんだけれども、多分だよ、多分、土曜日の夜に亡くなると思うんだ。だから日曜日が通夜になると思う。予定を入れないでおいて欲しんだ。君のお母さんと弟さんにも修君から連絡を入れておいてもらえると助かる。でも、生きている間は見舞いには来ないでね。来てもらっても酷い姿を見せるだけだから。」
金曜日
仕事を終えて母のいる病室に向かうとそこに母はいなかった。ICUに移されていた。そして母の手には拘束帯が巻かれていた。この姿に驚いて「なにか起きたんですか?」とナースステーションに聞きに行った。
「チューブを抜いちゃうんです。栄養血管術のチューブを・・・」
私は母のもとに寄り添いながら「かあちゃん、チューブがうざったいのか、でもね、それを抜いちゃダメだよ。血が流れ出しちゃう。」
そう言ったところで、もはや母には理解できていない。
「おれ、ちょっと帰るね。あとでまた来るから。」
ICUに入っている患者に対する面会時間の制限はない。母のもとを去ろうとした時だった。母は両方の手を私に向けて差し出してきた。
「遼ちゃん、おねがい、この手袋みたいの外してちょうだい。お願い。」
私は母の最後の願いを振り切った。言葉で伝えてきたのではないが人生最後の願いを振り返ることをせずにICUを飛び出した。
病院を出ると自分の家にも実家にも行かずにそのまま場末のスナックで浴びるほどアルコールを胃袋に流し込んだ。いくら飲んでも酔えなかったし涙が止まらなかった。他にも客はいたはずだが、他者の目をはばからずに嗚咽を漏らして泣いた。
すべては私の責任である。この思いが拭えない。むしろ逆に自責の念を恰好の酒のツマミにしていたのである。
土曜日。午前3:00
飲み屋から母のいない自宅に戻ってきて倒れ込むように眠った。
同日、午前5:00
病院から緊急を伝える電話が入った。さすがにこの時は受話器を取った。
ICUに入ると母の意識はすでになく、ただ荒々しい呼吸を繰り返していた。普通、肺癌の末期症状で呼吸困難に陥ると水の中に押し込まれているような状態になる。あまりの苦しさで患者は自分の気道をできるだけ広げようとして頭を上下に振るようになる。
母の場合は違っていた。頭を上下ではなく左側に激しく傾けて呼吸を必死に続けた。必死さのあまり、歯をむき出しにした恐ろしい顔つきになってしまった。
もがき、苦しみ、溺死寸前の呼吸を繰り返していたが、時間の経過とともに呼吸数自体がどんどん減っていき、1分間に2回か3回だけ激しく、のたうつようになった。