第88話 切なすぎる嘘
平沼先生の『諦めなさい、戦ったらかわいそうだよ』の言葉を頂いた翌週の日曜日、弟と待ち合わせをして母を見舞った。
「かあちゃん、ちょっと出掛けてくるね。」
そう言って弟と二人で向かったのは所沢市にある葬儀屋ある。事前にお伺いできる時間を伝えておいたので社員さんの対応は早かった。
私がこの葬儀屋さんの社員に伝えたのは2つだけである。母が1ヶ月以内に亡くなるという事。亡くなる最後の場所は父と同じ病院になる事。もう1つは香典返しの数量である。母はなにかと若い者たちの面倒見が良い。どこの職場に勤めても頼られる存在になってしまう。きっとふつうの主婦とは違うことになるだろうと予測していた。
「150人から200人くらいを予定しています。」
私が言うと葬儀屋の社員は「いえ、桑名様さんのお話をうかがうと、おおよそ、その倍の参列者になると思うよ。女性って1対1ではないんです。少なくても300名が来ます。もし用意した香典返しとお清めが残ってしまっても返品できます。それより問題は葬儀会場です。」
国立の病院から追い出し転院が告げられた時点では緩和ケア、いわゆるホスピスは選べなかった。母はある日、突然入院し、たったの1度も帰宅できないままこの世を去ろうとしている。せめて最後は、最期の死に逝く場所は自宅が無理だとしても若かった父、母、私と弟の四人が笑顔で暮らしていた自宅のある場所に戻ろうと思った。
病院を転院すること自体は簡単にできる。私自身がコネクションを持っていたからだ。葬儀会場も押さえた。寺の住職にも近々に母が亡くなることを伝えた。
残された課題は今いる病院から実家のある街の病院までの移動手段だけだった。これも私が勤めている病院と契約している搬送業者に頼むことができた、と言っても普段、運んでいるのはご遺体である。
搬送距離はおよそ10km、時間だと30分程度だが、気を付けなければならない事は、母の鎖骨を切って挿入されたままになっている経皮静脈栄養血管術から血液が逆流することだが、小一時間程度ならヘパリンでロックできた。
ただ移動中の車の振動は予想を超えていた。元々がバンを改造しただけのクルマであるから車道に段差が少しでもあると母の身体は宙に浮いた。右折時も左折時も私が横たわっている母の身体を抱きしめながら移動していった。
「かあちゃん、帰ろう。」
そう母に車の中で話しかけた。
「帰るの?」
母は聞き返す。この言葉は正確に発音できていた。
「うん、そうだよ。うちに帰ろう。」
「帰れるの?」
切なすぎる嘘だった。向かっているのは実家近くの病院であり、母の住んでいた自宅ではない。しかし、これ以外の言葉を私は持っていなかった。
揺れ続ける車内で母はゆっくり頷いた。