第87話 戦ったらかわいそうだよ
担当医との話は30分くらいで終わった。何をどう説明されたのか、まったく覚えていないし平沼先生も聞いてはいなかったようだ。ただ、シャーカステンに並べられた2枚の画像を何度も見比べていた。
面談が終わり部屋を出ると、看護師たちスタッフは申し送りのためナースステーションに集められていて、平沼先生と私以外、見舞客はいなかった。
ベッドに横たわる患者さんたちが発する咳とバイタルの異常を教えるサイレンの音だけが広くて、薄灯りだけの病棟に響いていた。
突然、右腕をギュッとつかまれた。
平沼先生は私の顔を見ずに、正面に目を向けたまま独り言でも喋りだすかのように話し始めた。
「人には運命というものがある。戦わざるを得ない運命もあれば諦めざるを得ない運命もある。桑名君、あきらめなさい。戦ったらかわいそうだよ・・・」
やわらかい声だった、そして的確だった。腕に込められていた先生の力がゆっくり消えていく。先生はそれから何も言わずに母の病室に向かってひとり歩いていった。
「桑名さん、頑張ったね。うん、よく頑張った。」
先生は母の手を握って、そう声をかけてくださった。声をかけられた母の方はキョトンとしていた。まったく知らない人が突然、現れて手を握って話し掛けられたのだから、うろたえても当たり前である。
「かあちゃん、今の人、知っている?」
私が聞くと母は顔を横に振った。
「桑名君、行こうか。」という平沼先生の声を聞いたとき、私は決心した。
「あきらめよう。母がこの世からいなくなったあとの事を考えよう。」
国立病院のある街から東村山市の青葉町、恩多町を抜けて西武新宿線の久米川駅まで先生をクルマで送っていった。せめてものお礼のつもりもあり送らせて頂いたのだが、青葉町にあるハンセン病の全生園から久米川駅までの直線道路は信号機が多く常に渋滞する。
野火止用水に沿っている細い道もあるのだが、どちらを選んでも新青梅街道と交差する信号のところで動けなくなる。
「19歳から24歳の秋まで、この国立多磨全生園で働いていました。」
私の言葉に平沼先生は「桑名君は元、公務員だったのか、都内の医大を卒業した医師なら、この場所は実習先になっている。私も勉強させてもらったよ、数十年も前にね。」と仰れれた。
まずは葬儀の準備から始めよう。
父の時には突然の死だったので大変な思いをした。同じ失敗をしないでやり遂げてやる。そう決めた。その夜には、弟の自宅に電話を入れ、葬儀の準備に入ることを伝えた。
『覚悟』という言葉がある。
進む覚悟、引く覚悟、色々な覚悟がこの世界にはあるだろう。
『生きる』ということを諦める決断をする覚悟ほど苦しいものはない。自分自身におこっている事なら耐えられるかもしれないが、母の生を繋ぐ戦いから完全に撤退する覚悟をこの日、私は決めた。