第86話 ある呼吸器の医師の優しさ
突然、その日はやってきた。
第3クールの途中で抗がん剤による治療をやめると医師に宣告された。延期ではなく中止である。
「お母さんなんだけれどね、日に日に衰弱していくでしょう。同室の患者さんたちが良くなっていくのに君のお母さまだけ、どんどん具合が悪くなっていく。お母さまご本人も、みなさんの様子を見ていたら辛くなってしまうと思うんだ。ほかの施設を幾つか紹介するから検討してみて欲しい。隣町にある、あそこの病院も末期の癌患者を受け入れてくれるからね。」
なるほど、そういう言い方をするのか。程の良い追い出し文句じゃあないか。ついこの前「抗がん剤が効いてきた。」と言った同じ口が今度は死の宣告をしてくるのか。
「母の余命はどれくらい残っていますか?今年を越せる可能性はありますか?」
こう聞き返すのが精一杯だった。医師が告げた事は理解できていたし、追い出したい理由も医療従事者の私には解かる。あのリハビリ専門病院の外来担当医も「わからないなぁ、専門じゃあないからね。」の言葉だけで母を見捨てた。
医者なんて、みんないい加減だ。どいつもこいつも他人事だから親身になってくれる医者なんていないんだ。
それでもアルコールだけは私を癒してくれる。ただ、黙って酩酊の沼に沈めてくれる。酩酊の沼の底は、暖かく私を包んでくれる。沼の底では気が狂うのが常識であり、非常識という言葉は存在さえしない。
ある日、私は気が狂いそうな精神状態を押し留めて、自らが勤めている病院に週1日だけ勤務なさっている呼吸器の医師に母のことを相談した。相談しても良いものなのか、判断が付けられなかったが私の言葉を真正面から受け取ってくれる人が欲しかったのだと思う。
昼休みを待って、この呼吸器科医を探した。四つある外来診察室の一番奥の部屋で、ひとり机に向かい調べ物をしているうしろ姿を見つけ出した。ドア越からは後頭部と背しか確認できなかったが、確かに呼吸器の医師として私をご指導くださった平沼先生だとわかった。
この医師には私が技師になりたての頃、何度も叱られ怒鳴られたっけ。
意を決して平沼先生の背中に言葉を掛けた。
「先生、お時間をいただいても良いでしょうか。」
そう尋ねると「どうしたんだ、桑名くん、その顔の腫れは、尋常じゃあないぞ。」
酔いがとめられなくなった身体に、さらなるアルコールの摂取は顔全体を腫れ上がらせて、またしても左の瞼は潰れ切っていた。
「母の病気のことなのですが、実は母は肺癌で入院しています。病院から見放され、出ていってくれと言われています。」
私のこの言葉だけで先生はすべてを察してくれた。
「桑名くん、君は放射線技師だ。医者と対等となって話を受け止める事は難しいだろう。君がひとりで担当医と立ち向かうのは酷というものだ。私がおかあさんの担当医と直接、話をしよう。今夕、その医者がいるかどうかを確認しておいてくれ。いるのだったら時間を作ってもらっておいてくれ。」
母がいなくなった今でも、この日のことは忘れない。平沼先生が私に掛けてくれた言葉を20年近く経ったこの時でもはっきりと覚えている。
苦しかった。
誰にすがって良いのか、真っ暗闇にポツンとひとり立たされていた私を救い上げてくれた言葉だった。
平沼先生にご同行いただき、国立病院に到着できたのは午後六時半くらいだったと記憶している。入り口に掲示されている各、曜日ごとの外来担当医の名を教える掲示板と院長を頂点とした組織図の名前に目を向けていた先生はひとこと言った。
「桑名君、日本の呼吸器のそうそうたる名が羅列されているよ。」
午後七時から8階の一室で担当医、平沼先生、そして私の三者面談がおこなわれた。担当医の背後には2枚の胸部レントゲン写真がかざされていた。左は母の入院時のもの、右がつい最近の画像である。
私の右側に座った平沼先生は担当医に自分の名刺を渡した。そこには私の知らない病院名と院長名としての名が印刷されていた。