第83話 告知
がん治療も含め、すべての治療行為は医師の指示の下でおこなわれるが、最終決断は患者本人に委ねられる。告知が絶対に必要なのだ。しかし、母の場合、言葉が話せない。過去に喋ったり聞いたことのある単語ならば伝わるかもしれないが、母は医療従事者でもなければ癌の羅患者の経験もない。
「お母さまの抗がん剤に際してですが、今後の事も考えなければいけません。告知の義務があります。」
医師には言われていたが、先延ばしにしていた。なんだか解らない薬を点滴投与されて、毎日、吐き気と倦怠感に襲われる。本人が納得した上で癌と闘う覚悟がどうしても必要になるのだが、この告知を母が理解できるだろうか。
病棟の同じ階に談話室のようなフロアがある。誰もいないタイミングを見つけて母をその場所に連れて行った。
「かあちゃんの病気だけれどね、肺癌だって。わかるかな?」
「わかんない。」
この母の口癖になってしまっている『わかんない』はたとえ理解ができていたとしても『わかんない』と言って、その場を繕っている事に気が付いたのは、この一ヶ月あとであった。
ある日、あの良い意味でも悪い意味でも街の実力者である叔父夫婦が娘を伴い三人で見舞いに来てくれた。娘といっても私より1歳だけ年上の従姉という関係になる。この従姉は看護師をしていて開口一番に言った言葉が「ずっと外来診察に通っていたって聞いている。あと3ヶ月早く見つけていれば右肺の全摘手術ができたんじゃあないかな。」だった。
確かにそうかもしれない。二月、もしくは三月、あのリハビリ専門病院の担当医に胸部レントゲン撮影を私自身の口で執拗に求めていたら癌がこんなに大きくなる前に発見できていただろう。
責めた、自分自身を責め続けた。しかし今となっては、もうどうしようもできない。
見舞いに来た者の退出時間が近づいていた。叔父夫婦、従姉の三人と一緒に私も帰宅するため皆でエレベーターに乗り、出口の自動ドアを出て、車を停めた場所まで歩いていた。四人が一緒だったのだから、何かを話していただろう、その時、人の視線を背中に感じた。
振り返ると、いま出てきたばかりの病院の8階に母が立っていた。
母は笑顔なのか、泣いているのか、表情は遠く小さすぎて判らないが、駐車場の全体が見下ろせる8階のロビーまで辿り着き、窓の前に立って私たちの背中にずっと視線を送っていたのだ。
きっと、もうすぐ遼平達が玄関を出てくる、遼平の見える場所へ行こう。あそからなら駐車場が見渡せるかもしれない。そう気付いて窓際のあの場所に立っていたのだろう。
母は手を振っていた。私たちがクルマに乗り込んでもずっと手を振っていた。その手は永遠の別れを告げているように思えた。