第82話 原発は右気管支、肺腺癌
この翌日から検査づくめの日々になっていった。胸部のCTに始まりエコー検査、頭部のMRI、それにラジオアイソトープ(略してRIとも言う)もおこなわれ全身の骨の状態を調べた。
最後に手渡された承諾書が気管支鏡検査の同意書だったが私の持ち得ている知識の中で、この検査だけは受けたくない、第1位が気管支鏡検査で非常に苦しい思いをともなう。だから同意書に署名した記憶がない。無いが、医師の執拗な依頼に母自身が署名してしまった。
気管支鏡検査を終えて病室に戻ってきた母は「二度とやらない。」と顔の表情で語っていた。
食べ物が「変なところに入っちゃった。」と咽せる経験は誰にでもあるだろう。誤嚥というのだが、この誤嚥を人為的に、それも無理矢理にでも奥へ奥へと突っ込んでいくのが気管支鏡検査であるから想像に容易いだろう。
母の病名がハッキリしたのはこの気管支鏡検査を受けた2日後だった。当日は担当医と私だけが面談という形で検査結果を聞いたと思う。
胸部の右肺野はほぼすべてが侵されていて、原発は気管支鏡検査が映し出した画像が明らかにしていた。
『右気管支分岐部、原発性肺腺癌』同じ右の肺の中で転移があり、少なくても現段階で癌は2箇所点在している。同、臓器内転移というもので遠隔転移ではない。その証拠に脳にも骨にも、そして肝臓にも転移はない。右の肺野の中だけで転移していた。
これが遠隔転移していた場合、ステージ4と診断されるが同じ臓器内に留まっていてくれていたので1段階下のステージ3とされた。
手術はできない。広がり過ぎている、おまけに69歳という年齢と脳梗塞の既往があり、ワーファリンの副作用で手術中に出血したら止める事ができない。 医師の治療方針は抗がん剤の多剤併用法だった。シスプラチンを基本ベースにしてプラスαしていき、広がり過ぎた癌をできるだけ小さくする。完全消滅までは期待できないが長期延命の可能性はある。母の本来の寿命まで引っ張り続けるという考えだった。
私は担当医の治療方針に反対だった。イレッサは肺癌の特効薬として期待される反面、副作用の懸念もある。肺繊維症を引き起こす可能性が高いという報告書が多数、存在する。でもだ、同室にいた初老の女性には処方され効果を発揮した。その結果、自宅に戻る事ができたんだ。
この事実を目の当たりにしてしまっていたから標準治療楽プラスαの投与よりもイレッサに期待したい。
イレッサの投与には3つの条件がある。
まず、東洋人であること、東洋人でなくても東南アジア人でも可とする。二つ目が女性であること。そして三つ目が非喫煙者であること。
母はこのすべてをクリアしているがゆえにイレッサの投与を強く希望した。ただし、副作用が発生してしまった場合の対処法がない。医師にしてみれば肺線維症を発生させてしまった場合の裁判沙汰が嫌なのだろう。
母に対する投薬は標準的ながん治療薬で開始された。入院した当初は自分のことは自分でできていた。食事も排泄も、言葉が話せないというハンデ以外はすべて自分でできた。
ところが抗がん剤治療が始まるとすぐに食欲の減退が起きた。医師の説明ではシスプラチンを投与しても副作用は弱いもので、髪の毛もほとんど抜けないと聞かされていた。しかし白いシーツは抜けた髪が散乱し、取り払っても取り払っても容赦なく抜け続けた。
「説明と違います。どんどん衰弱していってる、このままだと死んじゃいます。」
私の心の中の悲鳴だった。私自身が医療従事者でなければ医師に喰って掛かっていたかもしれないが、心の中だけで言葉を噛みしめて自分自身を責めるしかなかった。