第81話 肺腺癌の腫瘍マーカー CEA 数値 : 520
この月は六月である。母は六月生まれであり69歳の誕生日を自宅で迎えた。誕生日の1週間後の夕方、国立病院の病棟ナースから母のいる実家の方に電話が入った。私が受話器を取ると母をもう1度、連れて来てほしいのだが、そのまま入院する事になる。ベッドを空けて待機しているとの事だった。
六月二十八日の入院当日、私は午前中の仕事だけを済ませ早退し、母が待つ実家に向かった。母は自分で入院の支度を落ち度なく済ませて待っていてくれた。
午後の三時を少し過ぎた頃には国立病院の7階に到着していた。母と私は病棟をひと通り案内され、入院生活の説明を聞いたあと母を病室のベッドに残して、私だけが担当医に呼ばれた。
「桑名さん、この前の初診時に採血をした結果ですがCEAの数値が異常に高く、520もあるのです。だからと言って確定診断は出来ませんが、詳しく検査をしていきます。まず胸部のCTをおこないますが、造影剤を使います。」
私は医師のこの言葉の途中で話を制した。
「先生、私は放射線技師で、それもMRIを担当しています。承諾書の事ですよね、母には理解が出来ないでしょうから私が同意書にサインします。」
「あっ、そうなの、ではCTとMRI、それにラジオアイソトープの承諾書にサインしておいてね。MRIは頭部になる。」
医師は既製品の検査説明書と承諾書3枚を私に手渡した。医師が言っていたCEAが520あるという数値が気になっていたが、この時の私には腫瘍マーカーの知識がなかった。
母だけを病院に残して、帰りの道は私ひとりになり、裏道をクネクネ曲がりながら自宅に向かっていた。何本目かの右折路を曲がり切った時だった。
➖まだ検査課の志村さんは職場にいるかもしれない。CEAが520の意味するものを聞いてみよう➖
そう、思い立って運転していたクルマを道の端に寄せて、自分の勤める病院に携帯から電話を入れた。
「放射線の桑名です。まだ検査課の志村さんは帰っていないかな。居たらでいいだけれど、聞きたいことがあるんだ。」
私の言葉に女性事務員がすぐに取り次いでくれた。夕暮れだったが、まだ陽は落ちていなかった。クルマを停めた通り沿いにはクヌギの樹が生い茂っていた。
「桑名君、どうしたの?」
志村さんの声だ。彼女は私と同じ年に入職しているが開院当時から派遣社員として働いていたらしく、私よりひと回り年上である。
「CEAの数値が520あるって言われたんだけれど、どういう意味なの?」
「CEAが520、CA99ではなくてCEAなのね。」
そう聞き返されたが、区別が全く付かず曖昧になってしまった。
「とりあえず明日、詳しい話を聞かせて。桑名君、明日は出勤するのでしょう。自分でWEB検索して、勝手に決めつけちゃあダメよ、いいわね。お酒は飲まないで明日、出勤しなさいね。」
今、思い返すと志村さんは常に私を心配していてくれた姉のような方だったと思う。
国立の病院で母と同室に入院されていた女性の方は母と同年齢くらいに思えた。
ご主人らしい七十歳代の男性は毎日、夕刻になると姿を見せる。仕事を持っていたが、妻の夕食の介助のために早退させてもらっていると言っていた。
ご夫婦共に清楚な感じの印象が私の中に残っている。年老いてから妻のほうが病に倒れ、夫のほうが介護の見舞いをおこなうのは大変な苦労があるらしい事が伝わってくる。
「主人にはこんな歳になってから迷惑ばかりかけてしまって。」
真剣なお顔ではあったが、表情は穏やかにお話しされた。初老といえばそうも言える同室の女性の言葉にご主人は恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
「私は来週にはね、退院できるんですよ。お薬がよく効いてくれたの。だから、おうちで飲み薬を飲むだけでいいですって言われたの。あとは定期的に診察を受ければいいだけ。」
この女性の言葉で彼女の病名、処方されている薬が判断できた。
「かあちゃん、あの人、肺癌だよ。多分、イレッサっていう薬が効いたんだよ。医学書で読んだことがあるけれど、あの薬って本当に癌を消すんだ。」
パジャマに着替えた母に向かって小さい声で話しかけたが、母の口から出た言葉は「わかんない」だけだった。
*CEA、 CA99は腫瘍マーカーと言って採血のみで癌の存在の有無を調べるものですが確実ではありません。また肺癌治療薬のイレッサは現在も認可されていますが肺腺癌での適応はないようです。