第79話 母の咳の正体
母はこの兄妹会なる福島旅行に参加した。母を泣かせてしまったこの日のことを、まるでネガフィルムに残された陰影の如く忘れられずにいる。そして母を強引にこの兄妹会旅行へ導いた事に後悔はない。
母が兄妹に会えた最後の旅行になるのであるから、行かせて本当によかった。ただ、母が幼児のように泣きじゃくったあの日の光景を20年近く経った今でも思い起こしてしまい『辛かったなぁ、つらすぎる瞬間だった』と蘇らせてしまうのである。
五月の雨を過ぎると本格的な梅雨の厚い灰色の雲ばかりが空を埋めている。そんな季節になっていた。
「福島に行ってきて楽しかったでしょう、みんなが母ちゃんに会いたがっていたんだ。」
私の言葉に母はニコッと微笑んだ。母もうれしかっただろうが、兄妹の皆が母を暖かく迎え入れてくれた事は、私にとってもうれしい出来事になっていた。
言葉が出ないもどかしさなんて、相対する人の気持ち次第なのである。この世には生まれた時から言葉を持たない人だっている。人生の途中で失った方が『もどかしさ』はあるだろうが、聞き取るという事ができるのだから会話は成立するのである。
自宅から1歩も出ずに自分の内なる世界に身を置き続ける方がよっぽど辛いし悪い。
六月の定期診察には私が同行できた。この日は晴天だった。何故、天候をハッキリ覚えているのかというと、この日の外来診察を終えたら母を連れて、所沢の外れにある菖蒲苑に行く予定にしていたからだ。この菖蒲苑は映画、スタジオ・ジブリの『となりのトトロ』の一場面として描かれている。
診察まで1時間ほど待たされた。待っている間はロビーに並べられている椅子に座って、点けっぱなしのテレビを観ているしかない。診察室は3つあり、入り口はカーテン1枚で仕切られているだけだ。
母の診察の順番になると私は開口一番に医師に言った。
「どう考えても咳が長引き過ぎていると思うんです。マイコプラズマではない、風邪もおかしい。結核を疑うべきではないでしょうか。」
私の言葉を受けて、医師は胸部レントゲンの撮影オーダーを出した。神経内科の診察室からレントゲン撮影室までは相当の移動距離があった。途中には機能訓練用に改造された本物の自動車が置いてあり、腕が無くても脚が無くても運転免許取得に向けて頑張る患者らしき若者たちが数人いた。
胸部レントゲン撮影は、まったく待たずにおこなわれ、フィルムは茶色い大きな袋に入れられて私に渡された。患者自身にフィルムを持たせて、診察室に戻させるシステムを取っていたから私は途中の廊下で袋の中のフィルムを出し、窓から差し込む太陽の光にかざして見た。
「なんだ、これは。右肺がほとんど機能していない。無気肺じゃあないか、どこだ!どこで塞がれているんだ。結核の可能性も否定はできないが、この画像が結核によるものならば酷すぎる状態だ。」
画像を見た医師は、フィルムを隣室で診察中の内科医のシャーカステンまで持っていき意見を求めたようだ。
「わかんないよ、神経内科医だから。2~3日中でいいから専門の病院へ行ってきてください。呼吸器外科があるのは、防衛医大と清瀬にある国立になるね。紹介状を書くから、どっちがいいか決めてくれないか。」
*シャーカステンとはアナログのレントゲン・フィルムをかざして見る蛍光板のことです。