第7話 縁を断つ手紙
寿司屋の座卓を挟んで父と叔父が座り、私には「カウンターに座って好きな物を頼んで食っていろ。ビールも頼んでいいぞ。」と言い放して二人とは距離を置いた。
生まれて初めて入った寿司屋の雰囲気に飲みこまれていったのを覚えている。私はウニを食い、トロを握ってもらいビールをジョッキでガブ飲みしていた。
父と叔父の話し合いがどれくらいの時間を要したのか、今となっては覚えていないがあの時の寿司の味はハッキリと覚えている。どういう取り決めが二人の間で成立したのかも知らない。
ただ、なんであの時、父は私を伴って寿司屋に行ったのかは解る。
父は叔父を、弟を責めなじりたかった。
その思いに歯止めが掛からなくなる事を恐れていたのだ。我が子である私を伴えば弟である叔父を私の前で罵倒することはできない。自制心が保てるだろう。そう考えて私を寿司屋に連れていったのである。
1993年2月、父はこの叔父に一通の手紙を送っている。亡くなる3ヶ月前になる。
➖何度にもおよぶ借金の督促と取り立て、挙げ句の果てには家財一式に値札を貼られて差し押さえを受けた。裁判所が期限を付けて取り立ての行政執行に入った。弟よ、二度と私の前に現れるな。何が起きても決して連絡はするな。この手紙をもってお前の借金はなくなる。それと同時に兄弟も無くなったと思え。母にも伝えよ。如何なる事があろうとも二度と声を聞かさずにいよ。縁というものは消え去るものである。➖
父は叔父である弟の借金全額を現金で支払った。
手紙は叔父に宛てたものであって育ての母に宛てたものではなかった、にもかかわらず私の母は「北海道の義母さんにはお父さんが死んだ事を伝えない。葬儀には来てもらいたくない。」の一点張りだった。
「母ちゃん、ばあちゃんに罪はないよ。伝えないのはおかしいよ。」私は言い返した。
女性というものは頑なな生き物らしい。
「遼平、お父さんの気持ちを考えなさい。絶対に会わないって決断したのは父さんの方からなのよ。それを今さら、死にました。来てください、なんて言える訳ないでしょう。」
「それってちがうと思う。育ての親だって、親は親だよ。」
「遼平は小さかったからなんにも分かっていない。お父さんの気持ちを理解して言っているの?」
三人兄弟は平等には扱われなかった。育ての母の実の子は三男にあたる克己おじさんだけであり、この叔父だけが大学に行かせてもらっていた。父も三歳年下のヒロおじさんも高校を卒業するとすぐに働きに出され、金に苦慮する時代を経て家族を持ち、養えるだけの給料取りになっていった。しかし三男だけは違っていた。
大学在学中に始めたアルバイトがきっかけとなり大手の出版社にそのまま就職し、それも実母の実家が弁護士をしていたことまで利用し口利きを頼んでの就職だった。
なんの不自由もない学生生活の4年間で身につけたものは麻雀だった。
この賭け麻雀が借金の根源となり叔父の家庭をのちのち崩壊させたのである。
「食べるものだって公平じゃあなかったって父さんから聞いたことがある。どれほど辛い思いをしたことか。遼平の想像なんて・・・」
母は涙をこぼした。初めて見る母の涙であったが私は譲らなかった。
「母ちゃんが呼べないんだったら俺が電話する。」