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第78話 母、最後の旅行

 二月だった。冬の寒さがこの東京に1番近い町にも行きわたっていた。クリスマスのネオンキャンドルも消え、正月の雰囲気もきれいに無くなっていた。そんな季節だったから、気に留めていなかった母の咳であった。


 何故か咳が続く。風邪だろう、1週間も経てば消える風邪だろう、そう思っていた。この月の通院時には母の咳のことを担当医に話している。


 「単なる風邪でしょうから風邪クスリと、いつもの脳梗塞の予防薬を処方しておきます。」


2時間待ちの10分診察だった。私自身も単なる風邪だと思い込んでいたから別段、気に留めていなかった。


三月になった。この月は年度末で、有給休暇を使い切ってしまっていた。母の通院の付き添いで休むと欠勤扱いになる。


 母の咳は続いていたが本人も「だいじょうぶ」を繰り返すのみであり、さらに、この年はマイコプラズマが流行していた事も重なって、咳の原因は単なる風邪かマイコプラズマのどちらかだろうと自分勝手に診断していた。


マイコプラズマなら咳は長引くから症状と一致する、そう思いたかったのである。


 「かあちゃん、欠勤はできないから訪問介護の人に今回だけ付き添いを頼むよ。」


 この言葉を母は嫌がった。他人に自分の弱さ、とくに通院のお供をお願いする事に抵抗があった。


 「じゃあ、仕方がないから叔父さんに頼んでみるよ、いいね。」


叔父とは母の兄で、良い意味でも悪い意味でもの、あの叔父の事である。


 四月になった。咳が続いていたが血痰が出るとか非常事態を意味するものはなかったので、しつこい咳の正体はマイコプラズマか最悪、結核だろうになっていた。


そして、この月の終わりには私が母を連れて診察に行っているが、またしても「たいした事はないでしょう。」で済ませてしまった。


 五月、ゴールデンウィークに母の兄妹たちが年に一度集まる温泉旅行が計画されていた。恒例行事であり、母も言葉を無くしてから初めての旅行だった。行き先は生まれ故郷の福島県の温泉宿に一泊の予定だった。


叔父である、実力者の兄が母を車に乗せていってくれる事になっていた。母も毎年、楽しみにしていた兄妹会である。言葉を失っても、みんなが母に会いたがっていた。


母は十人兄妹の十番目であるから、集まった人たち、みんなの妹という事になる。


 この旅行の1週間前になって突然、母は「行かない、行きたくない。」と言い出した。もちろん言葉で言ったのではない。態度というか、母子の通話回路みたいなものを使って伝えてきた。


 本音は行きたい、姉や兄に会いたい。だが、みんなが集まるところに喋れない我が身をさらけ出したくない。その気持ちはわかる、だが長い人生である。自分のハンディキャップを兄妹に晒せないで、どうやって生きていくというのか。


 「行ってきなよ、みんなが待っているんだから。」


 母は渋い顔で拒否の意思を伝えてきた。


 「ダメだよ、みんなの気持ちを考えてみなよ。叔父さんだって一緒に連れて行くって言ってるんだから。」


 叔父夫婦も一緒に1台のクルマで東北自動車道を北に進む予定になっている。

母は顔を横に振ってハッキリと「行かない」の意思を強く表した。脳梗塞は鬱状態を招く。打破するには行動力を強く持つべきだろう、だから私も強い口調になってしまった。


 「行くんだ、もう決まっているんだ。今さら、わがまま言える訳がないだろう。」


 私の語気の荒さに母は泣き出してしまった。あとにも先にも母が涙しているのを見た事はなかったので驚いてしまった。


 「叔父さんに電話する。かあちゃんはわがままだし、意気地なしだ。」


そう言いながら受話器を取って、あの叔父に電話でことの真相を話した。叔父は「俺に替われ、母さんと話をするから・・・」と言ってくれた。


 受話器が私の手から母の手に移った、その時である。


 「遼平がいじめるの。」


泣きながらハッキリした言葉を口に出した。

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