第69話 アルコールの沼の小魚
サラに対する深夜の拷問。アルコールの沼の住人にとってはこの上ない、うって付けの気晴らしになっていた。職場での不平の捌け口にもなり、深夜のテレビ番組よりもよっぽど楽しい。
「さて、今夜も始めるか!」
慣れるという事は恐ろしい。アルコールは人格を豹変させてくれる。今まで自分では気が付かなかったモノへの執着心を教えてくれるし、与えてもくれる。
何度も引っ叩き、それでも朝になると昨夜の出来事を一切、口に出さないサラがいた。左の頬は赤から紫色に変わり、日が経つにつれて黄色に変色していった。
「寝ている時に何かにぶつけたらしい。」
そう言い訳をさせた。
その夜もサラへの拷問を始めようとしていた。私以外のすべての人間が寝静まるまで、じっくり時間を待った、ただ一人を除いてであるが、その時が来るのを呑みながら待った。
アルコールの沼に小魚は1匹いればよい。雑魚はいらない。私自身が酩酊する前に実行しなければ楽しみは半減してしまう。
深夜の2時を過ぎようとしていた。そろそろ、その時が来たようだ。
いつもと変わらずに寝息をたてているがマイケルが見当たらない、おそらくお婆ちゃんのベッドにもぐり込んでいるのだろう。
寝ているサラの左頬を二度、指で突いてみた。起きなかったが、瞑っている瞳が僅かに震えている。
➖起きているな➖
軽いサラの身体を布団から抱き上げて、抱えて1階の居間へ連れ戻った。そこはアルコールの沼の底に潜む遊具場である。
「スタンド・アップ!」
畳に座っていたサラが立ち上がった瞬間、パチン!と平手で右頬を引っ叩いた。
➖しまった、手加減を忘れた。➖
サラの身体が左にある襖を二枚、押し倒し大きな物音が響き渡った。
物音に気が付いたリミが階段を軋ませて降りてきた。リミはサラの母親である。瞬時に今まで、深夜この居間でなにがおこなわれてきたのかを悟った。
襖の上に倒れ込んで泣きじゃくり始めたサラを抱きかかえて、リミは玄関に向かって逃げようと必死になった。しかし、あと一歩のところで二人を外に逃さずに捕まえる事ができた。
私はすでに酩酊の中にいる。もはやアルコールの沼ではなく、青みどろの流れることを忘れ、腐り切った心酔の汚泥の中にいる。
「どこに行くつもりなんだ。お前らはいっつも俺を怒らせてばかりいる。殴られて当たり前だ。」
言葉を吐くと同時にリミの左手首をギュッと掴んで、外には逃げられないよう捻りあげた。
リミは自分の娘を抱いたまま声を上げて泣いた。嗚咽するというものではなく、まるで幼児が声を上げて泣きじゃくっているように大声を出しながら泣き続けた。その泣き方が尋常ではなく、私は気を動転させ、一瞬の隙を与えてしまった。
リミは靴も履かず、裸足のまま逃げ出していった。向かった先は私の母のところである。私の母しか頼る人はいない。