第64話 成田空港、第2ターミナル 南ディパーチャー
勇太が生まれて1年が過ぎた。確かに1年は経っている事がわかる。なぜなら満一歳の誕生日を祝う写真が残っているからだ。私以外の者が笑顔で写っているのは私が撮影したことを意味している。そんな時だった。
リミが突然、帰省を言い出した。
勇太を伴ってフィリピンにいる母親に会いに行くと言い出した。この思いは理解できる。リミにしてみれば自分が生んだ子供ふたりに会いたいだろう、年老いた母に養育を任せっぱなしなのだから母親にだって会いたいだろう。それに実母に勇太を会わせたいと思う気持ちも当然だろう。
「いいよ、俺はひとりでも大丈夫だよ。」
そう答えてリミに、ヘソをくって隠しておいた10万円を渡した。あとから判った事だがこの時、私の母も10万円をリミに持たせて帰省させていた。
確か二月だったと思う。リミと勇太は成田空港の第2ターミナル、南ディパーチャーから日航機で母国へ旅立った。私にとって成田空港は初めての場所であり、飛行機を間近かで見たのも初めてだった。外国人たちは人目をはばからずに抱き合っていたり、キスしているカップルもいた。文化の違いなのだろう。
「帰りのクルマの中で飛行機が墜落したって速報が入ったら、すぐに成田に引き返すよ。」
そう言って陽が落ちた空港をあとにした。
帰路は首都高速道路を使い、銀座のネオンを下に見てサンシャイン60の青いイルミネーションを右手に見送りながらカーラジオではなくカセットテープに録音しておいた古い映画の主題曲を聴いていた。『ある愛の詩』や『ゴッドファーザー』が美しい音色を聴かせてくれていた。
暖かい春の陽気の中にいた。
いぬふぐりの青が可愛らしく感じられた、土筆のアタマが土を持ち上げて、小川にはカルガモの親子が縦に並んでスイスイ泳いでいる。そんな風景の中に身を委ねていた。
それが一瞬の隙を突いて横殴りの暴雪に頬を叩かれ、身を凍らせながらただじっと動けずにいる状態に変わってしまう。
事態は急変した。
リミと勇太が日本に戻ってきて数日が経ったある日、突然リミが想定外の話を始めた。
「フィリピンの子供たちを日本に呼んだよ。ずっと、そうしたかったよ。」
青天の霹靂という言葉がある。
「待ってくれ、勇太はまだ1歳になったばかりだよ。今の生活を大切にしたい。」と私がいうと
「勇太もフィリピンの子供たちも一緒だよ。みんな私の子供だよ。日本に来るよ。」
「しばらくの間でいい。勇太が小学校に入学するまででいいから待ってもらいたい。」
「もう、エンバシー行ったよ。お金払ったよ、6月に来るよ。」
語弊があるかもしれないが、この当時のフィリピンという国は金さえ払えばなんでも出来てしまう。
戸籍の偽造も、入国のための偽造パスポート作製も金次第なのである。私はただ、我が子とリミとの3人だけの生活をもう少しの間だけでいい、平和で穏やかな時間を自分の中に置いておきたかっただけだった。
この環境の中に七歳になるマイケルと五歳の女の子、サラが加わる。一軒家を購入して、まだ半年も経っていないじゃあないか。ここに七歳と五歳の子が加われば経済的に苦しくなるのは目に見えてわかる。想定外以外の何物でもない。
まして七歳といえば小学校に通わせなければいけない。日本語が全く話せない子供をどうやって通わせればいいんだ。
なにから手を付ければ良いのか判らない、無理だ。できない、リミは勘違いをしている。私にだって出来る事とできない事がある。
「もう払ったよ、いっぱい払ったよ。お金もったいないよ。」
そうリミは言う。
私が持たせた10万円と母が渡した10万円を全額使って子供たちの入国手続きを済ませていた。
六月になった。用意すべきは、とりあえず季節外れのランドセルの購入である。それ以外は子供たちが入国してから考えよう。
成田空港の第2ターミナルは3階が出国フロアーで、入国してくる者を待つのは2階になる。マイケルとサラが搭乗してきたはずのマニラ発、成田行き旅客機は午後五時を過ぎた頃に到着を表す掲示に変わっていた。