第58話 カブト虫の名前はボンバー・カワグチ
リミのためだけにアパート探しをした時とは違い、どこの不動産屋に行っても歓迎された。3軒の不動産屋をはしごしたが結局、1番最初に内見させてもらった2LDKの物件が1番、立地条件が良く駅からも近くて、そこに決めた。
アパートの裏手には大きな公園があり、徒歩で1分の場所にはアルコールの量販店も用意されている。
右お隣の一室だけはどこかの会社の寮として契約されているらしい。隣接しているアパートの住人達も私たちと同じ年齢層らしくて、お若い夫婦と就学前のお子さんがいる家族構成の方達が数組住まわれていた。
裏手の公園は小学校修学前の子供たちにとって格好の遊び場になっていて、賑やかな声が響き渡っていた。
私もリミも子供好きであったから『うるさい』と思ったことはない。
「ねぇ、リミの国にもビートルっているの?」と私は聞いた。
「いるよ、ジャングルに行けばいっぱいいるよ。でも男の子だけだよ。女の子はジャングル行かない。スタッグ・ビートルもいっぱいいるよ。」と応えた。
「スタッグ・ビートルってなんだ?」
「頭にチャプ・チャプある虫だ。チャプチャプわかるか?」
リミは自分の頭の上に両手を挙げてハサミの格好をして教えてくれた。
「チャプ・チャプって言うのか、日本だったら空手チョップだからチョップ・チョップになるな。」
スタッグ・ビートルがクワガタ虫であることは容易にわかった。
「リミ、捕まえに行ってみようか。」
「いいけど、ジャングルあるか?」
「ジャングルは無いけれど、子供の頃に雑木林にいっぱいいたよ。きっと今でもカブト虫やクワガタ虫はいると思う。明日の朝、早起きして行ってみよう。」
翌朝、リミと向かった雑木林は『くぬぎ山』と言って、ダイオキシン報道で日本中にその名が知れ渡った所である。
農家の小径を進んでいき、朝露に足先を濡らしながら畑道をまっすぐに歩いていく。畑とあぜ道を区切っているのは背の低いお茶の木とニラの緑だけだった。
畑の先にうっそうとした葉枝と太い幹が無数にあり、樹齢でいうなら三十年や五十年なんてものじゃあないだろう。 朽ちて倒れているクヌギをまたいで森に中に入ると樹液の酸っぱい匂いが鼻腔を『ツン』とさしてきた。
➖間違いなくカブト虫は近くにいる➖
風通しの良い畑との境界に沿って、立ち並ぶクヌギの樹々を見上げながら歩いていく。時には視線を根元に落として私は左側を、リミは右側を探してはじめてまだ3分も経っていない。リミの大声が私を呼んだ。
「アッタ、アッタ、リョウヘイ、ビートルだ。」
大きい、と言うよりバカでかい。木の高さ、3メートルくらいのところに大きな雄のカブト虫が動かずにジッとしていた。ただ、そのクヌギの幹の周りをキイロスズメバチが羽音を立てて飛び廻っている。
「まずはスズメバチをやっつけるからリミはさがっていて、待ってて。」
「うん、いいだよ。」
スズメバチが幹の樹液に留まるのを待って、靴の底で『パチン!』と一発で仕留めた。
長い木の枝を拾ってきてカブト虫を落とそうとしたが、カラダに枝先が触れるたびに、どんどん上へ上へとよじ登っていってしまう。
「木に登って取ってくるよ。枝のところまで登ったら揺さぶって落っこどすから、落ちた場所を見逃さないで。飛んでいってしまうかもしれないけれど、あいつ眠たそうだから、不意を突かれて真っ逆さまに落ちてくる。」
「リョウヘイが落ちるなよ、ケガするな。」
リミが言った通りにカブト虫と木の枝と私が畑道に落ちた。
大きい、大きすぎるカブト虫だ。自宅に帰ってからメジャーで測ってみたらツノの先からお尻までで12センチもあった。ここまで大きいサイズを捕まえたのは初めてであり、見た事も手に取った事もなかった。
「こいつはボンバー・カワグチって名前にしよう。」とリミに言うと「それ食うのか?フライか?」と聞いてきた。
「バカたれ、誰がカブト虫を食うんだ。ペットだよ、ペット。」
「ペットがビートルか?ボンバー・カワグチか?」
「そうだよ、大きすぎるんだよ、こいつ。だからボンバー・カワグチなんだ。」
ボンバー・カワグチを捕まえたあとも雑木林にはリミの「アッタ!」の声が響き渡っていた。わずか二時間ほどでカブト虫とノコギリクワガタ虫、コクワガタを27匹捕まえた。
あまりにも大量に捕れ過ぎたので自宅裏の公園で遊ぶ子供たちに無料プレゼントしてあげたが、ボンバー・カワグチだけは我が家のペットとして、およそ三ヶ月間、一緒に暮らす事になった。